忍者ブログ

スターレイル用

想いの蕾が花開く【三】

▇◇ー◈ー◇▇

 数年間の努力の結果。
 各々の努力の甲斐もあって体力はついてきたが熟考の末、鏡流から景元は『剣の才はない』と、断言されてしまい項垂れながらの帰り道。
「師範も言ってただろう、心と体を鍛えるものだと」
「そうなんだけど……」
 景元も高学年になり、長年の訓練もあって勝率は悪くない。しかし、師匠である鏡流からして、相手の動きや癖を観察して隙を突く奇策を弄しているだけであり、それは剣の腕よりは知略だと断じた。
 打てば点が入る試合では勝てても、実践となると力負けや、手練れが相手になれば敗北を喫する可能性が高い。努々隙を作らないように尽力するべし。とのお言葉を貰った。
「刃は悪くない。だっけ……?」
「良くもないって意味にも取れるぞ?」
 兄弟ならではの軽薄さで応星が揶揄れば、刃は無言で小突く。
「いいなぁ、背も高いし……」
「お前も伸びてるだろ?」
「そうだけど……」
 既に一八○センチをそろそろ越えそうになっている刃と応星を見上げて景元は眉を下げる。あれだけ大きくなると豪語していたが、中々二人を追い越せない己にも失望していた。とは言え、景元よりも五歳年上の刃と応星は高校生。一番の伸び盛りである。
 景元も同学年の少年よりは上背があり、焦る必要は無いのだが、本人としてはもどかしさを感じていた。
「俺等が格好良すぎるからって羨むな」
 応星が景元と肩を組み、身長を誇示するように顔を押しつける。
「君よりは勝ち星多いから羨んでない」
「相変わらず生意気だな……、俺は剣より造形や工学を極めるから強くなくてもいいんだよ。続けてるのは体力付けるため。先生にも体は鍛えて置いた方がいいって言われてるしさ」
 応星がわざ髪を掻き混ぜるように景元の頭を撫で、体を離した。
 その手には竹刀を握り込んで分厚くなった竹刀ダコ以外にも、刃物での切り傷や火傷の痕などもある。それは、十三歳の頃に行った刀工や工芸品を扱った展示会ですっかりその道に魅了され、勉強のために工房通いの日々を送っているからだ。
「はいはい、応星大先生はご立派ですねー」
「あー、もう可愛くないなぁ。俺が人間国宝になったら見てろよ」
「国宝か。その時までに、応星の作品を大量に確保して、高値がついたら売り払おうかな」
「売るな、保管しとけ。永遠に崇め奉れ」
「神様にでもなる気かい?」
「おー、それもいいな。創造神名乗ってやるわ」
「なれるといいねー」
「気持ちが籠もってないぞ糞餓鬼」
「先生はお口が悪いなぁ、そんなんじゃ弟子が逃げてしまうよ」
「そんな軟弱者じゃあ俺の弟子は務まらないな」
「パワハラで告訴されても知らないよ?」
「その時はお前が俺を助けろよ。未来の検事様」
「えー、どうしようかな?私は犯罪者を有罪にするのが仕事なんだけど……」
 冗談混じりでじゃれ合う二人の仕様も無いやり取りを一歩離れて見守る刃は密やかに嘆息する。幼い頃から似たようなやり取りを続けて飽きないのか。との気持ちと、互いに真っ直ぐ打ち合う言葉遊びが楽しいのだろう。との気持ち。そして、羨ましさがほんの少し。

