・現パロ
・応星と刃が双子設定
・ちびっこ景元が色々大暴れ
・両親設定のモブが大変出張ります
・みんな仲良し設定です
・そこそこ長い(五万字越え)
氷火山様(@ cryovolcan0)に右応、右刃Webオンリーのロゴやヘッダー(こちらで使わせていただいているイメージぴったりの素敵なロゴです:
illust/121870969)を作っていただいたお礼の遊園地デートのお話になります。
▇◇ー◈ー◇▇
思えば、あれが初恋だったのだろう。
景元は出会った頃を思い出しながら、隣で項垂れて静かに涙を流す横顔を見詰める。
幼い己はそうとも知らず、無邪気に彼を慕い、最早、傍若無人と表現していいほど振り回していた。なのに、自覚してしまえば慰めることすら上手くいかない。
これを、拭ってやってもいいものか。
景元が少しばかり逡巡しながらも手を伸ばし、避けられなかった事を良しとして指の甲で涙を拭い、艶やかな紫烏色の髪を撫でて背中に手を当てた。
▇◇ー◈ー◇▇
景元がまだ五歳ほどの時分。
夏真っ盛りで燦々と太陽が地上を照りつける昼過ぎ。幼稚園から母親の車に乗って帰宅すると、自宅の真向かいに引っ越して来た一家と遭遇した。
一軒家の前に置かれた大きなトラック。
その荷台から大小の家具を家に運び込んでいる最中で、中が慌ただしいためか、そこの子供と思しき二人が白い塀に寄りかかりながらキャリーケースに手を入れて何らかの動物と戯れていた。
四、五歳ほど年上に見える少年達は一つの日傘を共有して差していたため顔は良く見えないが、にゃ。と、小さく聞こえた声は動物好きの景元の興味を誘ってしまい、親が止めるのも聞かずに駆け寄ってしまった。
「こんにちは!」
「こっ、こんにちは?」
「どうも……」
幼児が勢い良く近づいて来るものだから、驚いた二人の声は揺れていた。
日傘の下に在った顔は、対照的な白と黒。どちらも髪が肩よりも長く、黒髪の少年は紅い眼を瞬かせ、白髪に紫の眼をした少年は微笑んで、
「何かご用かな?」
と、問いかけてきた。
「ねこさんにさわってもいいですか?」
「あぁ、構わないが……」
黒い少年が応え、猫が飛び出さないよう警戒しつつもキャリーケースの上部にある蓋を全部開けて覗き込めるようにしてくれた。
中に入っていたのは黒猫だ。
今はまだ日があるからしっとりとした被毛が煌めいて輪郭もはっきり見えるが、暗闇なら完全に溶け込んでしまいそうなほどの青みが掛かった黒、瞳は鮮やかな紅に黄が滲んだ綺麗な猫だった。
「ねこさんのおなまえはなんですか?」
「胡麻」
「ごまちゃんですか?」
「あぁ、黒胡麻みたいに真っ黒だから」
黒い少年が名前を教えてくれ、白い少年が理由を補足してくれる。
「こんにちは?」
景元が覗き込んでも、胡麻と呼ばれた猫は警戒して耳を伏せながら睨み付けていたが、それでも構わず手を伸ばすと手に噛み付かれ、思わず悲鳴を上げる。
「大丈夫か⁉」
「いたい」
白い少年が慌てて景元を庇い、黒い少年はキャリーケースごと胡麻を引き離し、息子の度を過ぎた動物好きに呆れながらも子供達の交流として見守っていた母親が慌てて駆け寄って来る。
「あぁ、血が……、消毒しないと」
「すみません……」
おろおろとする母親に対し、猫を庇うように黒い少年がキャリーケースを抱き締めながらも謝罪する。
「こちらこそごめんなさいね。景元、怖がりの猫さんを無理矢理触ろうとしては駄目だと言ったでしょう?」
「うん……」
景元は、動物に好かれ易い自身を過信していたが、手酷い拒絶と母親の叱責に落ち込みを見せた。
「また改めて挨拶にお伺い致します。さ、帰りますよ」
「はぁい……」
やや不貞腐れながら母親に抱き上げられ、景元は運ばれる。
少年達はどんな叱責が飛んでくるものかと内心、かなり動揺していたのだが、子供は涙目になれども大声を上げて泣く事はなく、親も警戒している猫を無理矢理触ろうとした子のせいだと判断していた。
この親子の意外さに少年達は顔を見合わせつつ、手を振る景元に小さく手を振り返していた。
▇◇ー◈ー◇▇
翌日、園から帰ってきた景元は、父親と真っ直ぐ真向かいの家に行った。
