▇◇ー◈ー◇▇
景元が二人に懐く形で始まった縁であるが、懐かれると悪い気はしないのか刃と応星も年下の彼を良く可愛がり、関係は良好。
一年経って小学校に上がっても景元は二人について回り、五歳も年下の彼が懸命に張り合おうとする事が面白いのか、毎月の身長測定が定番になった。
身長を測れるキリンを模した壁掛けに三人で伸びた伸びてないの押し問答。
背伸びをして不正を働こうとすれば小突かれ、景元は茶化される。
「おっきくなってるのに-」
「そりゃあ、俺等も成長してるしな」
悔しそうに景元が零せば応星が彼の柔らかい癖毛を掻き混ぜるように撫でる。
年齢が離れているのだから、早々逆転できないなど分かり切った事ではあるが、景元なりに煮干しを食べたり、言われたとおりに沢山食事をするなど努力はしている。甲斐あって伸びてはいても相手も成長期の少年であり、その差は中々縮まらない。
「まぁ、この調子で頑張れば越せるかもなー」
などと頭を叩きながら適当な口ぶりで応星が景元を煽れば、
「おいこすもん」
との仕様も無い口喧嘩。
刃が呆れたように胡麻を膝に置いて眺めている姿は最早日常である。
ただ、応星と景元が口喧嘩をしたり、仲良く遊んでいると解りづらく不機嫌になる事がままあり、最初は仲間はずれにされたようで寂しいのかとも考えていた周囲も本人が『別に』としか言わないため解決の仕様が無かった。
忙しい景元の両親に変わり、よく面倒を見てくれている二人の母親である彼女は『どうにかせねば』と、悩んではいても刃は元々我慢強い性格であり、滅多に不満を口にしない。
「そうだ、今度みんなで遊びに行こうか!」
兎に角発散させて様子見をする。そう結論を出した彼女は景元の両親に早速連絡を取り、遠出の許可を取り付けると夏休みを利用して動物園と遊園地が併設されたレジャーランドへ遊びに行く予定を組む。
「俺も行っていいの?」
「当たり前でしょ。でもきちんと日焼け止め塗るのと帽子被って休憩しながらね」
応星が不安げな面持ちで訊くと、母親は当然と頷く。
刃や景元にも同様の説明と、逸れないようにお互い手を繋いでおくことであったり注意事項を三人に腰を据えて言い聞かせた。刃と応星は当然ながら、景元も体質が似通っているため対応は慣れたもので、着々と準備は進み、一週間後の当日には万全の体制でイベントに臨む。
当日、午前中に家の前に集合した景元は、お出かけ用に買って貰ったのか白い水兵服と帽子、イルカのぬいぐるみポシェットをぶら下げて登場し、可愛い可愛いとちやほやされてご満悦の様子だった。
刃と応星は紫外線を遮る素材を使った簡素な白の長袖のシャツに、光に弱い眼を保護できるよう目深に被れるキャスケットと簡素な装いだが、
「示し合わせるべきだったわ……」
ぽつ。と、呟きながらお揃いの服を着た可愛らしい三人を想像した彼女は密かな後悔をした。
「では、坊ちゃんを宜しくお願い致します」
家政婦に頭を下げられ、景元を預かった母親は外の景色が楽しめるよう窓際に置かれたジュニアシートに誘導する。いつにも増して、ご機嫌で頬の血色は良く、到着前からそわそわしているようだった。
「ちゃんとベルトは締めた?」
母親の言葉へ、後部座席に座る三人は各々に返事する。
「どうぶつえんもゆうえんちもはじめて」
「連れてって貰ったこと無いのか?」
はしゃぐ言葉に反応した応星が訪ねれば景元は隣に視線を移して頷く。
忙しいに加えて過保護気味な彼の両親を応星は思い浮かべ、体調を崩したり、好奇心旺盛すぎて迷子になる等、万が一を考えると連れて行けなかったのか。将来的に、体が丈夫になれば行く気もあったかも知れないが、どのように考えていたのか、母親同士でどのような協議が成されたかは応星に知る由もない。
他愛ない会話で時間を潰し、目的地に近づくにつれ、巨大なコースターや観覧車が車の中からも見えて景元達の期待が高まる。
「あのぐねぐねしたののれる⁉」
景元が足をばたつかせて巨大コースターを指差して興奮するも、
「お前、ちびだからコースター乗れないかもなー」
意地悪く笑いながら、応星が景元のつむじを突く。
「え、のれないの⁉」
「応星、苛めるな……、此奴は一二〇センチ以上あるから大丈夫だ」
本人の素質か、尽力のお陰か景元は同年代と比較して身長が高い。
身長を出汁にして揶揄りだした兄を窘め、期待を打ち砕かれた衝撃で固まっていた景元へ助け船を出せば、意地悪をされたと気づき頬を膨らませて応星を叩こうと手を伸ばす。
「いじわるー!」
「はいはい、ごめんなさーい」
景元はジュニアシートに体を固定されているため、大きくは動けず腕を振って応星に仕返しをしようと試みるも、応星は反対側の窓際に座る刃へ抱きつくようにして避けるため届かない。
「あとでおぼえてろ!」
ベルトで動けないのは今だけ。
降りたら蹴りの一発でも。そう考えながら口を尖らせる景元だったが、苦笑交じりで、
「喧嘩しないで、ほら、着いたよ」
との、母親の声に怒りは霧散して、駐車場からでも視界に入る見上げるような観覧車に感嘆の声を上げた。
それはそれとして、さっさと己を固定するベルトを外して車から降りると、景元は応星の臑を蹴ってしっかりと報復し、満足気にレジャーランドの門を見上げる。
「くそー……」
「自分のせいだろ、やり返すなよ」
「解ってるよ」
臑を蹴られて痛みを与えられた応星は表面上こそ怒って見せるも、実際はそこまででもない。刃はそれを理解していて釘を刺しながら荷下ろしを手伝い、自身もリュックサックを背負う。