 彼等と比すれば口下手に該当する刃では半分も言い返せないで応酬は直ぐ様止まってしまうだろう。唯一無二の兄を他人に盗られたようで、二人の仲の良さを羨んだ時期もあったが、可笑しな嫉妬で悩んでも意味が無いと理解してからは開き直ることにした。
「刃、俺と此奴、どっちが悪者見えると思う?」
「急になんだ」
 応星が振り返り、やにわ刃に質問を投げた。
 どうも、刃が呆れて思考を飛ばしている間も応酬が続き、どちらが悪人っぽいか。の、話になったようだ。
「悪者……、まぁ、腹黒そうなのはちびすけだな」
「えっ、こんなに愛くるしい私が腹黒⁉」
「ほら見ろ、お前の方が悪巧み得意そうだしな」
「悪巧みと言うか、此奴は、戦略ゲームが得意だろう?相手の取るだろう行動を何パターンも考えてそれに合わせた行動を先んじて起こせる。知略を要する物に対しては物凄く強いから見方によっては。と言う意味だ」
 応星と取っ組み合い擬きをしていた景元は、膨れていた顔を晴れやかにし、刃に飛びつく。
「やっぱり刃は私を解ってくれてるよねぇ」
 猫のように景元が刃の首元に擦り寄り、癖のある柔らかい髪を顎に押しつける。
 剣の才はない。と、断言されたものの、幼い頃から片鱗を見せていた賢さは周囲の群を抜いており、この国に飛び級制度があれば瞬く間に大学まで行けただろう頭脳の持ち主である。
「ずっと一緒に居るんだから当たり前だろう。応星だって巫山戯過ぎているだけで解ってる……」
「やったー。お兄ちゃん達大好き」
 巫山戯っぷりは景元も負けていないが、年下特有の小賢しさにて年長者から学習しているだけであり、要するに応星が悪い見本なのだ。意固地な部分がありながらも努力家で気が優しく、周囲をよく観察している彼は方々から慕われており、悪人とは縁遠い人間だ。
「腹黒は言い方が悪かった。寧ろ、小さい頃からきちんと目標があって凄いと思う……」
 景元は幼い頃から両親に憧れて検事を目標としている。
 応星も夢に向かって行動し、懸命に学んでいる最中であり、三人の中でただ一人、夢も目標もなく、ただ無為の日々を過ごしているのは己だけ。
 応星は手先が器用で刃はどことなく不器用、成績事態は特に悪くないものの景元のようにずば抜けてはいない。二人と比べて体力はあるが、本格的に運動競技や武道を学んでいる者と比べれば果たしてどうか。現に、師範である鏡流相手に一度も勝ち星はない。
 他人と比べる必要は無い。自分は自分だ。などと綺麗事を言われたとて、自身が何もかも中途半端に思えて、劣等感や自己嫌悪に陥ってしまっている。
「刃、何か落ち込んでる?」
 巫山戯てじゃれつくのを止め、景元が真剣な面持ちで刃の顔を覗き込む。