双方の親が頭を下げながら話している姿を尻目に、景元の目は猫と二人の少年達を探す。
「ごまちゃん」
居間に続くであろう柱から、顔を半分だけ覗かせて来客を確認に来た猫を見つけた景元が笑顔で包帯の巻かれた手を振っていると、『この通り、息子は動物を見るといつもこうで』などと苦笑する声が頭上から聞こえたが、気にせず自身を睨んでいる胡麻を見て目を輝かせていた。
「ただいま」
帰宅を告げる声と共に白髪の少年を肩で支える黒髪の少年が玄関を開き、昨日、出会ったばかりの幼児と父親らしき人物が居た事に瞠目していた。
「おかえ……、やだ、応星どうしたの?」
「熱が出たみたい」
顔を真っ赤にして足下も覚束ない応星と呼ばれた白髪の少年を慌てる母親の手に渡し、黒髪の少年は訝しそうに景元を見やる。
「おかぜ?」
「いや、応星は体が弱いから……、引っ越しや新しい環境に疲れたんだと思う」
自身も見ていながら無邪気に見上げてくる瞳に少年は少しばかりたじろいだが、辛そうな兄弟を部屋へ連れて行く親をちら。と、見て答えた。
「君も少し顔色が良くないようだ……」
「俺は大丈夫」
黒髪の少年は小さく溜息を吐き、靴を脱いで家に上がると猫を抱いて景元の元へと戻り、玄関口へと座る。
「触るか?」
表情も乏しく、口数も少ないが随分と他人を気を遣っている様子で、母親が戻ってくるまでの場繋ぎをしているようだった。
「おこらない?」
「俺が抱っこしてるから」
少年の言葉に景元は満面の笑みを浮かべて猫にそうっと手を伸ばし、優しく頭を撫でる。
景元の父親は、子供等に確執が残らなかった事へ安堵しつつも、噛まれても懲りない息子に冷や汗が流れっぱなしである。親の心子知らずとは良く言ったもので、猫を撫でられて満面の笑みになっている景元はそれに気がついてはいない。
「おにいちゃんもなでてあげる」
「なんで?」
「いいこはほめてもらえるんだよ」
黒髪の少年が眉を下げ、困ったように薄く笑う。
体の弱い兄弟が居れば大なり小なり親はそちらを優先してしまい、片割れは必然的に補助に回って自身が何かで困っても、体調を崩しても親の負担を考えて口に出さなくなりがちである。
「すみません。刃、ありがと」
「いえいえ、うちの子に構って戴いて逆に申し訳ないくらいで」
子供達を余所に、大人がまた会話を再開し、五分ほどでお暇する事となった。
「おにいちゃんさようなら」
景元が礼儀正しく頭を下げると、少年達の母親は感心したように小さな声を上げた。
「あぁ……、うん、さようなら……」
釣られて刃と呼ばれた少年も頭を下げ、膝に乗せた猫の手を持って手を振らせていた。
▇◇ー◈ー◇▇
「お前の家って、あんま親居ないの?」
「いない、わるものをやっつけるおしごとだからいそがしいんだって」
慌てて出て行く母親に手を振っている様子を見ていた応星が家から出て、親の車が見えなくなるまで立っていた景元へと話しかける。
両親共に、景元を幼稚園まで迎えには来てくれても、家に着いて雇いの家政婦に引き渡せば直ぐに職場へと戻ってしまう。子供にも解り易く説明してぼかしてはいるが、両親は検察官として様々な事件を取り扱い、定時退社などは滅多になく家族が揃う日は珍しい。
帰宅すれば小学校受験のために用意された教材で勉強をするか本を読み、夜は家政婦が作った食事を食べ、独りでお風呂に入り、就寝するまでが景元の日常だ。
「おとうさまもおかあさまも、ごりっぱなおしごとをされてておいそがしいんですから、いいこにしてないとだめですよ。っていつもいわれる」
忙しい中でも、少しでも交流を持とうとしてくれる両親に感謝しなければならない。そう諭してくる周囲の言葉に、景元は素直に頷き寂しさを我慢する毎日。常に言われているからか、淀みなく家政婦の言葉を復唱する景元へ、応星が口角を下げて頭を掻いた。
「んん、ちょっと家入って待ってな」
「はーい」
景元が言われた通りに家へと入り、いつも通りに勉強をしていると呼び鈴が鳴り響き、家政婦が『坊ちゃん』と、呼びに来た。
呼ばれて行くと、応星と刃が並んで立っており、
「良かったらうちで飯食わないか?」
そう誘ってくれた。
景元は困り顔の家政婦を不安げに見上げる。