「おーせ、ん」
「はいはい」
先程まで喧嘩をしていたとは思えない素直さで景元と応星が手を繋ぎ、それを刃は後ろで小さく溜息を吐きながら眺めた。
更に後ろからは母親が子供達の様子を見ており、じっくりと観察しながら、これは。と、呻る。
チケットをスタッフに提示してから門をくぐり、応星と景元の体力を考えながら園内を回る予定ではあったのだが景元が物珍しい動物にはしゃいで手を引くため、手を繋いでいる応星も必然的に動き回る事になってしまい、一時間と少し程で疲労が見えだした。
「二人とも、少し休もう」
見かねた刃が応星の手を取り、屋内の休憩所にあるベンチへ座らせると天を仰ぎながら大きく深呼吸をする。
「お前はこっち」
幸い、開園して間もないためか休憩所は空いており、刃は景元を呼びながら自身の隣を叩く。まだまだ遊び足りない景元ではあったが、応星の疲れぶりを見ると何も言わず隣に座り、母親は三人が仲良く座る姿をこっそり写真に収めていた。
「お茶持ってきた」
刃は背負っていたリュックサックの中からお茶のペットボトルを出して全員に渡し、飲むように促す。
夏休みも始まったばかりで暑さも当然ながら相応の物。
服に汗染みが出来るほどでありながら消耗を自覚せず遊び倒す景元に、刃はお茶を冷やすために入れていた保冷剤を撒いたハンカチを首に巻き、応星や母親にも同様の物を渡す。
「つめたくてきもちいいー」
「荷物が多いと思ったら……、あんた、ほんとに気が利くね-」
飲料や食事は現地調達と考えていた母親が帽子で顔を煽ぎながら感心したように言えば、うん。と、何とも言いがたい返事をする。直ぐに熱を出し、自身よりも体力が無い応星を補助をする事が当たり前になりすぎて身についたものだが、景元がついて回るようになってから面倒見の良さに拍車が掛かっているのか、なんとも如才なく成長した息子に驚きを隠せないようだった。
「でも、あんたも無理しちゃ駄目よ。しんどかったら言ってくれないと解って上げられないし」
立ったまま、ハンカチに包んだ保冷剤を刃の首に当てて労う母親に、また刃は曖昧に返事をする。
フリーランスの翻訳家として在宅で働きながら我が子だけではなく、近所の子の世話まで始めてしまった母、休みの日でも碌に顔を合わせない医者の父、何かがあれば優先するのは衰弱し易い応星と預りものである景元。蔑ろにされているとまでは思わないものの、優先順位はどうしてもあるのだ。と、理解してしまっている。
「そろそろ次行くか?」
ある程度汗も引き、空になったペットボトルを塵箱に捨て、応星は景元に手を差し出す。
「ねぇ、これさわりたい」
休憩所の壁に掛けてあった案内地図にある、モルモットとの触れあいコーナーを指差して景元が強請れば、屋内展示である事と、歩いて数分の場所にあったため向かう。
小さな森をかたどった木枠の中で、ぷいぷいと鳴きながら動き回るモルモットを見て、景元が鼻息荒く応星の手を引く。
「ばたばた近付くと怖がって逃げちゃうぞ」
「うん、かわいいー」
景元は聞いているのかいないのか、そりの合わない返事をしながら半ば応星を引きずるようにモルモットの元へと向かうと、スタッフの制服を着た男性が近寄ってくる。
「こんにちは、お兄ちゃんと一緒に見学かな?モルモットは恐がりだから優しく触って上げてね」
「はい!」
スタッフのお兄さんに優しく指導されながら景元が一匹のモルモットに手を伸ばせば、腕を橋にして勢い良く駆け上がり肩に乗る。
「凄いね君、自分から乗るなんて滅多にないんだよ」
「そーお?えへへ……」
肩に乗ったモルモットにスタッフから渡されたセロリを食べさせながら感動していれば、背中辺りに生暖かい水気と臭気を感じて硬直する。
「え、おしっこ……?」
「わっ、あっ……、だい、丈夫じゃないね……!?」
突然の粗相にスタッフは大慌てで、景元の肩に乗ったモルモットを引き剥がすが、我関せずでセロリを口元からぶら下げて咀嚼していた。
「あらぁ、洗えるとこありますか?」
母親が困ったように言えば、
「い、いえ、こちらで洗わせていただきます!申し訳ありません!」
スタッフはまだ若く、トラブルに慣れて居ないのかおろおろと右往左往。
「母さん、ん……」
母親の服を引き、注意を向けてTシャツとウェットティッシュを刃が渡す。
「着替えまで持ってきてたのか」
「シャツだけ。汗掻いたら痒くなるから」
「我が子ながら気が利きすぎだわ……」
大荷物の中身が徐々に判明していき、応星と母親が驚き絶句している中、景元の視線はモルモットへ注がれている。
「けーくん、お着替えしようか?」
「わかったー」
母親がだぼだぼの着替えとウェットティッシュを受け取り、施設の隅で着替えて汚れた服はスタッフが平謝りで持って行った。にも関わらず、景元は直ぐにモルモットの元へと再突撃し、抱き上げこそしないものの餌をやったり、撫でたりと楽しそうである。
「あいつ、筋金入りだなぁ」
「うん……」
応星が苦笑しながら刃に話しかければ、煮え切らない返事が返って来た。何となしに塞いでいる刃に応星も気付いてはいるが、どう訊けば内心を吐露してくれるのか解らず、背中を叩くと控えめに服の裾を摘まんでくる行動にもどう対応すれば良いのか判らない。
首を巡らせて確認しても、何かがついている訳でも無く、ただ握っている。
「応星は、ちびの事どう思う?」
モルモットと戯れる景元の背中を眺めながら、刃は応星へと問うた。