 相変わらず聡い。

「え、お兄ちゃんにも言えない悩み?」
 応星まで刃の肩を抱き、夏場に大柄な人間が絡み合って暑苦しいことこの上なく、二人を引き摺るように歩を進める。
「来年には進路を出さないとだろ?お前達と違ってやりたい事もないし、どうしたものかと……」
 無駄に隠すと隠しただけ長びくのだから、察知されたのなら素直に白状するが得策。身を以て知っている刃は素直に真情を吐露し、左右に目配せをする。
「そっかぁ……、解らんじゃないけど。俺も壊炎先生に会うまでは特にやりたい事もなかったしな」
「じゃあさ、警察官とかどう?最初の交番勤務だけど、その内、刑事課に異動して、検事の相棒になって悪者を追い詰めていくんだよ。刃が異動出来る頃には私は検事になってるはずだからさ、一緒に働こうよ」
「なんの本を読んだんだ?」
 何に影響を受けたのか苦笑する刃に『真剣に言ってる』そう、景元は不満げに鼻を鳴らす。
「刑事課は、所謂殺人だろう?グロテスクな物をわざわざ見たくないんだが……」
「それは、凄惨な現場がトラウマになって、辞める人も居るらしいから……、強制は出来ないけど……」
「警察は、体鍛えるために剣道習うんだろ?刑事になるかは置いておくとして、お前体格いいし合うんじゃ無いか?」
 又聞きの話を景元が思い出し、応星は当座の目標としても遜色ないと勧める。
「公務員だしな、一考の余地はあるか」
「一緒に働けるといいねぇ」
「そういう機会が出来たらな」
 現実的で悪くはない選択肢に思え、刃が考え込んでいると、景元がごく自然に手を繋いでくる。賢いとは言え、まだ十二歳程度。甘えたいのかと放置していれば、互いの家が近づいてくる。
「一回風呂入ってから、うち来るか?」
「そうするかなぁ、だらだらしてたら寝そうだ」
 応星に促され、景元が自宅に入ると家政婦の女性が迎えてくれる。
 この女性も、長年、我が家を支えてくれている一人で、仕事とは言え良く辛抱して面倒を見てくれていた。
「剣道着は置いてていいですよ。洗っておきますので」
「あ、いつもすみません……」
「いいえー」
 まだ幼い時分は、もっと厳しかったように思えるが、景元が応星達の家で世話になるようになって負担が減ったからか、一気に優しくなった。
「お風呂入ったらあっち行くんで……」
「はい、もうお風呂は溜めてありますよ」
 準備の良さに舌を巻きながら、景元は汗を流して碌に髪も乾かさないまま、胡麻に与えるおやつを握り締めて応星達の家に向かう。
「お邪魔しまーす」
 いつもなら、玄関で声をかければどちらかが出迎えてくれ、そのまま上がり込むのだが、返事もなく静かで不信感を抱いた景元が音を立てないよう靴を脱ぎ、拳を固めながら恐る恐ると居間へと向かう。
「どうか、した?」
 果たして、二人とも居間の床に座り込んでいたが、景元の声に振り向いても不安に包まれた表情は晴れなかった。
「胡麻が、ご飯をほとんど食べてないみたいで……」
「え、夏バテかな……、ほら、おやつだよ。大好きだろ?」
 景元が知る限り、胡麻は偏食の気はあるものの食用旺盛な猫である。特に美味しいおやつに関しては、寝ていようが取り出す音が聞こえただけで即座に飛び起き、大声で鳴きながら駆け寄ってくるほど。それを期待して猫用の寝床で丸くなっている胡麻へ、景元がペースト状になったおやつを見せる。
 一週間ほど前だったか、景元が食べさせた最後の日は美味しそうに食べていた。それが、ちら。と、見ただけで溜息を吐きながら寝床に伏せる。
「お母さんに連絡して、病院連れて行こう」
「いつも行ってる病院に向かうバスが都合よくあるかどうか……」
「私が貯めてるお小遣い全部持ってくるから、最悪タクシー使おうよ」
 応星が提案し、刃が懸念材料を口にして景元が解決策を出す。
 三人で見つめ合い、互いに頷くと応星がスマートフォンを出して母親と連絡を取り、刃がキャリーバッグを出すために動き、景元は家に戻って特に使い道も無く、長方形の紙箱に貯めておいたお金を箱ごと握って蜻蛉返りをする。

 三人でバス停まで走り、折良くバスが来たため、人が降りるのを待ってから飛び乗る。
 帰宅時間とあって乗車している人間は多く、大きなキャリーバッグを抱えて通路に立つ景元等を睨む者もあったが、胡麻が普段と違う景色に不安を覚えたのか、小さく鳴く声に溜息を吐いたのみであった。
「最近、ご飯あんまり食べてないのか?」
「あぁ、もう十三か十四歳くらいだし、食べる量は減ってたけど、こんなに食べてないのは初めてだ」
 主に世話をしているだろう刃に景元が小声で訊けば、胡麻の体調不良に気づけなかった自責を感じるような声色で返す。人間で言えば既に七○歳前後の年齢で、体力や食欲の減退も有り得る事だ。身内は誰一人として刃を責めはしないが、自分で自分が赦せないのだろう。
「私達は次で降りるから座って良いよ」
 仲の良さそうな赤髪と栗毛の少女二人が結い上げた長い髪を揺らしながら颯爽と立ち上がり、キャリーバッグを大事そうに抱える刃を座席に押し込み、
「けいちゃん、スタバ寄ってこー」
「いいねー」
 そんな軽口を叩きながら停留所へ着いた瞬間、一陣の風のように素早く降りていった。
 刃が座る席の隣も空いたため、応星に座らせて景元は二人の少女等を眼で追う。本来は降りる停留所ではないはずが、気を遣わせてしまったのか考えたものの、じゃれ合いながら弾けるような笑顔を見せる少女等からは窺い知れない。
 程なくしてバスが出発し、景元の視線はキャリーバッグを抱き締めて俯いている刃へと注がれる。応星自身も、落ち着かなくはあるだろうが刃の背中を宥めるように撫で、どうにか平静を保っていた。