「わたくしでは許可しかねますので、今日の所はご遠慮戴けませんでしょうか?坊ちゃんのご両親へ話は通しておきます」
「解りました。そうします」
答えたのは刃で、二人は軽く会釈してから帰って行く。
家政婦としても家と子供を預かる立場としては二つ返事で許可は出来かねるのだ。万が一、何か事故があった場合、自身の責任になってしまう。雇われ人としてそれは避けたい事態だ。
「坊ちゃん、折角出来たお友達ですし、悪いようにはしませんから」
景元が解り易く唇を尖らせ、寂しそうにしていると家政婦が慰めの言葉を吐き、それに少しばかり口元が緩ませる。
幼稚園、小学校を受験するに当たり、周囲の子供は全て敵として勝ち負けに拘り、神経が逆立っている親も多く、家で何を吹き込まれているのか慣れ合いを悪として他と関わらない子供も少なくはない。
最初こそ皆と仲良くしたかったのだが、いわゆる『出来のいい子供』である景元は、子供の嫉妬心を逆撫でするのか、階段で突き飛ばされて怪我をして以来、交流は消極的だ。幼児用の低い階段とは言え、痛いものは痛く、楽しくも可愛くもない人間と一緒に居るよりも兎小屋の兎でも見ていた方が余程、気分がいいと気付いてからは同じ幼稚園の子供とは関わりは避けていた。
そんな景元が可愛い猫を飼っていて、優しいお兄さん達に懐かないはずもなく、両親の許可を期待しながら、その日は寝床に入った。
▇◇ー◈ー◇▇
「景元、真向かいのお兄さん達と仲良くしたいの?」
翌日、昨日の夜に話を聞いたのか母親が話を切り出してくれた。
父親は既に出勤しているようだが、話は聞いているらしい。
「やさしいしすき」
端的に景元が言えば、母親は考える素振りを見せていた。
そして、齎された回答は、待っていて欲しい。だった。
「なんで?」
「優しそうに見えても、酷い事をする人は一杯居るのよ」
景元は納得いかずに抗議の声を上げるも母親は首を横に振り、頑として安易な肯定はしなかった。
検事は警察が検挙した容疑者を疑い、罪を暴いて有罪にすることが仕事。職業柄、どんな優しそうな見目をしていても、平気で人を騙す輩は見慣れており、相手が越してきたばかりでどんな人柄かも解らないとして息子にも許可は与えなかった。
優しいながらも厳格な性格の両親は根回しもしっかりしており、幼稚園から帰宅した景元が父親の背中を見送った後で勝手に応星と刃の元へ行こうとすると、家政婦に首根っこを掴まれ、玄関脇にある子供部屋へと連れ戻される。
「坊ちゃん、いけませんよ」
「ねこみたい」
「動画で我慢して下さい」
「さわりたい」
「動画見ながらもふもふした毛糸でも触ってなさい。それとお勉強です」
景元はあからさまに不機嫌な表情を作るが、子供の扱いに慣れた家政婦はものともせずに景元を一階にある自室へと放り込むと扉の外から大人しくしているよう指示を出して離れていった。
あんなにやさしいおにいさんたちがわるいひとなわけないのに。
机上に受験用の教本を広げながらも、不満に口を尖らせる景元が窓から外を見上げながら、椅子を使えば鍵を開け、窓から出られると算段を付け実行に移す。
景元は窓から身を乗り出し、決して降りられない高さではないと確認するとサッシを掴みながら壁伝いに降り、裏庭に続く砂利道へと靴下のまま着地し、道路を見渡して人や車の通りを確認すると応星と刃の元へと走った。
「ごまちゃんー、おにいちゃんー」
玄関のインターホンには手が届かなかったため庭に回り、居間の掃き出し窓前で日向ぼっこをしていた胡麻とソファーに座っていた刃、応星へと手を振る。
「何してんだお前⁉」
裸足も同然でやって来た景元に応星は目を剥き、窓を開けて問い詰め、胡麻が驚いて脱走しないよう抑えながらも刃が呆気にとられた顔をしている。
「お前、行動力あるなぁ……」
景元の汚れた靴下を脱がせて部屋へと上げ、応星が感心したような、呆れたような様相で温めた甘い牛乳を渡し、
「勝手に出てきたら駄目だろう」
胡麻を抱えながら刃が説教をする。
景元は甘い牛乳を一息に呑み干すと、胡麻が居る刃の膝へと強引に割り込み、猫を撫でながら自身も撫でて貰える至高の空間へ身を投じる。
「だって、おにいちゃんたちいいひとなのに、かあさんがいじわるいうんだ」