予想もしてない質問に驚いて応星が顧みれば刃は目を伏せ、あらぬ方向を見ていた。自身の言葉に罪悪感を感じているような、咎められる事を覚悟しているかのようで、知らず応星の眉は下がる。
「可愛い弟みたいに思ってるよ?」
「ふぅん……」
矢張り煮え切らない返事。
刃が景元を厭うているように感じた事は無い。相応に彼を可愛がっているようであったが、求めていた答えでは無かったようで表情は一向に晴れない。
慌てて乾かしたであろう服を受け取り、モルモットを堪能した景元は、次いで硝子越しに蛇や蝙蝠を観察し、放し飼いに近いガチョウなどの鳥を追いかけ回しながら真っ白な美しいアルビノの孔雀に感嘆の声を上げた。
「おい、走り回りすぎ」
刃がちょろちょろと仔鼠の如く動き回る景元を捕まえ、興奮に息を切らせる幼子を諭す。
「はしゃぎすぎるな。母さんも応星も置いてってる」
景元が背後を振り返れば、暑さにやられたか木陰に座り込む応星と介抱する母親の姿が見え、小さく声を上げた。眉間に皺を寄せつつも刃が景元を捕まえ、二人の居る場所まで戻る。
「ごめんね」
「いいよ。俺が体力ないだけだから」
頬を伝う汗を拭いながら、応星が景元へ微笑むも顔は赤らんで疲労の色が強い。強い直射日光と激しく動き回る景元に振り回されて思った以上に体力を消耗してしまったようだった。
「熱出た?帰る?」
刃が応星の首元に手を当て、体温を測りながら訊ねるが首を振る。
「大丈夫だって。折角来たのに俺のせいで帰るとか……」
「もう一回、休憩して、それでも改善がなかったら帰りましょう。最初からそういう約束だったでしょう?」
「はー、結構体力ついてきたと思ったんだけどな-、ちびに負けるとは」
コンクリートの地面に座り、赤い顔で汗を拭う応星へ、景元がしょぼくれていれば、
「お前も顔真っ赤だぞ」
刃が汗を掻いている景元の顔に濡らしたタオルを当てる。
「お前だって、大分無理してるんじゃないのか?」
「だいじょうぶだよ……!」
「応星もそう言って急に倒れた事がある」
楽しさによる興奮で肉体の不調に気がついていないだけ。との指摘をしながら、刃は汗だくの景元の肌を優しく拭いてやり、手を引いて休憩所へと移動する。
そこには日差しを避けて弁当を食べる家族が見られ、お弁当の匂いに景元の腹が空腹を思い出したように鳴った。
「今はどこも込んでると思うから、少しずらした方がいいと思う」
「そうねぇ、ここも座るところなさそうだし、水飲んだら先におトイレ行って、食べるところ探そうか」
「わかったー」
刃と母親の提案に応星と景元の了解が重なり、日陰で水分を十分に摂取して用を足した後、カウンター式の軽食販売店にあるパラソルが立てられたテラス席を発見するも、残っていた席は直射日光が降り注ぐような場所しかなく母親はうぅん。と、呻った。
「座れないよりはいいと思うよ」
「そうね……」
景元、応星、刃を日陰に寄せて座らせ、園で名物の大きなハンバーガーとポテトフライを購入して戻ってきた母親は子らの影になるように太陽を背にして座る。
「ゆっくり食べるんだよ」
促せば各々が『いただきます』を口にして、食事を済ませると幾分回復したのか、先程のぐったりした様子はなくなったが、今度は直射日光を受けていた母親が辛そうに帽子を脱いで顔を煽ぐ。
「母さん大丈夫?」
冷たい飲料を摂取していても、瞬く間に噴き出す汗。
日光に炙られるだけでも体力は削られる。
しかし、刃が尋ねても大丈夫と嘯く。
「さ、皆の体力も回復したみたいだし、もう少し回ろうか?」
応星はほっと安堵し、景元は元気に返事をする。
刃は一緒にゴミを捨てに行き、手を繋いで戻ってきた応星と景元、次いで母親をなんとも言えない表情で眺めた。
「心配性ねぇ……、大丈夫大丈夫。母さんの頑丈さは知ってるでしょ」
「でも無理しないでね」
「してないよ」
母親は刃の肩を軽く叩いて背を押し、園内をのんびりと歩く鴨を見つけて再び走り出しそうとした景元を止めている応星を見やる。
「あんた等もお兄ちゃんになったねぇ」
応星と刃は双子。
便宜上、兄弟の区別はあれど年齢差も体格差もない。
応星は好奇心旺盛だが虚弱体質のために体がついていかず派手にはしゃぐ事は稀。刃は元々が大人しく、何かと体調を崩しやすい応星を気にかけているため自己主張も少ない。特異な見目から周囲と馴染めず、互いだけを頼りにしていた。それが、幼い景元と接するようなってからと言うもの、他者への目配が出来るようになった部分を見るに精神的な成長が見られ、彼等に足りなかったものが根付き始めている実感に微笑む。
それから三十分程園内を散策するも、矢張り一度バテてしまった状態からの完全復帰は難しかったらしく、建物の影に入って四人揃って汗を拭っていた。
「あそこ空いてる」
「あ、かんらんしゃ」
刃が珍しく主張した先は巨大な観覧車。
スタッフは側に立っているが並んでいる客は居ない。
「なんだ、乗りたいのか」
先程まで冷たい水を飲んで目を閉じていた景元がやおら立ち上がり、応星の手を引きながら観覧車の側まで行く。
「こんにちはー、お兄ちゃんと乗りたいのかな?」
「うん!」
応星の手をしっかりと握り、景元は弾むように返す。
母親と一歩遅れて観覧車に辿りついた刃は自ら誘導したにもかかわらず、つまらなさそうに唇を尖らせ、また無言になってしまった。
「うーん、乗せたいのはやまやまなんだけど……」
「故障でもしたんですか?」
「いえ、ただ、お勧めできないと言いますか……」