 病院で診て貰って、直ぐに元気になればいいな。
 胡麻も心配だが、悲しそうな二人を見ているのも辛い。

 そんな希望的感傷を抱きながら、流れる町並みを眺めて景元は出てきそうな嘆息を堪え、お金の入った箱を握り潰す。せめて財布に移してくれば良かったかとは思えど、それではバスに間に合わなかった可能性も考えれば、こんな一時の恥など無いにも等しい。

 バスが目的の停留所へと着き、応星と刃は定期で、景元はお金を払って降りる。
 いつも通っている病院は人が多く、数時間待つのも当たり前なのだが、受付で刃が症状を伝えると直ぐに奥へと入り、二十分も待っていれば順番が回ってきた。
「前回より体重が落ちてますね。いつもきちんとお座りしてるのに、今日は伏せてしまってますし、相当具合が悪いようなので、血液検査と、お腹に異物が無いかレントゲンを撮ります」
「はい……」
 病院の診察室は決して広くはなく、医士と助手が必要な場で大男が三人も居ては邪魔になるかと景元と応星が外に出て、刃が主となって医師の話を聞く。
 待合室の隅で立って待つ二人も落ち着きがなく、もぞもぞと足を動かし、視線を彷徨わせて壁にあるポスターを読んだりと忙しない。
「軽い夏バテならいいなぁ……」
「うん、まぁ……、遊んでても直ぐ疲れて寝始めたり、走り回ったりしなくなってたから年齢的にも。とは思ってたけど、実際こうなるとしんどいな……」
「うん……」
 景元も毎日、胡麻に会って可愛がってはいたが、最近よく寝てるな。程度で深く考えてはいなかった。或いは、あり得る未来から無意識に目を逸らしていたものか。
 硝子戸越しに見える診察室の空気は重々しい物で、血液を採るために毛を剃られ、痛いのか悲鳴じみた声を短く上げながら逃げようとするも、押さえつけられている胡麻が見える。
 検査のためとは言え、本猫的にはただ痛い思いをさせられているとしか考えていないだろう。採血が終わっても、物悲しげに鳴く声が扉越しに聞こえて心が沈んでいく。
 更に十分ほどが経ち、胡麻をキャリーバッグに入れた刃が診察室から出てくる。
「後は待っててくれだって」
 むぅ。と、小さく鳴く胡麻を慰めるようにキャリーバッグの中に手を入れて刃が撫でる。

 それから三十分ほど、誰も口を開かないまま再度呼ばれ、三人はレントゲンを見せられた。
「胃に異物が見えるんだけど、さっき触った感じ硬い物ではないみたいだから、食べた物が上手く消化できていないか、毛が溜まってるんじゃないかと思います。食欲不振だけでなく軽い脱水も見られるので、消化を促進させる薬を入れた輸液をしておきます」
 異物を取り除く手術も考えたが、年齢的に落ちた体力で麻酔や手術に耐えられるか疑問で在るため、推奨は出来ない。医師がそう締めくくり、胡麻は再び診察台の上に召喚され、痛い思いをしたため不機嫌で、具合の悪さも手伝って唸っていた。が、医師はものともせずに背中に針を刺し、助手と交代すると奥の部屋へと入っていった。
「皮下点滴なので、暫く背中がぽっこりしてますけど徐々に吸収されるので心配しないで下さいね。後、皮膚を引っ張って、余り伸びなかったら脱水サインなので細かく確認して上げて下さい。嫌がるかもしれませんが、スポイトやシリンジで口に餌や水を与えるのも有効です」
「解りました」
 神妙に刃が返事をすると、看護師は唸る胡麻の頭をそっと撫でる。
 俺は不機嫌だ。そんな訴えをする胡麻だが、元々の気の優しさから撫でる手を引っ掻く、噛み付く、暴れるなどの行為はしない。
「んー、頑張ったね。終わりだよー」
 点滴の中身がなくなると、直ぐに針が外され、胡麻は診察台に置かれたキャリーバッグの中にいそいそと逃げ込むと、『もう、帰ろう』そう言いたげにむぅむぅ鳴いていた。
 点滴を片付ける助手の女性に感謝を伝え、待合室で再度待つ。