甘えながら達者な口で不満を吐きつつも、猫の柔らかい感触と、優しく撫でてくれる刃の手に口元を緩ませて甘える。
しかし、そんな幸せな時間は『坊ちゃん!』との、叱責の声で終わりを迎える。
「勝手に出て行くなんて、心臓が縮み上がりましたよ⁉」
事情を聞いた応星達の母親が慌てて伝えに行き、子供部屋を確認した家政婦は預かったご子息が忽然と消えている事実にそれはそれは肝が冷えたことだろう。
「坊ちゃん、帰りますよ!」
知らない人間が駆け寄ってくる姿と張り上げられる声に胡麻が驚いて刃の肩を駆け上がって逃げ、景元は引き離されまいとしがみつく。
「坊ちゃん!」
「やーだー!」
「そんな我が儘言うと、二度とお兄さん達に会えなくしますよ!」
叱られる声に景元は涙を浮かべ、唇を曲げて家政婦を睨み付けている。
大人達からすれば、明らかに許可も得ずに勝手に抜け出した景元が悪いのだが、彼にとって、家政婦は楽しい時間を妨害する邪魔者でしかない。
「なぁ、家に帰らないとあのおばさんが困るから……、胡麻も逃げたし、また遊びに来たらいい」
「んー……」
刃に説得され、景元は鼻水を啜りながら渋々離れ、家政婦に腕を引かれて家に帰る。応星と刃、その母親が見送ってくれたが、この件がどう両親に伝えられるのか、本当に二度と会えなくされるのか、落ち込むばかりだった。
▇◇ー◈ー◇▇
「景元、起きなさい。話は聞きました」
早朝、不貞腐れてご飯も食べずに眠ってしまった景元の前に、母親が険のある顔つきで仁王立ちをしていた。常ならば目覚まし時計が鳴っても中々開かない瞼が一瞬で上がり、景元は寝台の上で正座して母を迎える。
「まだ駄目だと言っていたのに、言いつけを破って勝手にあの方達のお家に行ったんですって?」
「ご、ごめんなさい……」
「あのね、あの子達、前の学校で同級生に怪我をさせてるの、もう二度と遊びに言っては駄目よ」
どうやって調べたかまではまでは口にしなかったが、はっきりと接見禁止が言い渡され、景元は大きな目を更に大きく見開き、昨夜から食事をしていないため、空腹を訴えるお腹を無視して布団の中に潜り込んで籠城した。幼い子供に出来るせめてもの抵抗である。
「わるいおにいちゃんじゃないもん!」
「景元⁉」
叱りながら布団を剥がそうとする母親に負けじと反抗はするものの、女性とは言え大人の力に敵うはずも無いため景元は敢えなく寝台の上から引きずり出され、食卓に着かされた。
カウンターキッチンの奥では家政婦がおろおろと右往左往している。
「いいですか、素行の悪い人達は貴方のためになりません。もう遊びに行っては……」
「わるいひとじゃない!」
景元は母親の言葉を遮り、憤慨も露わに叫ぶ。
素直で大人しい息子の初めての反抗に、どこか動揺しながらも母親は首を横に振るばかり。
「あのね、こっちはちゃんと調べてるの。特に弟さんの方は喧嘩ばっかりする乱暴な子だって、貴方を苛めるかもしれないのよ?」
「いじめられてない!」
朝ご飯に手を付けず、必死に擁護する景元に呆れたのか、母親は小さく嘆息し、『早く食べなさい』とだけ言って締めた。
お腹は空いていても、食べたら母親の言葉に屈服したようで、意固地になってしまった景元は時間になっても手を付けず、くるくると空腹を訴える胃を宥めるように撫でて後部座席でお腹を押さえていた。
当然、幼稚園で行われる外国語の勉強にも集中できず、お弁当の時間になるまでお腹が鳴りっぱなし。最終的に、いざ家政婦が作ってくれた色鮮やかな弁当を見ても食欲が湧かなくなっていた。
「景元君、大丈夫?今日は元気ないね」
幼稚園教諭の一人が、あからさまに元気のない景元を気にかけては見るも、頷いただけで無言である。熱でもあるのかと顔を覗き込んでも特段顔色は悪くなく、ただ機嫌が悪いと判断した。
「お寝坊して朝ご飯でも食べ損ねちゃったのかなー?お腹いっぱいにして元気になろうね」
「はい……」
景元は促されるまま小さな幼児用のフォークで赤いウィンナーを突き、昼休憩終了の時間までかかって弁当を食べきり、幼いながらもやはり母親の一方的な発言は可笑しいと思い出しながら怒る。
心根が賤しい人間はそもそも気遣ったりはしてくれない。