スタッフは言葉でどう説明したものか頭を掻き、観覧車の開けっぱなしになっている扉を指して手を入れるように促す。
大人しく観覧車のゴンドラへと手を差し込んだ応星が呻るように小さく声を上げ、続いた母親も納得したように呻る。
「ざっとですが一週十五分程の間、この室温と直射日光で炙られる羽目になります……、それでも。って方が居るので開けてはいるのですが……、乗られますか?」
尋ねてはみるも、明らかに推奨しない言い回しで眉を下げるスタッフ。
景元は乗りたいのか、もじもじとしつつ周囲を見上げているが、灼熱の日光によって暖められたゴンドラ内は最早、高温サウナよりも暑く、室温を下げるために換気をしようにも安全上、窓は嵌め殺しで扉も開けっぱなしには出来ない。一周して地上へ辿り着く頃には熱中症にもなりかねず、明らかに体力が足りない子供を乗せるのは危険行為である。
「これは、次来た時にしよう……」
母親の苦渋の決断に景元のみならず、刃も目を伏せて落ち込んだ様子を見せるも応星が、
「また。つってるじゃん。な?」
大人ぶって刃と景元の頭を撫でながら目敏くソフトクリームを販売している店舗を見つけ、二人の手を引いて受け取りカウンター前まで行いくと無言で母親を見上げて強請る。
「ちゃっかりしてるわ」
そうは言いつつ、母親も自分の分も会わせて四つのソフトクリームを買い、一息吐いた所で帰宅の提案を持ちかける。
「このまま居たら誰か倒れかねないと思うの。今日しか来れない訳じゃないし、下道通って途中でゆっくりご飯買って帰りましょう?」
「ごめん……」
「謝らなくていい」
ソフトクリームを食べきった応星は寂しそうではあるものの、納得した様子で頷き、刃が慰めながら『また来ような』と、前向きに語り、今度は自身が景元と手を繋いで引いていく。
園を出て、駐車場にある車まで戻ると車内は灼熱。
エンジンをかけて中の空気を冷えるまでの間、何となしに空を眺めていた応星が、不意に刃へと視線をやり、もの言いたげに見つめた。
刃は景元の首に少々温くなった保冷剤をハンカチで固定しながら巻き付け、はしゃいで崩れてしまった髪を紐でまとめ上げて少しでも涼しくしようと尽力している。
「どうかした?」
刃の肩越しに応星と視線が合った景元が問いかければ応星は罰が悪そうに頬を掻く。
「なんだ?」
「いや、お前、ちょいちょい不機嫌だったよな。何でかなーって」
振り返った刃が発言を促せば言いづらそうにしながらも不機嫌の理由を尋ねる。繊細な部分を突かれ、怒らせる可能性を考慮してはみたが、気になったのだから致し方ない。
「別に怒ってない」
暑さからではなく顔を紅潮させて矢張り不機嫌になってしまった刃それ以上に突っ込めなかった応星だが、彼を見上げていた景元が、
「でも、なんかぶーってしてたよ」
思わぬ追撃をして刃が目を見開く。
「別に……」
「うそはよくないよ?」
「怒ってない……」
「ちゃんと、いわないとつたわらない。ってかあさんがいつもいってるもの。おはなししよ?」
純真な瞳に見上げられ、刃がしどろもどろになりながら否定しようとするも、更なる追撃に口角を下げて呻る。景元は幼いながらも目敏く、弁が立つ。この場に限らず、景元の容赦ない口撃に口数が少ない刃が良く言い負かされている光景は頻繁に見られるもので、原因が気になっていた母親も、応星も心の中で景元を応援していた。
「だ、だって……」
「うん?」
「応星は、俺のお兄ちゃんだから……」
「おーせーはじんのおにいちゃんだよ?あたりまえ」
景元が当然の事実を口にする刃へ、ずけずけと物言えば、言われた本人は唇を閉じ、獣が怯えつつも威嚇で唸るような表情を作る。
「どこ行っても、お前の方がみんな応星の弟だって……、俺、髪の色も目の色も違うし、俺のお兄ちゃんなのに……」
刃は目に涙を溜め、顔を真っ赤にしながら服を握り締めて心情を吐露する。
下の子が生まれた場合、母親を奪われたような気になった上の子供が嫉妬をしてしまい、排除したいがために苛めたりする場合があるが、刃は景元を苛めたりはしていない。寧ろ自分なりに可愛がっている風でもあるため、こんな葛藤を抱えているとは想像もしていなかった母親と応星は驚きつつも表情は朗らかなもので、笑みすら浮かべていた。
「わたしにとっては、じんもおにいちゃんだよ?」
大事な存在を横取りされると言う感覚が良く分かっていない景元が、刃へ抱きつきながら甘える。
「え、うん?」
「大体が俺と手を繋いでるから言われるだけで、刃もちびのお兄ちゃんだよなぁ?」
「うん、だいすき!」
「だよなー。今度出かけたら、刃と手を繋いでたらどうだ?」
応星が腰に手を当てながら、にやつきつつ提案をすれば、
「うん、いいけどおーせだいじょうぶ?すぐつかれるから、わたしがてをひっぱってあげてるのに」
景元が小首を傾げながら、さも己が助けてやっているのだ。と、言わんばかりの主張をする。
刃の、俺のお兄ちゃん発言で調子に乗っていた応星の顔が引き攣り、幼子に気遣われていた事実に矜持が傷つきながらも何とか言い返そうと口を開け閉てする。
「はぁ、お、お前が、ちょろちょろするから俺はなぁ……!」
「えー、してないもん!」
「はいはい、暑い中で突っ立ってやるもんじゃないから、続きは車の中でしなさい」
