・初めての兄弟喧嘩
・丹恒は、今それを言うな。って事を言ってナチュラルに煽る天才だと思ってます
・丹恒ヘタレ気味?
・地雷原でタップダンスしているような小説です。爆発しても責任はとりません
・R18
・鼻血くらいだけど流血表現
・メインエロは恒刃です、楓応はちょぴっと
「丹楓、帰ってきてるのか?」
大学から帰ってきた丹恒が靴を見て声をかけるが応えはない。
電気すら点けていないようで室内は薄暗く、仮眠でもとっているのかとも考えたが、丹風は鍵を開けた音、足音一つでも目を覚まし、寝惚けなどとは無縁の男である。起きていないなど有り得ない。
台所、トレイ、風呂へと繋がる短い廊下を経て居間への扉を開けば、案の定、丹風はソファーに座って腕を組んでいた。真顔で一点を見詰めている様は如何にも不機嫌で、君子危うきに近寄らず。丹恒は何も言わずに自室に入ろうとしたのだが、
「待て。そのまま……」
丹楓から声をかけられ、扉の取っ手を握った体勢のまま丹恒は制止を余儀なくされた。ソファーから立ち上がる音のみで足音も無く近寄って来た影に丹恒は後頭部を鷲掴みにされ、膝裏を蹴られて強制的に跪かされてしまう。
「手は首に置け」
言われた通り、丹恒はうなじに両手を置き、生唾を飲み込む。失態を犯した部下がこうして跪かされ、処刑される様を見た経験があるためだ。
「貴様、応星に余計な事をしただろう?」
「何も……」
ここ最近で、応星と会った記憶は丹楓と共に在る時だけだった。
わざわざ問うならば、それ以外を指しているのだろうが、丹恒が応星と個人的に対する事はあまりない。時折玄関先で顔を合わせる程度だが、それも最近は無く、専ら会うのは刃とばかり。
正直に答えても信じられなかったのか、丹楓の指に力が籠もり、丹恒の頭骨がみし。と、音を立てる。
「嘘じゃない!あんたの方が余程、応星さんと会ってるだろ?俺に会ったなら伝えるはずだ……」
応星の性格からして、特に問題ない邂逅であれば丹楓にも『こんな事があった』そう伝えているはず。丹楓がいつも以上に何を考えているのかが理解出来ず、行動を見るに応星と何かが遭った事は確実にしろ、ここまで不機嫌になる何かが想像もつかなかった。
「あんたの正体がばれたとか……?」
応星は、観察眼が鋭いのか、やたらと勘が良い。
マフィアとまで察したかは知れないにしろ、どれだけ擬態が上手かろうと表社会の人間とは違う雰囲気を察したものか。
「しっかり思い出せ、何も無いはずがない」
「だから、何で俺は責められてるんだ」
丹楓は丹恒の質問には答えず、己の解を求めるのみである。
「何があったのかを教えてくれ。じゃないと思い出しようも無い」
丹恒の質問に用はないとばかりに丹楓は応えずに手に力を込め、押さえつけてくるものだから頸の骨が可笑しくなりそうだった。痛みに耐えながら、丹恒は必死に考える。己が直接対話してないとすれば刃だ。刃と何を話したか。
「あ……」
「思い出したか?疾く話せ」
丹楓が手の力を抜き、丹恒へ促す。
思い出しはしたが、伝えた場合、どんな反応が返ってくるか全く予想がつかない恐怖がじわ。と、心に広がり生汗が噴き出てくる。
「あの、怒らない……、よな?」
「貴様の出方次第だ」
出方も何も、事の発端は丹楓である。
丹楓が、簡単に言えば色惚けてなければ防げたもので、丹恒も刃も非難される謂れはないはずだった。この処刑用の体勢も、理不尽で不当のはずだ。そろ。と、振り返ろうとすると再び頭を掴まれ、止められてしまう。このまま吐け。との事らしい。
「刃……、に、訊かれた」
己のせいで、刃にまで余波が飛ばないかの懸念はあったが、そこから話さなければ整合性がとれないため、うなじの産毛が逆立つような気配を感じながらも丹恒は会話を思い出しながら言語にしていく。
「あんたが、酔って寝てる応星さんに何を言ってたのか」
「なに?」
微かではあるが丹楓の声が揺らいで頭を掴む指の力が弱まる。