優しさを装う人間は大人、立場のある権力者が見ている場所に限定してそれらしい微笑みを浮かべるが、何もない子供へは幼いからと解り易く侮って薄ら笑いを浮かべながら横柄になるか、無視するものだ。
景元は小賢しいと言えば聞こえは悪いが、頭が良く、人をつぶさに観察し、物事をよく理解する。
無論、賢しくとも知識や経験の足りなさから理解が及ばない物事も多くはあるものの、今回の出来事は子供心にも理不尽だと感じていた。顔を合わせたらもう一度『おにいちゃんたちはわるいひとじゃない』そう主張するつもりだったが、迎えに来たのは家政婦で、家に帰っても憤懣は解消されず、いつもは嬉しいはずの甘いおやつにも心が冷めたままだった。
「坊ちゃん、プリンをつつき回してはいけません。お行儀悪いですよ」
「だって、おにいちゃんたちわるいひとじゃないもん」
主語のない発言ではあるが、経緯を知っている家政婦は困ったように眉を下げ、
「確かに悪い子達じゃ無いとは思うんですけどねぇ……、人に怪我させたって言ってもこちらは状況を知らない訳ですし……。でもね、わたくしは奥様の言いつけには逆らえませんので、もう許可が出るまで行っちゃ駄目ですよ」
「えぇー……」
一瞬、味方が出来たと目を輝かせた景元ではあったが、即、味方にはなれないと言われて匙でプリンを崩す作業に戻ってしまった。
「坊ちゃん?食べないなら下げますよ」
「たべる」
ほぼ原形を留めていないプリンを掬っては口に運び、一口ごとに構ってくれた優しいお兄さん達と可愛い猫が頭に浮かんで体がそわそわと落ち着かない。
「もう勝手に出てはいけませんよ?解りましたか?」
「はい……」
食べ終われば部屋に追いやられ、景元が窓を確認すれば鍵が開かないように幾つもの簡易錠が付けられていた。窓の下部に付けられたものは外せそうだったが、上部に位置する簡易錠は椅子に上っても手が届きそうにない。こんな心理状況では勉強しようにも気分が乗るはずもなく、景元は床に転がりながら本を読んでいる最中に寝入ってしまい、夕飯の時間に家政婦から寝台の上で起こされた。
よほど深く寝入っていたのか、様子見に来た彼女が寝台に移してくれた事にも気がつかなかったようだ。
「かあさまと……、とうさまは?」
「大事なお仕事があって、今日は帰ってこられないとご連絡がありました」
食卓についても相変わらず両親の姿はない。
日常ではあるが、話したい時に居ないのは気落ちしてしまうものだ。夕飯も半分ほど食べて椅子を降り、寝支度をすると溜息を吐きながら寝台に入る。数日前に夕食に誘いに来てくれた応星と刃を思い浮かべ、あの賑やかな食卓で食べたら楽しいだろう。と、夢想する。
誰も居ない空間を見ながらの食事は、あまり味がしない。いい子にしなければ、両親に見捨てられるかもしれない恐怖を心の奥底に広がるも、暖かな場所を欲する心は焦燥感として募っていくばかりである。
▇◇ー◈ー◇▇
朝になり、父親が疲れた様子でパンを囓っていた。
起こされなくても自力で起きてきた景元を珍しいとして父親は褒めたが、反応の鈍さに疑問を持ったのか、理由を尋ねてくれた。
「かあさんがね、おにいちゃんたちとあそんじゃいけませんって……、わるいこたちだって……」
「あー……、そう、だなぁ……。でも、前会った時に悪い印象は無かったんだけどね……」
「だよね!」
景元は勢い良く顔を上げ、縋るように父親を見詰めるも、難しい表情で首を傾げるばかり。
「でも、かあさんが駄目ってるのを私が色々言うのも……、いや、景元はお兄ちゃん達が大好きなんだよね?」
「うん、ねこさわらせてくれたし、なでてくれたもん」
父親は単純な息子に苦笑しつつ、母親と話し合ってくれる事を約束してくれた。
幼稚園に行く前、学校へ行く応星と刃の姿が見えたため、景元が車の後部座席に据えられたジュニアシートから身を乗り出して懸命に手を振ると、応星は笑顔で大きく振り返してくれ、刃も兄の後ろで控えめながら手を振り返してくれた。嫌われていないと安堵した景元は、幼稚園へ行っても機嫌が良く、昨日の不機嫌は偶々と幼稚園教諭も安堵する。
今日は母親が迎えに来てくれ、話す好機として景元は切り出す。