応星は応星で、自身と同じく体力がない割にはしゃいで仔鼠のように走り回る景元の手綱を握っていたつもりであった。そう主張するも、母親から涼しい車内に押し込まれ、景元がジュニアシートにきちんと座るまで待っていれば意気はすっかり消沈して喧嘩する気分ではなくなり、暫く涼しい車内で揺られていれば疲れた体は休息を求めて眠ってしまった。
程なくして刃や景元も同じく寝息を立てだし、バックミラーで子供等をちら見して母親は微笑む。
息子の葛藤には気づけなかったが良い方向に修正できた事と、子供も子供なりに人を観察して考えたり気遣ったりしているのだと気づきを得た日でもあった。
▇◇ー◈ー◇▇
次の日曜日にお出かけ。
とは言え、近場の公園ではあるが、刃が景元と手を繋いで歩いていれば老婦人から『お兄ちゃんと一緒に遊びに来たの?良かったわねぇ』の言葉と共に、『こんな小さい子の面倒見てて偉いお兄ちゃんね』そう刃へと話しかけてくれた。
刃は言葉が少ないながらもしかと頷き、代わりとばかりに景元が愛想良く喋る。離れた場所から密かに跡をつけて観察していた応星は独り得意げになり、家に引き返して母親に報告。
一通り遊び、分かりづらいながらも刃が機嫌良く帰宅し、その晩は景元も交えてのバーベキューパーティーになった。
「ちび、野菜焼けてるぞ」
「おにくのほうがおいしい……」
「これも美味いぞ?」
刃が焼けた茄子やピーマンを景元の皿に入れようとすれば背を向けて防御し、回り込めば器用に食べながら逃げ回る。
余りに逃げ回られて諦めた刃が仕方なく自身で食べれば、ほんのりとした苦みの中にもみずみずしさがあり、美味しく食べられた。仕様も無い攻防戦のせいで些か冷えてしまったのだけが残念点だ。
「野菜嫌いなのか?家政婦さんから好き嫌いはないって聞いてるぞ」
「だって、おばさんが『おやさいもたべないとおとうさまとおかあさまがかえってこなくなりますよ』とかいうから……」
焼けた鶏肉をとって冷ましながら頬張っていた景元が、刃の苦言に反論すれば、なんとも言えない沈黙が降りた。両親を脅迫材料にして嫌いな物を食べさせるのは悪手も悪手ではないだろうか。そう母親と、応星、刃の思考が一致する。
「悪い人じゃないんだけどなぁ」
焼けた牛肉を咀嚼しながら口を曲げて母親が呟くが、人の方針を下手に指摘すれば不興を招き、またそれが目立たない嫌がらせなどに発展してしまえば面倒になる。
刃と応星の事で学校とも散々にやり合い、苛め加害者及び、被害者となった子供の親とも相当にやり合ったが結局、決着はつかずに子供の行いに大人が首を突っ込む物ではないのと有耶無耶にされてしまった。
現在、二人が特殊な見目をしていても受け入れてくれるフリースクールに通っているが、理不尽な行いに納得した訳ではない。
「私だって大人になってから美味しく食べられるようになったものもあるし、強制したら嫌な思い出までくっついて余計食べなくなると思うんだけどね-」
「え、たべなくてもおこらない?」
「俺等は怒られたことないぞ」
応星があっけらかんと告げれば景元が暗い顔をしながら美味しいはずの肉を噛み続ける。
「ほら、肉」
「じんはおにくいらないの?」
「脂っこいのはあんまり好きじゃない」
「こんなにおいしいのに!」
脂の乗った美味しい肉ばかりを欲さない刃を見て、景元は衝撃を受けたように固まる。野菜の変な甘さや食感が嫌いな景元からすれば美味しそうに野菜を食べている刃や応星は異星人の如き存在でしかなかったのだ。
「おとなっ!」
「ふっ、そうだな、お前よりは大人だ」
最も苦手とする苦いピーマンを口に入れた刃に驚く景元に対し、得意げに鼻を鳴らす。自身の兄を盗られたような不快感は消え、景元の兄的存在であると他者からも認められたような嬉しさから機嫌も良い。
「うちではどうしても嫌なら食べなくてもいいのよ。食べられる物を食べなさい」
後から文句を言われたらその時。やや場当たりながらも母親は困ったように焼けた玉葱を見詰めていた景元の頭を撫でた。
「野菜は俺が食うから気にするな」
刃が声をかければ応星も頷き、自身の好きな物を各々が楽しんで食べている様子に笑顔を取り戻す。
「けー君のご両親が良ければ、晩ご飯くらいうちで食べたら?要らなかったら連絡くれれば良いし」
「ほんと、やったぁ……!」
一食くらい自由な時間があってもいいではないのだろうか。との思考で提案してみる。
可愛がってくれる刃や応星と一緒にいられる上に、食事も嫌いな物を無理して食べずに済む事へ無邪気に喜んでいたが、その後、頭を下げながら封筒を渡す己の母親と、慌てる刃と応星の母親の攻防戦があった事は知る由もない。
▇◇ー◈ー◇▇
学校が終わり、夕方になると満面の笑みで走り込んでくる景元と、それを受け止める刃や応星の光景が一般化し、秋も終板で寒くなり出した来た頃。
「暑苦しくないか?」
「せなかあったかい」
「重い」
食事を終えた後の居間にて、我が物顔で刃の懐に潜り込むと座椅子よろしく凭れかかる景元に応星が横やりを入れる。
「寒いなら煖房強くするけど?」
「さむくないよ」
「寒くはないけど眠くなってきた」
景元が落ちないように腹に手を回して支えていれば、体温の高い子供にくっつかれ、食事の後ともあって刃が眠そうに目を瞬かせた。
「寝るならお風呂入ってからになさい」
じゃれ合う子供等を微笑ましく眺めていた母親も、一度寝たら起きない刃がソファーで寝ては大変と声をかける。
「これ見終わったら入る」
居間のテレビでは、遺物ハンターが現代に解き放たれた古代遺跡を攻略をする物語を描いた映画が流されている。