「応星さんに惚れたんだろ?でも今までの相手と違って手が出せなくて、こそこそ愛を囁いてる姿を刃に見られてるとも気づいてなかった……、あんたが間抜けだっただけだ」
お前にも非がある。と、気づいて欲しくてありのままに伝え、思い切って振り返れば今度は止められず、正面から丹楓の顔を見て丹恒は目を丸くする。
「どうしたんだ、それ……」
薄暗がりでも判るほど、はっきりと左の頬を平手で打たれてついたのだろう痣が見えてしまった。
丹楓が隠すように自らの頬に右手の甲を当てて舌を打ち、丹恒の腹を蹴る。
無様な顔を見られた腹癒せだろうが、怒りよりも先に失笑が零れて余計に丹楓を苛立たせてしまい、扉を破く威力の蹴りが丹恒の頭の横を掠めた。
「面白いか……?」
丹風は顔を引き攣らせ、丹恒の胸ぐらを掴んで引き上げるが、最早、恐怖は無く、口元には薄ら笑いが浮かんでいる。もし、この場を誰か、例えば景元が見ていれば『矢張り兄弟だね。最低な笑い方がそっくりだ』などと評しただろう。
「面白いさ」
応えるや否や丹楓の拳が振り上げられ、丹恒は頭を護るために腕で防ぎ、殴り飛ばされて床に転がる。
「中華最凶の老大が碌な策も立てられないほど惑った挙げ句、振られた八つ当たりなんぞ、笑わないで居られる方が可笑しい」
恋は盲目とは言うが、ここまでとは、本当に重傷のようだ。
頬を張られた様子から鑑みるに、刃から丹楓の行いを聞いた応星が彼を拒絶したのだ。
何故かは分からない。嫌悪か、羞恥か、はたまた別の感情か。ただ、拒絶された丹楓は凡人が如く傷つき、弟を問い質して解明しようとした。応星が己を拒絶するからには、どこかに原因があるとして。
原因も、経緯も、理由も、結果のみが重要として顧みもしなかった男が矜持を捨て、儚い希望に縋ってまで応星との繋がりを消したくなかったなど、笑いぐさであろう。
「嗤われた所で身から出た錆だろう⁉妙な色気を出さずに、さっさと見切りをつければ、こんな無様は晒さなかった。それとも一目惚れか?蛇のように狡猾で人間の心なんぞあるかも解らんようなお前が⁉」
「喧しい、糞餓鬼が!」
今までの不満や理不尽、憤懣が一気に噴出した悪口雑言は止まらず、がり。と、丹楓が歯噛みし、床に座り込んでいる丹恒を踏みつけようと足を上げるが、戦い方を教え込んだのは兄自身。戦い方の癖は知っており、冷静さを欠いている分、動きは単調で読み易かった。
丹恒が攻撃を体を転がして避ければ床が割れ、転がった回転を利用して立ち上がりざまに体制を整えて足を踏み込み、丹楓の腹を殴り抜いた。
当然、この程度で丹楓が沈むとは考えてはいなかったが、反撃は早く、直ぐさま丹恒の肩を捕らえて膝蹴りを脇腹に喰らわせて蹴り飛ばし、飛ばされた丹恒の体がテーブルの上に落ち、慣性の法則に従ってソファーを薙ぎ倒しながら派手な音を立てた。
「何だ、図星か。常に冷静で在れ。だとか説いてたあんたが、随分と感情的になってるじゃあないか」
「黙れ……!」
丹恒が痛む脇腹を押さえ、立ち上がりざまに煽れば、偉そうな口ぶりも出来ないほど怒りに脳が浸っている丹楓が拳を振り翳すが、それを捌き、逆に掴みかかって体当たりで倒れ込むと二人分の体重を受けた床が悲鳴を上げ、背中と腹への衝撃で瞬間的に息が出来ずに丹楓の動きが止まった。これぞ好機として丹恒が追撃を仕掛け、元々痣のあった頬を殴り抜く。
「この……⁉」
切れた唇から血を流しながらも丹楓も負けじと下から丹恒を殴り返し、互いに揉み合いになる。家具を薙ぎ倒し、床や壁に穴を開けながら殴る蹴るの応酬を繰り返し、かれこれ十分以上続けていれば、玄関から激しく扉を叩く音がして、『大丈夫ですか⁉』との高い声と共にインターホンを連続で鳴らされていた。
「あぁ?」
第三者の介入に、流石に殴り合いを止めた丹楓が柄悪く立ち上がり、玄関に向かえば丹恒も鼻血を袖で雑に拭って後に続く。
「あの、警察ですけど……、凄い音がするって通報がありましてぇ……」