 自身が払うなどと豪語はしたが、果たして足りるのか別の不安が景元を襲いだし、何度も無意味に箱の中をちら見する。
「あの、いつも来てる病院だか、理由を言えば支払いは待って貰えるかも……」
「私も胡麻のために何かしたいんだよ。やらせて」
 刃が気遣いの言葉をかけるも、長年、特に使いもせずに貯めていたお金はこのためにあったのだ。動物病院が幾ら高いとは言え、万が一のために貯めていたお金は少なくはない。
「悪いな。少しずつ返すから……」
 普段、喧嘩友達と表現してもいい応星までもが神妙になり、景元はむず痒い心地となる。
「私は君達と血は繋がってないけど、兄弟同然だと思ってる。胡麻だって大事な家族なのに、こう言う時ばっかり仲間はずれにしないでよ」
 景元の言葉に、応星は息を呑み、
「そうだな……、お前も大事な弟だよ」
 やや場に似つかわしくない、はにかんだ笑顔を見せた。
「なら安心して任せてよ」
 刃と応星が頷き、景元は胸に溜まっていたものが流れ出ていくような心地となった。 
 程なくして受付に刃が呼ばれ、揃って受付に並べば心配そうな面持ちで診察代が提示され、財布ではなく箱からお金を出す行為が少々気恥ずかしく感じつつもお金は十分で景元は胸を撫で下ろす。
「胡麻、少しは楽になってると良いけどな」
「そうだなぁ、腹に何入れてんだよ、お前……」
「出てくるといいが……」
 動物病院を後にして、夕焼けに照らされながらバス停までぷらぷらと歩きながら思い思いに語り、停留所で座ってバスを待っていれば、
「あ、母さんだ」
 応星のスマートフォンから呼び出し音が鳴り、事の詳細を母親に伝えていく。
 診察代を景元が支払った事実に驚いてはいたものの、応星が彼の言葉を伝えれば納得したようで、『解った』それだけを返した。
「車で迎えに来るから、日の当たらない場所に避難してなさい。だってさ」
 近くの大型店舗に移動し、軒先を借りて三人は母親を待つ。
 程なくして母親の車が到着し、三人は涼しい車内で一息吐いていた。
「帰ったら何食べたい?ピザでもとって食べる?」
 まだ自立していない少年達だけでやや無謀ではあれど、自ら何が適切かを考え、行動を起こすようになった子供等の成長に喜びながら家に着くと涼しい場所に胡麻を連れて行く二人を尻目に景元を呼ぶ。
「けー君、お金代わりに出してくれてありがとね。返すから金額教えてくれる?」
「でも……!」
「けー君の気持ちは判ってる。これはね、あの子達がお金を出しててもやった事だから、素直に受け取って欲しいな。子供にお金出させて知らん顔は大人として出来ないわよ」
 完全に納得は出来なかったが、『子供にお金は出させない』主張をされれば頷くほか無かった。
 景元が診察の領収書を渡し、受け取った母親は微笑みながら頭を撫でる。
「大きくなっても優しいままの君でいてくれて、私は嬉しいよ」
「応星や刃が居てくれたから……」
 二人に出会うまで、景元は余りの賢しさに気味悪がられ、或いは揚げ足とりばかりの小賢しい子供と敬遠されてきた。大人とも、同年代の子供等とも上手くいかず、孤立していた。ある種開き直ってはいても寂しさは付き纏うもので、受け入れてくれた二人が居なければ、周囲を見下しながら思考が偏り世を拗ねた人間になっていた可能性もある。
「私は、皆が大好きだから、役に立ちたい……」
「役立つとか、立たないなんて二の次で良いのよ。家族なんでしょ?一緒に居て楽しい。幸せ。だけでいいの」
 母親が景元の汗で湿った髪を掻き回し、背中を押して二人が居る今へと送り出す。

 動物病院でのレントゲンに血液検査、輸液。
 母親の手にある領主書は大人でも息を呑む金額になっている。
 それを、まだランドセルを背負っているような年齢の子供が覚悟を持って支払いをしてくれたのだ。報いなければと思う。