「あさね、おにいちゃんがてふってくれたよ」
景元が言う『お兄ちゃん』が誰を差すのか理解した母親は、小さく嘆息すると眉根を寄せながら無言で運転する。
「かあさん……?」
今まで、余裕が無いにしても『少し待ってね』などの文言が一言なりとはあったため、完全に無視される状況に景元は不安を覚え、薄く涙を浮かべて縮こまってしまう。
「あのね、繰り返しになるけど、あのお兄ちゃん達はお友達を平気で殴ったり蹴ったりして傷つけられるような人なの。そんな人と仲良くするなんてとんでもないわ」
家の駐車場に車を止め、運転席から振り返った母親は険しい表情で景元に苦言を呈する。
「じじょーがあるのかも……!おはなしきかないできめつけるのはよくない、ってまえいってた!」
テレビで流れる物語を見ていても、何か行動をする際には理由がある。
親からもそうやって叱責された経験がある。その親本人が何をどう調べたかは不明にしても、一方的に否を突き付けている状況は違和感でしかない。
「どんな理由があっても、相手を病院送りにするような人間を信用できる訳ないでしょう」
「びょういん?」
「そう、何もしてないお友達を蹴って骨折させたんですってよ。こんな時期に引っ越して来たのもそれが原因でしょうね」
母親は冷たく言い放つと車から降り、ジュニアシートのベルトを外して景元にも降りるよう促すが、母親の待つ反対側の扉から飛び出した景元は悲鳴のような追いすがる声を無視して一心不乱に走り抜いた挙げ句、見知らぬ公園までやって来た。
昼過ぎの公園とあって親に連れてきて貰ったのだろう砂遊びをする幼児や、友達と走り回って騒ぐ子供等が目につくが、息を切らした景元を気にする人間は居ない。
走り疲れた景元が、強い日差しを避けて木陰に移動するも、目の前をスケボーで走り抜けた子供に驚いて、避けるように器用な動きで木へと昇る。
木の枝は太く、景元の体を支えるに不足はない。
強い日差しも遮りながら心地好い風が通り抜け、ささくれていた景元の心を落ち着かせた。
言葉に出来ない心のもやもやが母親に従う気持ちをなくさせ、感情的になって飛び出した挙げ句、追跡を撒くため右に左にとひたすら走り回ってしまったが故に帰り道がさっぱり解らない事態に陥ってしまった。
葉の陰から周辺に居る人間の顔を覗き見るが、知っている顔はない。
「どうしよ……」
木の幹に背を預け、枝に跨がりながら景元は足をぶらつかせる。
焦ったような母親の声。振り切ろうと必死になるあまり、振り返りもしなかったが背後からどさ。と、音がしたため、もしかしたら転んだのかも知れない。
心配してるかも。そんな気持ちと追いすがろうとして転んだであろう母親を見捨てた罪悪感が景元の心をちくちく刺した。
「あつい……」
直接的な日差しは遮られているとはいえ、暑さはじわじわと景元の体力と体内の水分を奪う。何も持たずに飛び出したため、水筒などの補給手段もない。
来た道を探りながら帰ろうか悩むも、自身の手で登っておきながら地上を見ると思いの外高く、降りようにも足が竦んだ。
次第に暑さは景元の身を侵し、顔に汗が伝い、着ていたシャツにも汗が滲み出す。何度も意を決して飛び降りようとしても、下を見ると高さに恐怖が湧いて動けない。
どうしよう。どうしよう。と、ばかり頭に浮かんで解決策などは出てこない。不安から目に涙が溢れてこぼれていく。たまらず景元が小さな嗚咽を上げていると、
「応星、ちびが居たー」
そんな声が聞こえた。
聞き覚えのある声に顔を手の甲で擦って地上を見やれば、木の根辺りで刃が景元を見上げている。
「動くなよ」
そう言って刃は木をよじ登り始め、
「ほら、俺に掴まれ。降りれないんだろ?」
「うん……」
顔を涙と鼻水で汚しながら景元は刃の背にしがみつき、少年は背負った幼児の重さなどないかのように降りていく。
「見付かって良かったなー、刃おてがらじゃん」
「おにーじゃぁん……」
応星に頭を撫でられ、余計に景元は泣きじゃくる。
「お母さんも探してたから、後であやまるんだぞ」
刃に諫められて景元は素直に謝るが、どのような叱責が母親からもたらされるものか、またそれはそれで落ち込み出す。
「かえるのやだー」