髪も服も乱れに乱れ、不機嫌も露わに扉を開いた血と痣だらけの丹楓に小太りで年若そうな制服警官が怯えた愛想笑いで対応する。丹楓の冷たい眼差しにそれ以上の言葉が紡げず、哀れな警官はおろおろと周囲を見渡し、背後に居る丹恒を認めると救いを求めるような視線を向けた。
「あの、何があったか教えていただいても?」
「あぁ……」
止まらない鼻血をずっと擦っていた丹恒が口を開けば、丹楓に服を掴まれ、外に放り出された果てに扉を閉め、鍵をかけられた。
「てめえ、このっ!開けろ⁉」
堅牢な鉄の扉は丹恒が叩いても蹴っても取っ手を幾ら回しても開かず、丹楓は奥に引っ込んでしまったようで返事すらしない。
「あ、あのぅ……」
「あぁ⁉」
閉め出された苛立ちを警官に向けて八つ当たり気味に声を荒げた後、周囲に野次馬が居る事に気がついて怒りはまだ収まらないものの、丹恒は何度か深呼吸をして冷静さを幾分取り戻す。
「ただの兄弟喧嘩です……」
「兄弟喧嘩?……にしては凄い怪我だけど、あの鼻血凄いよ」
「容赦ないだけです、お互い」
ず。と、丹恒が鼻血を啜れば鼻がむず痒くなり、袖で抑えはしたが盛大なくしゃみと共に血が噴き出し、服だけで無く顔半分も真っ赤に染まってしまい、耐性のなさそうな警官は余計に声が小さくなっていく。
「そうなのぉ……、とりあえず、厳重注意って事にしときますんで、あのね、一応集合住宅だから、喧嘩は程々に、ね?あと、病院行くんだよ……」
背中を丸め、居たたまれないとばかりに警官が逃げ出せば、周囲に居た野次馬も丹恒が視線を向けるごとに消え、閉め出された共用廊下に独り取り残され途方に暮れる。
「丹恒……、こっちに来い」
騒ぎが収まった様子を見計らってか、隣の扉が開き、刃が手招く。
「あ、でも……」
「いいから」
刃が裸足で廊下に出て、同じく裸足の丹恒の手を引き、家に入れば、救急箱を手にした応星が待っていた。
「びっくりしたよー。強盗でも来たのかと……」
「鼻にこれを当てて下を向いておくといい」
刃から濡れタオルを渡された丹恒は、好意に甘えて言われた通りに押さえ、冷たいタオルが腫れた肌に心地好くて息を吐く。
「通報したのは応星さん達なんですか?」
「いや、俺は刃が隣に行こうとしてるのを止めるのに必死で……」
聞くに、まるで猛獣が暴れ回っているような音は非常事態である事が誰の目にも明白であり、刃は助けに行こうとしてくれたらしい。だが、万が一、刃物を持った強盗だったらどうする。警察呼ぼう。との兄弟の攻防がこちらでも起きていたようだった。
「ご心配をおかけしてすみません……」
「いや、無事で良かったよ。通報が遅れて、二人に何かあったら後悔しても仕切れないからさ」
「服を脱げ、手当てするから」
応星が苦々しく笑い、刃に言われて服を脱げば酷い痣だらけの体が現れ、これは。と、応星が呻いた。
「救急車呼んだ方がいいんじゃないか……」
「あー、骨は折れてなさそうですし、吐き気も無いから大丈夫です……」
怒り心頭にしても、あれはあれで手加減をしてくれていたのか、痛む箇所を自身の手で触っても骨までは折れておらず、見た目は鼻血のせいで派手だが急所は外されているようだった。しかし、丹恒は見境無く攻撃を仕掛けていたため、ともすれば丹楓の方が重症の可能性もある。
これが、実戦を幾度も経験し、人を壊し慣れている人間と、そうで無い人間の違いなのだろう。
「とりあえず冷やしておこうか、明日、病院に付き添って上げるから。具合悪くなったら直ぐ言わないと駄目だぞー」
病院が嫌な子供だと思われたのか、応星から励ますように頭を撫でられてしまう。
「そっちの家って救急箱あるかな?」
「あります」
「じゃあ、俺がお兄さんの様子見てくるよ。刃、後頼んだ」
「うん……」
応星は、丹楓を拒絶した割に気にかけているらしい。
世間一般的には傷口に塩を塗るが如き残酷な対応であるが、あれほど拗らせた男が想い人の訪問を無視出来るものなのか。