 ポストに入っていたピザ配達のチラシを持ちながら、胡麻を囲んでいる三人の元へ行き、何を食べるか聞きながら微笑むのだった。

 ▇◇ー◈ー◇▇

 家でも看護をしながら三~四日に一度は病院に行き、脱水を防ぐために輸液をして貰にいくも、一ヶ月近く経っても胡麻はこれといった改善が見えなかった。

 医師も、悩みながら栄養剤の投与など、あの手この手で対策はしてくれているものの今日のレントゲンでも胃で頑なに鎮座する異物は小さくなる事も無く、このままであれば腸閉塞を起こす可能性もある。しかし、体力が落ちた状態では麻酔だけでも危険が伴い、手術は患畜の体力を大きく奪ってしまうため成功したとしても後の保証が出来ない。と、沈痛な面持ちであった。
「胡麻、おやつだよー」
 病院で疲れた胡麻へ、大好物であるペースト状になったおやつを景元が差し出せば、指に掬い取った分だけを嘗めて直ぐに伏せてしまう。
「もっとあるよ……?ほら」
 棒状の袋を差し出しても、匂いを嗅ぐだけで目を閉じる。
 体重もこの一ヶ月で半分近く減り、触れれば被毛の直ぐ下に骨の硬さを感じた。
「胡麻、食べないと死ぬぞ」
 刃が声をかけながら景元からおやつを受け取り、やや強引に口の中へと押し込む。むちゃむちゃと咀嚼はしているが、呑み込むまでにも時間がかかり、疲れたように大きく息を吐く。
「胡麻、ほら……」
 刃が再度、食べさせようとするも、胡麻は前足で顔を隠して嫌がる。食い意地の張った胡麻が食事、ましておやつを拒否するなど、今までならば有り得ず、刃は無言で項垂れて手を硬く握り込んだ。

 薄らと刃の視界が滲み、温い水が頬を伝う。
 きつく引き結んだ唇が微かに震え、景元の前で在る事を意識して涙を止めようと尽力しても止まらず、次々と溢れて胡麻の寝床を濡らしてしまった。
 まだ死んだ訳ではないのに情けない。そう一笑に付してしまおうとしても、喉が引き攣って声が出ず、呼吸が乱れるばかり。景元の顔も見られずに、俯いてれば温かい手が顔を拭い、髪を撫で、背中に置かれる。
「すまん……」
「ごめん……」
 絞り出すように刃が謝罪を口にすれば、景元の抱き締められ、同じように謝りながら鼻を啜る音が聞こえた。徐々に命の灯火が消えていく様を見て、心が苦しくならない者は居ないだろう。それが、身近な者で在るならば尚更。
 刃が景元と同じように背中を撫で、互いに慰め合う。

「ただいまー」
 玄関から声が聞こて二人は慌てながら離れ、買い物袋を下げて居間へ入ってきた応星と母親を見やる。
「何買ってきたんだ?」
「新しいエネルギー食?」
 少しでも栄養を取らせようと、水分が多い物や、高カロリーの療養食を胡麻に与えていた事は応星も知っている。
「今からべそかいてるお前等に言うのもなんだけど、余所の国じゃ大事な家族の最後に、とびきり美味しいものを上げたりするんだって。本当は食べさせちゃ駄目な奴とか。それはちょっとどうかと思ったから、めちゃくちゃいい牛肉買ってきた」
 涙ぐんでいる景元と刃を茶化す応星も、説明しながら瞳は滲んでおり、一息に言い切ると思い切り息を吸い込んで逃げるように台所へと向かう。
「母さん……」
「どんなに悩んでも行動しても、どうやったって後悔は来るから、せめて思いつく限りの事はしてあげようと思ってね」
 目を擦る刃と景元の頭を母親はそれぞれに撫でていれば、ものの数分で応星が戻ってくる。手には、胡麻が呑み込み易いように出来得る限り小さく切って焼いた肉が紙皿に乗せられていた。
「とびきり美味い肉だぞ。一口でも食べてみないか」
 応星の呼びかけに胡麻が目を開け、差し出された肉の匂いを嗅ぐ。興味は持っているようで、小さく口を開けた隙に腔内へと放り込むと、ゆっくりとだが味わっているようだった。
「いっぱいあるからな」
 次の肉を準備し、呑み込むまで皆が見守る中、胡麻が唐突に立ち上がると、全身を震わせて嘔吐く。
「ごっ……、だ……」
 突然の動作に肉が駄目だったのか、もう最後なのかと応星が青ざめていれば、酷く餌付いた後、胡麻は口から大きな塊を吐き出し口の周りを嘗めながら息を吐いた。
「なんだこれ……」
 刃が吐き出された物をまじまじと見詰め、首を傾げる。
 茶色い欠片は今し方食べた肉。どろっとした色つきの物はおやつだろう。一見、真っ黒な極太のソーセージにも見える物体を八つの眼が真剣に眺める。
「毛か、これ……」
「嘗めた時に呑み込んだ毛が胃の中で絡まって、塊になって出て来なかったのが今出てきた。って事かな……?」
 人間達が自らが吐き出した物で真剣に議論する中、胡麻は応星の持った紙皿を叩き落とし、床にばらまかれた肉を美味しそうに咀嚼する。
「食ってる……」
「食べてるな……」
 応星と刃が、胡麻が夢中で肉を食べる姿に声を震わせ、その後ろで景元や母親も唖然としながら見守った。
「まだ食べたい?あ、おやつあるよ」
 景元が試しにペースト状のおやつを絞り出せば、以前と同じように食らいつき、半分ほどを食べると顔を洗いながら口の周りを満足そうに何度も嘗めてる。