様々な仕掛けを突破し、謎を解き明かし、仲間かと思っていた相手に裏切られ、満身創痍になりながら今正に目的の遺物を手にしようと佳境に入ったところだ。
ハンターの男性が雄叫びを上げながら発光する遺物を手にし、雄叫びを上げたところで遺跡が揺れ、崩壊を始める。危険だからこそ人が扱えぬよう封印された遺物を外に持ち出さないようにするための仕掛け。このシリーズの定番と言えるが皆が手に汗を握り、固唾を呑んで見守る。
逃亡する最中でも様々な妨害がハンターを襲う。
一旦は退けたと思った遺跡を守護する動く石像に、触れれば一瞬で体が分断されかねない斧が降ってきたり、地割れに落ちかけたりと息を吐く暇もない。
物語に没入している刃の腕に力が籠もり、無意識に前傾姿勢になりながら景元を強く抱き締める。景元も映画は見ているが、皆ほど集中はしておらず、背中に感じる体温が嬉しくて顔が緩みっぱなしになっていた。
命辛々に遺跡を脱出したハンターは、別の道から同じく生還した仲間の女性を見つけると感動して抱き合い、何と口づけを交わした。これがまた矢鱈と長く、落ちる夕日を背に生の喜びを叫ぶ二人に感動する者も居るだろうが、母親は何となしに気不味そうにリモコンを握りつつもどうにも出来ず弄り回し、応星も気恥ずかしいのかそっと視線を逸らして、刃は景元のふかふかした髪の中に顔を埋めていた。
「ねー、なんでこのひとたち、おくちくっつけてるの?」
景元の物知らずな発言が皆の口を縛る。今まで会う人間、見る物を制限されていたため、彼にとっては純粋な質問でしかなく、それが人を困らせるものとも知らない。
「この人達は、うんと……、いや、うーん……」
物語を踏まえれば、二人はこの依頼で偶然出会っただけで元々恋人ではなく、所謂、吊り橋効果のような感情の高ぶりから行動だと大人なら解るが、豪放ながらも生真面目な母親はそれを子供にどう説明するか、呻りながら答えを探す。一次的な誤魔化しをしても、この賢しい子供は納得しないと考えたからだ。
「俺も良く知らんけど、好きな人としたくなるらしい」
「ふーん、すきになったらするの?」
応星が子供ながらの理解で放言すれば、矛先は刃に向けられた。
「俺も良く知らないけど、そうなんじゃないか?」
「そうなんだー」
景元が晴れやかな笑顔で納得した素振りを見せれば、そんな単純な回答で良かったのか。と、母親が脱力した。映画は既にエンドロールが流れており、さぁ帰宅準備でも。母親が立ち上がって目を離した瞬間、声が上がった。
「おまっ、ちび!こら!?」
「えー、すきなひととするんでしょー?」
応星の手によって刃から引き剥がされた景元が口を尖らせ不満の声を漏らす。刃は紅い眼を見開いて固まっており、子供等の発言と状況から鑑みるに、もしやの発想が湧く。
子供は、面白そうな物を、なんでも真似したがるものだ。
「おーせーにもしたげるー」
「して欲しいから止めたんじゃねぇよ!」
景元が応星の腕を引っ張り、口づけをしようと顔を近づけるが、
「いらんいらん!」
と、応星は背を反らして避けている。
「好きな人って言ってもな、こう……、種類があるんだよ」
「えー、じんもおーせーもすきなのにー」
「分かった分かった。ありがと、でもちゅーしたいとは思わん」
「わたしのこときらい?」
景元が眉根を寄せ、応星を見上げて好意的な言葉を渡すも、まだ好きにも違いがあると言われたところで理解が追いつかない彼は今一納得できていない。
「そう言うのは大人になってからするものなの、ね?」
「おとなっていつから?」
諭すように母親が助け船を出せば墓穴を掘り、再び返答に詰まる疑問を呈され、純粋無垢な視線へ曖昧な笑顔を返すばかり。
「十八歳になったら、かしら?」
「十……、えっと……、いま六さい」
便宜上、成人年齢を伝えれば景元は指折り数えながら確認している。
「十と二さい?あと十二?」
「そうそう、けーくんに後十二回お誕生日が来たら大人よ」
「ふーん……」
幼いながらも神妙な顔で頷く景元に、どうにか場は納められた安堵に内心で息を吐き、家まで送ると年上とばかり交流しているからませてしまったのか悩む。しかし、次の日からは普段と変わりなく刃や応星と仲良く遊んでいたため杞憂だったと安堵していたのだが家では『わたしのおたんじょうびきた?』と、毎日訊いているらしく、刃に口付けしてしまった事は伏せながら経緯を相手両親に伝え、誕生日は年に何回も来る物ではない事を説明をして貰った。
それからは、誕生日までカレンダーに印を付ける事を覚えた景元の口撃は鳴りを潜めたものの、学校から帰宅すると十分はカレンダーを恨めしげに睨んでいるらしいと聞き、余程、刃や景元と対等になりたいのだと察せられる。
毎月の身長測定も、測定後に溜息が増えた。景元の成長具合は頻繁に座椅子となっている刃が一番理解しているが、勝てなくて拗ねているとしか考えておらず、測定後はおやつでのご機嫌取りの時間になった。
「機嫌直せって、ちゃんとでかくなってるんだからさ」
「うん、どんどん重くなってる」
バニラのアイスクリームにスプレーチョコをかけ、頬張っていた景元の頭を撫で、刃が体重の増加を指摘する。現在も、当然のように景元は刃の足の間に座り、寄りかかっているため毎度、簡易的な体重測定となっている。
「もっと大きくなりたい」
「そんな急がなくてもその内、でかくなるって。俺等よりはちびだろうけど」
応星が茶化せば景元が唇を尖らせ、食べ終わったアイスクリームの空をソファーに置いて飛びかかろうとするも、刃が腕を回して止める。