ただ、丹楓の背には蒼龍会の後継者の証であり、繋ぐ鎖でもある哮る蒼龍の刺青が一面に彫られており、身分を隠したい場合、応星に肌を晒すような真似はせず、危ういと判断すれば、直ぐに中華街の闇医者の所にでも行くだろう。
「あ……」
「どうした?」
丹恒が声を上げると、殴られた衝撃で痣になった場所に軟膏を塗ってくれていた刃が不思議そうに訊く。
「いや、隣、扉開けたな……、と思って……」
「耳がいいな、俺は聞こえなかったが」
「それなりに」
聞き耳を立てていたから。とは言わずに肯定し、片手で器用に包帯を巻いていく刃の手をぼんやりと眺めていた。
「とりあえず、こんなものだろう」
格闘技をやっていただけあり、打ち身の手当はお手の物なのか料理よりも手際良く終わらせ、自室に入ると一枚のTシャツを手に戻ってきた。
「着ておけ、風邪引く」
黒の模様すらない簡素な服。
ありがたく着てはみたが、思いの外だぶついて刃の体躯の良さを実感してどことなく悔しさが込み上げた。
「ぶかぶかだな……」
「俺はまだ伸びしろがあるから……」
二十歳を過ぎても身長が伸びた人間の話も聞いた事があり、体とて鍛えれば逞しくなれるはずだ。それを何に対する言い訳なのか、ぐだぐだと刃に語っていれば、応星と同じく頭を撫でられ、子供扱いに悔しさが増す。何歳かしか変わらないはずなのに。だ。
「口の中も切れてるだろうから、玉子粥でも作ってやる」
「あぁ……」
うだうだ言い訳をしていた様は確かに幼稚だった。
我が身を振り返りながらも拗ねる心地は変わらずぶっきら棒に返事をし、台所に行く刃を目で追いながら、扉が閉まると椅子の背もたれに背を預けて息を吐いた。初めて丹楓に喧嘩を売り、ぼろぼろにはされたが、どことなくすっきりしたような気がして、やってしまった後悔はなかった。後々、丹楓がどう出るのかは空恐ろしくもあるが。
「ゆっくり食べろよ」
「ありがとう」
然程時間はかからずに出てきた玉子粥は味付けが薄く、温めに作られているお陰で今の丹恒には丁度良く食べられた。刃自身が、怪我をした際に良く食べていたのだろう。
「美味かった……」
「お粗末様」
綺麗に食べきった皿を見て刃が微笑み、丹楓は優しいな。などと零すものだから相手の正気を疑ってしまい、顔が険しくなった丹恒を見て刃はくすくすと笑いだしてしまう。
「顔を合わせていればまた喧嘩をしそうだから追い出したんじゃ無いか?彼なりに俺たちを頼ってくれたんだろう」
「あいつが?あり得ない……!」
詳細は伏せるにしても、丹楓が自身に施してきた地獄のような訓練や見たくもやりたくもない仕事の内容を叩き込まれて辟易した経験を語れば、
「必要だと思ったから厳しく覚えさせたんじゃ無いか?お兄さんは大きな会社を経営してるんだろ?経営の事は解らないが、大きな事業を扱うとなると敵も多い。自分が必ず側に居て護ってやれる訳じゃないとしたら、身を護る術を覚えさせるのも愛情だと思う。背に庇うばかりが優しさではないし……、あぁ、そうそう、ほら、越してきた頃、買い物について行くのも不慣れな土地で彼なりに心配だったんだろう」
刃は、どうあっても丹楓を擁護する側のようだ。ただ、蒼龍会の老大の弟として、弱点にもなり得る存在を引き取り、必要な物事を教え込む。理不尽は散々被ったが、言い分事態は筋が通っており、教えられた事も完全に無駄かと考えればそうでもなく、納得出来なくもない。が、釈然としない。
「もっとお互いにぶつかってみるといい。今回みたいな怪我をするほどの喧嘩は止めておいた方がいいだろうが……、愚痴があれば聞くから、な?」
駄々っ子のような扱いに不貞腐れる丹恒の頭を刃の大きな手がゆるゆると撫でる。
「ふふ、こぶ出来てるな。氷持ってきてやる」
刃に触られた頭を自身でも触れば、側頭部にこぶが出来ており、触れればじんわりと痛かった。殴り合いに夢中になり過ぎて、頭を打った事にも気づいていなかったようだ。