刃の背にしがみつき、揺られながら帰路につく景元は怒られたくないあまり、帰宅拒否を口にする。が、直ぐに家の前に辿り着いた事で、かの公園は大した距離ではなく極々近所である事が知れた。
本人としては、母親の手が届かないほど遠くに逃げたつもりであったが、近所をぐるぐる回りながら逃げただけだったのだ。
何だか恥ずかしくなった景元は、刃の肩に顔を埋め、ぐりぐりと額を擦り付けた。
「お母さん、ちび居たよー」
一足先に応星が門扉に立っていた己の母親に声をかければ、慌てた様子でスマートフォンを手に取り、電話をかけだす。
お子さん見つかりましたよ!そんな声が聞こえて数分で景元の母親が駆け寄って来る。化粧が崩れるほど汗をかいていても顔色は蒼白で、擦りむいている膝からストッキングが伝線して破れ、靴は掃いていない。駐車場の側にハイヒールが一足転がっている。転んだ際に折れたヒールが邪魔で脱いだのだろう。
母親は景元の姿を認めると脱力したようによろめき、塀にぶつかる。
「景元君だっけ?汗いっぱいかいてるから、これ飲んどきな。お母さんもね」
「ありがとうございます」
景元は赤い顔をしながらも渡されたスポーツドリンクを両手で持って礼を言えたが、母親の方はアスファルトに座り込んで肩で息をしながら頷いたのみだ。相当に走り回っていたのだろう。
刃の背から降ろされた景元も、座り込む母親も、五〇〇ミリリットルのペットボトルを一気に飲み干し、大きな溜息を吐いた。
「ご、ご挨拶……、は、また、後で……」
どうにか絞り出した様相の礼を景元の母親がすると、
「何言ってんの、貴方も坊ちゃんも病院に決まってるでしょ。自分がどんな顔色してるか解ってないでしょ?」
刃と応星の母親は、てきぱきと仕切りながら自分の車の後部座席に二人を押し込むと、
「刃、応星、あちらの家政婦さんに事情説明して、ちょっとの間、留守番しといて」
そう言って嵐のように車を出した。
景元と母親を乗せた車内は涼しすぎるほどの冷房が効いており、見つかり次第、病院へ連れて行く算段であったのだろうと知れる。
「かあさん、おしごといいの?」
「よくない……、けど、貴方を放って行ける訳ないでしょうが……」
精神的、肉体的にも疲労困憊の様子で母親が軽く景元の頭に手を乗せると、引き寄せて自らの膝に寝かせる。
「ごめんなさい……」
「うん……」
短い会話であるが、景元は癇癪を起こして迷惑をかけてしまった後悔に苛まれ、母親は頑なに受け入れようとしなかった相手に救われた事実を重く受け止めていた。
▇◇ー◈ー◇▇
景元と母親、どちらも軽度の熱中症であるとの診断をされ、病院で点滴を受けながら母親同士、じっくり話してみると刃、応星の母は夏の抜けた晴天の如き気風の女性であった。
曰く、引っ越してきたのは夫の急な転勤に会わせてだが、学校はこちらから止めてやったのだと豪語する。
応星は灰がかった銀白色の髪に紫紺の瞳。
刃は紫烏色の髪色に濃紅の瞳。
どちらも陶器で出来た人形のように肌が白く、冬でも日焼け止めを塗らねば肌が火傷したようになり、ケアが欠かせない。
白皮症の特徴が目立つ二人は同校に通う子供等の揶揄対象になるばかりか、見た目にか弱そうな応星が反撃すれば生意気として激烈化し、徒党を組んでの酷い虐めにまで発展したそうだった。
応星は豪快な母譲りで気が強いものの、身体虚弱で体調を崩し易く、体格のいい相手であればどうしても体力、腕力的に負ける。そんな応星よりは身体的に頑丈でも、刃は口が上手くないせいか兄を庇おうとする際、相手が暴力的な事も相まって手が出易くなっていた。
一般的な人間と身体的特徴が異なるだけで苛められ、教師も見て見ぬ振りで助けぬばかりか二人に原因があるとまで曰い、反撃をすれば先に暴力を受けた被害者が加害者扱いされる状況に耐えかねて退校したと笑う。
声の大きな加害者を諫めるよりも被害者を黙らせる方が手っ取り早く、都合がいいのだろう。とも憤慨していたが。
視点が違えば違う真実が見えるもの。
それにしても人を使って調べた情報と事実が余りにも食い違う現実に景元の母は目を剥いた。
応星ほどではないが、景元も髪が尾花色で瞳は黄金色。