「はなしてー!」
「喧嘩はするな」
「いい様だなちびすけ!」
手足をばたつかせて応星へ向かっていこうとする景元に腕と足を回して固定し、それを見て更に挑発する応星。
「応星もいい加減にしろ。そんな事言ってると抜かされた時、酷いぞ」
「えー、ごめん。でも、まだ俺等より小さいしー……」
刃に窘められると素直に謝る応星と、唐突に認められたような言動に枷となっている彼を景元は顧みる。
「こいつ、俺達が同じ年齢だった頃より、大きい」
「え……」
衝撃の事実に応星が瞠目し、刃に抱き締められている景元をしげしげと眺める。
刃曰く、遊園地に行った際の写真をアルバムに貼っていた過程で古いアルバムを見つけたため、何となしに眺めていれば母親が特殊な体質の息子達を心配してか、写真を撮った時期の年齢や身長、体重を油性ペンで逐一書き記していたようで、現在小学校一年生の景元と比べて体も細く、小さかったのだと語る。
「じんよりおおきくなれる?」
「テレビで見たけど、昼寝でも身長は伸びるそうだからな、もしかしたら大きくなるかも」
「いっぱいねる!」
景元が喜びに呻りながら、溜飲が下がったのか体重を刃に預けてにやける顔を両手で擦る。
「ま、俺達も伸びてるから結果は判らないけどな」
頭に顎を乗せ、ふす。と、鼻で嗤う刃のお陰で上機嫌が霧散した景元が再び口角を下げる。持ち上げておいていきなり手を離すとは底意地の悪い行いをする刃へやりかえそうとするも、今度は腕までしっかりと包まれているため身動ぎもままならない。
「力もまだ俺の方が強い」
景元が顔を真っ赤にしながら全身に力を込めるも、 刃による拘束が解けず、絶対に強くなる決意も固めるのだった。
▇◇ー◈ー◇▇
景元が七歳になる頃、学校からの帰宅中に上級生に絡まれていた所を年上の女性に助けられ、彼女の凜とした立ち姿、強さ、勇ましさに憧れを抱いた。
それからと言うもの、通学路で見かける度に持ち前の愛嬌を以て話しかけていれば、無愛想ながらも返してくれるようになり、彼女の親が剣道道場をやっている事、彼女自身も時折指導員として立つ事を知ると習いたい。と、懇願する。
やや過保護気味な両親は難色を示しつつも、本人の強い要望により了承し、体格に合った袴や防具を手に刃や応星へ自慢しに行った。
居間に真新しい袴と防具を並べ、事の経緯を説明する景元はいつも以上にはしゃいでいる。
「怪我しないようにな」
「たくさんれんしゅうして強くなるんだー」
「俺等より強くならなくて良いぞ?ずっともちもちした可愛いちびで居ろ」
意気揚々と宣言する景元に、応星が頬を突きながら茶々を入れる。
「応星は元々弱っちいから、今でもわたしのほうが強い」
「なにを⁉」
揶揄の仕返しとして体の弱さを指摘され、激高した応星を刃が溜息を吐きながら抑え、頭を隠す防御姿勢を取っている景元を顧みると、
「今のはお前も悪い。お前の憧れの人は他人のどうしようもない特徴を馬鹿にして嗤うのか?」
淡々とした口調で窘め、じ。と、見詰めて返事を待つ。
自らの言動を顧みる機会を与えられた景元が、動揺に瞳を彷徨かせる。
応星も、好き好んで寝込んでいる訳ではないのだ。疲労や気候の変化に体がついていかず、出かける予定が潰れてしまった際は都度都度、謝罪を口にしており、罪悪感を抱いている様子見知っていながら、それを安易に口にしてしまった。
「ごめんなさい……」
刃に窘められて自身の暴言に気付いた景元が項垂れながら謝れば、応星も劣等感を刺激されて激高しそうになった自身に気がつき、気不味そうに頭を掻く。
「お前等は、一日一回喧嘩しないと気が済まないのか?」
大概、二人のやり取りを傍観している刃ではあるが、年の差故か応星に口や体格で負けた景元の逃げ場所が彼である。調子に乗る応星を落ち付かせ、景元可愛さに黙ってはいたが、毎日のように盾にされている上に、これから武術の訓練を受けて体力、技術がついてくるだろう事を思えば事故が起こってからでは遅い。
「景元が生意気だし、反応が良いからつい……」
「私は……、おうせいがすぐばかにしてくるから……」
馬鹿にする。と、言えば語弊があるが、実際には応星が揶揄って遊んでいる事が多く、真に受ける景元が意地になってしまい、最終的には喧嘩に発展する。
「仲良くしないと、母さんもお前等と一緒にお出かけできないって言ってたぞ」
刃がこっそり聞いた母親達のぼやきを口にする。
二人の喧嘩は悩みの種でもあり、幼い今だからこそ可愛い範囲で済んでいるが、成長すれば男同士である。そして景元も決して体力があるとは言えないが、虚弱体質な応星ではいつか逆転され、他愛ないじゃれ合いが大怪我に発展する可能性も否めない。
あまり思い出したくない記憶ではあるが、刃は、苛めてくる同級生を階段から突き落とした事がある。
それ自体は応星を苛める相手に怒りを抱き、庇うためにやり返したに過ぎず、行動が間違っていたとは微塵も考えてはいない。が、場所が悪すぎた。人間が階段から転げ落ちて血を流し、痛みに呻く光景は確実に刃の心理的外傷となっている。
応星を護るためだった。
仕方ない。
相手が悪かった。
俺は間違っていない。
自己正当化をしたところで、心に根を張った恐怖は誤魔化せない。
それが、好いた人間。大事な人間が同じ目に遭えば、それは決して塞がらず、永遠に血を流し続ける傷になる。
「応星、母さんも父さんも、お前には甘いから俺が言う。俺も、人のことは言えないけど、交流の仕方を勉強した方がいい。今までは俺と二人でばっかりいたから赦されてたけど、景元は他人なのを忘れたら駄目だ」