 吐き出された胃の内容物はビニール袋に入れて保管し、翌日、柔らかくふやかした物ではあるが、以前と同じように食事をする胡麻の様子に一同感動する。
 体調を見て病院に連れて行けば、胃の中にあった異物は見事に消えており、吐き出された毛の塊を見て医師も驚いていた。
「こんなに大きい塊、良く吐き出せたね」
 診察台の上で香箱を組んでいる胡麻の頭を優しく撫で、語りかける医師。吐き出された塊は、資料として預かるとの申し出があり、胡麻の毛とは言え、消化液まみれの物など捨てる以外の選択肢がないため快く提供する。
「まだ油断は出来ませんが、食事が出来るようになったなら様子見で大丈夫でしょう。心配ならビタミン剤を投与して輸液をしておきますがどうされますか?」
「うーん、水は飲んでるけど……」
「まだ前ほどは食べられてないので、お願いします」
 医師の言葉に皆が安堵の吐息を吐き、輸液が終わって診察台にキャリーバッグを置いても入らず、胡麻は近くに居た応星によじ登ると腕の中で満足の鼻息を鳴らす。
「甘えられるくらい元気になったんですね」
「不調だった時期を取り戻すみたいに甘えてきます」
 刃の科白に医師は表情を綻ばせ、甘えたいのに可哀想だが。を前提にしてキャリーバッグへ入る事を促す。待合室に出れば大男二人とその陰に立つ男子の集団に驚く待合室の面々を尻目に気の抜けた表情で待ち、お金を払うと駐車場で待っていた母親と合流する。

 刃や応星、景元が代わる代わるに報告をし合い、耳を傾けながら微笑んでいた。
「よーし、今日はお財布痛い痛いデーって事で、奮発して家で焼き肉しよっか。胡麻にも分けてやれるしね」
 母親の宣言に息子等は湧き、スーパーへ行くと応星が母親から財布を預かり、刃がカートを押しながら、景元がタレや具材など必要な物を入れていく。
「応星、あの時、胡麻にやった肉って凄く良い肉だよな?」
「うん、なんか俺の作品買ってくれた人が居て、それで滅茶苦茶、高いの買った。シャトー何とかって言う。掌くらいの大きさで万する奴」
 籠に入った肉を見て、三人は無言になる。
 決して粗末ではないものの、一般的な肉の価格でとんでもない高級品ではない。
「胡麻、食べるかな?」
「一度味を占めたら戻れないんじゃないか?」
「確かに美味そうに食べてたな……」
 最後と思っていたのが思わぬ延命効果を得られ、喜ばしい出来事であるが、そんな高級品を食べた後に普通の肉で満足するのか。誰も言わないが、心の片隅に引っかかるものを感じながらスーパーを後にした。

 結論を言えば、最初こそ小さく切り分けられた少量の牛肉に飛びついたものの、首を傾げつつ『なんかこれじゃないな』感を出しながら完食だけはした胡麻であった。

【その四】

拍手

PR

コメント

プロフィール

HN:
No Name Ninja
性別:
非公開

P R