刃に氷嚢を渡され、頭に出来たこぶだけでなく、熱を持っている場所に当てて話ながら応星の帰りを待っていたが、中々戻ってこない。既に一時間以上だ。話している間、刃が唇を触って考え込む素振りを見せたり、どこかそわそわと落ち着かなくなり、今はほんのりと頬が紅潮しているため、また酒盛りでも始めたのかと疑ってしまう。
「大丈夫か?」
「ん、まぁ……」
刃の答える動作がぎこちなく、顔に手を当てて俯き初め、数分後には机に突っ伏してしまった。
「様子を見てくる」
鍵は持っていないが、バルコニーの硝子戸は万が一の襲撃の備えていつでも飛び出せるよう鍵を開けてあるため、外伝いに行けば中に入れるはずだったが、突っ伏していた刃が丹恒の手をつかんで止める。
「多分、止めた方がいい……」
「なんでだ?」
「いや、その……、いいから止めておけ……」
「戻るように言うだけだろ?」
刃の忠告を無視し、丹恒はバルコニーに出ると体を軽く動かして具合を確かめてから、部屋同士を仕切る衝立を避け、身軽に塀伝いに自宅へと侵入する。
ともすれば泥棒として再通報ものだが、先程の警官が来れば言い訳は通るだろう。
「あ?」
応星が訪ねたはずが、居間は暗いまま。
人が居るようには思えず、しかし、怪我の治療のために外に出たとも考え辛い。応星を伴って通常の病院はもとより闇医者へ行くとは思えないからだ。
居間の硝子戸を開け、足の汚れを払って室内に入れば、丹楓の自室から甘ったるい喘ぎ声と、寝台が軋む音が静かな薄闇に響いており、刃の様子も、居間に気配がない理由も丹恒は全てを察してしまった。
「まっ……て、や……ぁ」
「真的吗?」
上擦った応星の声、くつくつと含み笑いをしている丹楓の声。
明らかに真っ最中であり、刃の元へ戻るかも逡巡してしまう状況に丹恒は頭を抱える。
少しでも、丹楓の方が怪我が酷いかも知れない。などと考えた己が甘かった。何なら救急車を呼ぶ水準でもっと殴っておくべきだったとの後悔の方が膨れ上がる。
丹恒がバルコニーに戻り、どうするのか右往左往していれば、硬い物が倒れる音がした。よもや刃が倒れでもしたのか。と、丹恒が泡を食いながら隣室のバルコニーに入り、居間を覗き込めば、刃が座っていた椅子が倒れており、腰が抜けているのか床を這うようにして自室へと入る姿が見えた。
全ての双子がここまでの共感覚を有してはいないのだろうが、心底丹楓と双子で無くて良かった。なんて考えたが、そんな場合でも無い。
「刃、その大丈夫、か……?」
迷いながらも居間に入り、刃の自室の扉を叩いて声をかければ、返事はなかったものの程なくして真っ赤な顔で辛そうな刃が顔を出す。
「すまない、あっちの部屋まで、肩を貸してくれ……」
刃が居間を挟んだ対面にある応星の自室を指差し、潤んだ目で懇願する。
「あ、あぁ……」
一体、どうしたのか。
刃の体温の高い体を支え、耳を澄ませば丹恒は直ぐに納得した。
今まで気にもしていなかったが丹楓の部屋は刃の部屋の裏側で、このマンションは案外壁が薄いのだと。
己の兄が男に抱かれて乱れている声など、弟としては拷問だろう。
護衛として丹楓が囲う愛人の元へ連れて行かれた際、丹恒も地獄のような心境であった。誰も兄弟の下事情など知りたくはないのだ。ただし、その愛人は、立場を利用して丹楓の暗殺を唆されていたようで、帰る頃には死体になっていたが。
「足下気をつけてくれ……、色々落ちてる……」
丹恒が嫌な記憶を思い出してげっそりしながら刃を応星の自室へと連れて行けば、入った左手側には広い作業台、その上に造形途中の石膏の固まりが幾つも置いてあり、床にはありとあらゆる材料、何らかの資料の紙束、道具各種が足の踏み場もないほど散らかっている。
目の前には天井までの高さを有した本棚に様々な芸術関係の本がごちゃごちゃと隙間無く詰め込まれ、右を見れば確実に体に合っていないだろう大きさで、きちんと休めているのか疑問を抱く寝台が置かれているだけだった。
「人の部屋なのかこれは……」
「はは、これでも片付いてる方だ……」
刃は苦笑し、不快な感覚を懸命に堪えているようだった。