「あはは、怒られてる」
応星は反論が出来ず、顔を真っ赤にして小刻みに震えている。景元は、応星が叱られている様子が面白くて笑っているだけで、深くは捉えていない。この辺りは、賢いとは言え流石に低学年の子供である。
笑う景元を、応星が八つ当たり気味に羽交い締めにして髪を混ぜ返したり、柔らかい頬を両手で挟んで揉む。やられてる本人は構われる嬉しさに笑っているが、これも一歩間違えば苛めかも。そう刃が悩んでいれば、母親が買い物から帰ってきてじゃれ合ってる子供等に挨拶をした。
「あ、けーくん、聞いたよ。剣道だっけ?習うんでしょ?」
「うん!」
応星にもみくちゃにされながらも、景元が元気に答えれば、母親は皆の元へ向かいながらも何をか考える素振りを見せる。
「あのさ、けーくんが行く道場。年齢制限ないって話だし、あんたらも行ったら?大人から子供まで色んな人が居るから、いい刺激になるんじゃないかと思うんだけど、どうしても嫌なら無理強いはしないけどね」
買い物袋を置き、子供等のおやつを机の上に広げながらの提案する。
「おうせいとじんとれんしゅうできるの?」
憧れの人が居るからとて、独りで通う事に些か不安があった景元が提案に飛びつき、表情を輝かせる。
「そう、年齢は違うけど、そこでは同級生よ」
「ねー、やろうよ!」
景元が応星と刃に迫り、ねぇねぇ。と、執拗に誘う。
刃は応星に交流の仕方を勉強しろと言ったばかり。応星は刃に交流の仕方を勉強しろと叱られたばかり。顔を見合わせながら、
「とりあえず、やってみるだけなら……」
同じ事を同じように言い、声が重なる。
そうなると母親の行動早く、三日も経たない間に申し込みが終了し、三人は同じ道場へ通う事になった。
▇◇ー◈ー◇▇
装備を揃え、道場の先輩に袴と防具を着けて貰い、三人は威圧感のある女性の前で正座をしていた。
景元や応星と同じような白い髪、刃よりも薄いが紅い眼をしており、彼女の威風堂々とした立ち姿だけでなく、親しみのある二人に似た雰囲気も慕った要因だろう。
「私は鏡流だ。毎回は居ないが、これからよろしく頼む」
「はい、宜しくお願いします!」
各々に挨拶を返し、緊張した面持ちでそわそわと体が揺れる。
「景元だったな、知人のご子息とは言え手心を加えるような真似はしない。心して学ぶように」
「え……?」
突然の指名に呆気にとられた景元が、呆けた様子で顔を上げると彼女は眉を上げ、訝しげに見詰める。
「なんだ、知らなかったのか。私は警察機関に勤めている。検事であるご両親とは知り合いだ。検事と警察、共に協力して犯罪者を追い詰める仕事だからな、顔を合わせる機会も多いのだ」
「そうだったんですか……」
通りで、あれはこれはと心配性な両親が許可を出した訳だ。と、景元は得心がいった。彼女であれば、厳しくも誠実さを以て指導してくれる信頼と信用があったのだ。
刃と応星も同様だろう。母親達はお互いに情報の共有を良くしているようで、景元が報告するまでもなく道場へ通うようになった経緯を知っていたようだったのだから。
ちら。と、景元が応星と刃を横目で見やると、二人も景元を見ており、視線が絡む。
「貴様等は、体力に乏しいと聞いているからな、先ずは体作りだ。走り込みと筋トレが暫く主になる。暫くは袴だけで防具は着けなくてもいいぞ」
「え、いいの……」
「着ておきたいなら構わんが、それを着て走り回れるのか?間違いなく骨を痛めるぞ」
先輩方に着せて貰った時も、腕に抱えるよりは良いとは言え、全身に纏わり付く重量、一歩一歩が重く踵に衝撃が来る感覚に不安が心によぎるばかりであった。
「ぬいでやります」
「うむ、今日は折角防具を付けて貰ったのだ。簡単な基本を教えてやろう。返事」
促されて大きく返事をし、起立。の、かけ声で立ち上がる。
その日は構え方、基本的なルール説明を受け、今後の肉体改造計画を話してくれた。
先ず、一番体力が劣る応星が気がかりではあったが、本人も負けず嫌いとあって、『やりたくない』などと拒否はせず、寧ろやる気に火が点いたようだった。
「後で貴様等にも資料を渡すが、練習は週に三日。防具等の手入れは各自で行う事。家で復習するのもいいが、筋肉は過剰にやれば身につくものではなく日々の賜だ。無理な筋トレ、ランニングは体を壊すだけ。それをしかと念頭の置くように」
軽い筋肉トレーニングや打ち合いの後で、三人それぞれの消耗具合を見比べながら鏡流は厳しいながらも気遣う言葉を伝える。
「がんばります。体力、付けたいし……」
軽い運動で息が上がってしまっている応星がいの一番に声を上げた。
「うむ、うちは道場生を強くするための指導はしておらん。剣道とは心と体を鍛えるもの。当、道場は本人の適性、向上心を何より重視する」
全てを明確に告げ、鏡流は三人を見回してから解りづらい程度に薄く笑う。
「体調不良は直ぐに周囲の大人へ伝えるように。ここでは努力する者を嘲笑う者など居らん。では、今日は解散とする。着替えてこい」
「はい!」
体力を消耗して座り込んでしまっていた三人が勢い良く立ち上がり、更衣室へと行く。先程の疲れ方が嘘のような勢いで向かったため、鏡流も苦笑するしかない。
三人でもたもたと苦心しながら防具や袴を脱ぎ、道場の出入り口での挨拶を指導されながら真似をする。
帰り道の三人の表情は晴れやかで、次の練習日が楽しみで仕方なかった。
【その三】