紫外線から体を守る色素が先天的に少ないためか日に当たり過ぎれば肌が真っ赤になって痛みに泣き、消耗も激しく活発な気質ながら直ぐに体力が尽きて良く眠る子供であった。
先天的な弱点を持ち、同年代の子と比べても体力が劣る我が子を暴力的な人間から護りたいあまり、狭まっていた視野を彼女は自覚する。
「すみません……」
「いいのよ。お子さんも無事だったし、ご近所さんになったのも何かの縁だし、助け合わないとね」
謝った理由はそれだけではないが、応星と刃の母親はからからと笑う。
二人の母親に別れを告げ、夕暮れになって病院から帰った景元は、点滴を受けた腕をずっと摩り、居心地が悪そうにしていた。
「お母さんは今日中に終わらせなきゃいけない仕事があるから行くけど……、貴方は休んでなさいね。それと、お兄ちゃん達に迷惑をかけないようにするなら遊びに行ってもいいわよ」
ほんの数時間前とは真逆の言葉に景元は首を傾げながらも、早速とばかりに家を飛び出そうとしたが、
「休んでなさいと言ったでしょう!」
都合のいい部分しか聞いていない息子の首根っこを掴みながら引き留め、呆れ顔の家政婦に渡すと着替えてから足早に出て行った。
「またおしごと?」
「お忙しい方ですからね、しなきゃいけない事が多いんですよ」
もしかしたら、今日は夕食を共に出来るか期待していた景元は、落胆しながらも見送った。朝には父親、母親の何れかが必ず共に食事をしてくれるが、父、母、自分。三人揃っての食事は、皆無とまではいかないが、景元が物心ついてから数度しか記憶にない。
休日でも忙しなく出て行く事もあり、どちらかは家に居らず。寂しさを露わにすれば家政婦から言い含めるように『おとうさまもおかあさまもおいそがしいかたですからね』と、窘められることが日常で、彼は弱冠五歳にして諦めを知る。
あす、おにいちゃんたちのところにいこう。
諦めたら切り替えは早い。
明日を想って胸を高鳴らせながら夕食を食べ、寝入る支度を済ませてから景元は寝台へと潜り込む。
明日は日曜日で学校も休みの筈。
暖かく迎えてくれる妄想をしながらも直ぐ様眠りにつき、朝になると目覚ましよりも早く起きてきた景元の物珍しさに父親が驚いていた。
「今日は随分、頑張って起きたね?」
「おにいちゃんとこいくの!」
食卓に座っている父親に昨日出来事を報告すると、『大冒険だったね』と、苦笑する。
許可を貰ったから遊びに行く。そう主張しても矢張り苦笑い。ある程度の話は聞いているようだった。
「先方にも予定があるんだから、自分の都合だけを押しつけてはいけないよ。いいね」
「はーい」
「今日はお父さんが居るから、何か遭ったら直ぐ帰ってきなさい」
「わかったー」
景元は素直に返事をすると家から飛び出し、真向かいにある家へ向かうも、立ちはだかるのは門扉と呼び鈴、景元が背伸びをしても呼び鈴に僅か届かず右往左往。
「何やってんだお前」
ちょろちょろ動く影が見えでもしたのか、応星が玄関を開けて声をかけてくれ、景元は破顔する。
「あそびにきた!」
「それはいいけど、今度はちゃんお父さんかお母さんに言って来たか?」
「うん!」
矢継ぎ早の質問に元気に返事をすれば、応星もにやっと歯を見せて笑い、門扉の鍵を開けて迎え入れてくれる。
「あ、ちび」
景元が居間へ移動すると、胡麻と戯れていた刃が声を上げ、一瞬だけ猫を見て手招く。景元は当然のように遠慮などはせず、刃の懐に飛び込むと胡麻とじゃれ合いだした。
「あ、ちびじゃないよ。けーげんだよ」
「俺よりでかくなったら改めてやる」
猫に夢中になっていた景元だが、不意に『ちび』と呼ばれている人物が己と気がつき、訂正を試みるも鼻で笑われて唇を尖らせる。
「じゃあ、おにいちゃんよりおっきくなる」
「ふん、精々がんばれ」
すっぽりと懐に収まってしまうような景元が、己を追い越す想像が出来ないのか刃は全く相手にせず笑うばかり。
「大きくなりたいなら好き嫌いせずにいっぱい食べないとな」
応星も小さな景元を侮ってけらけら笑い、茶化される本人は拗ねて猫の腹に顔を埋めて鬱陶しがられていた。
猫の頭を蹴られつつ、景元は絶対に二人よりも大きくなってやる。と、心の中で誓う。
【
その二】