自宅では最低限の作業に止め、大半は工房に持って行ってるそうだが、夢中になり出すと増えていってしまうのだと困ったように刃が語る。
「ありがとう、俺はここに居るから、居間で自由にしてていい……」
寝台の隅で膝を抱え、大柄な体躯を小さく纏める刃を丹恒は直視出来ず、もごもごと曖昧な返事しか返せなかった。
「丹恒、あの、恥ずかしいから……、気を遣ってくれると嬉しい……」
立ち尽くしたまま、どうするべきなのか思考に耽っていれば、白い肌に汗を浮かせて紅潮させた刃と視線が交わり、言葉通り恥ずかしげに眉を顰めて目を伏せる様が異様に婀娜っぽく目に写った丹恒の全身が熱くなる。
「刃、嫌だったら殴ってくれ……」
丹楓を非難出来ない己を自覚し、丹恒が刃の頬に手を当てれば、撥ね付けるどころか頬をすり寄せ、眉を下げて笑う。
「狡い言い方をするな……」
「すまん……」
心の籠もっていない謝罪を口にしながら刃を寝台に押し倒し、唇を合わせれば、
「血の味がする……」
そう言って刃が自らの唇を舐め、赤い舌と唾液に濡れた唇によって丹恒の下腹部に熱が籠もっていく。
「煽ってるのか……?」
「……どうだろうな?」
刃が薄く涙の浮いた眼を細め、丹恒を見詰めながらうっそりと微笑む。
理性というものは、こうも容易く崩されるのだと初めて丹恒は思い知った。
▇◇ー◈ー◇▇
どうだろうな?
刃は、思ったままを口にしただけだったが、こんな自分に興奮している丹恒の表情が面白く感じられ、惚けてみれば性急に衣服を奪い始めた。
普段の大人しい様子と真逆の行動に刃は驚きながらもされるがままになり、丹恒を見詰める。
「なぁ、気持ち悪くないのか……?」
Tシャツを首元までたくし上げられ、下着までも奪われて裸身を露わにした刃の体には、事故の傷以外にも砕けた骨を繋ぐため、破裂した内臓を修復するための手術痕が大量にあった。
手術を担当した医者は、後遺症は一生の付き合いとなり、傷も薄くはなっても消える事は無い。と、言い切った。本人ですらあまり見たくない傷跡だったが、丹恒は嫌悪どころか寧ろ愛おしむように胸や腹にある傷跡を撫で、唇を触れさせてくる。
「別に……」
丹恒の興奮は、兄に触発された若気の至りとも刃は考えていたが、意外と好かれているらしいと知れて胸の奥が疼くような、面映ゆい心地になってしまう。
「刃の方こそ、嫌じゃ無いのか……」
「こんな体でいいなら好きにすればいい……」
「だから、煽るような真似は止めろ!」
刃は嫌ではないを前提に、醜い傷跡のみならず事故による後遺症で碌に勃起もしない不能の体。かつ、こうなった際に、どうしたらいいか解らず任せるしかない。と、伝えたかっただけで煽っているつもりは一切無いのだが、言葉足らずもあって丹恒からすれば、いじらしく己を受け入れているように映ってしまっており、全てが官能的に捉えられてしまう状態である。
「ちょっと待っててくれ……」
「あぁ……」
そう言って、丹恒が部屋から出て行く。
年上の割に何もしない己がみっともなくも思え、刃はぼんやりした頭で懸命に考えるも、性的な経験と言えば格闘技をやっていた時期に、仲間から鑑賞会と称してアダルトビデオを強制的に見せられた出来事しか思い出せず、それすらも恥ずかしくて途中で逃げていたため碌なものではなかった。
刃は体を起こすと腹を摩り、熱を吐き出すように嘆息した。刃が感じているのは今正に応星が丹楓から受けている悦楽の一部でしかないのだが、一部ですら体が気怠く、腹の奥から溶けて広がり、全身を侵してくような熱が全く止まず、熱の逃がし方も解らず持て余しながら丹恒を待つしか無い現状は、実に居たたまれなかった。
「すまん……」
円筒形の容器を手に戻ってきた丹恒が再び血の味がする口づけをして、舌を押し込まれて腔内を舐められ、擽ったいような心地好さに目を閉じる。
「あ……」
「どうした?」
唇が離れ、ぱんぱんに膨らんだ丹恒の下腹部を視認した刃が声を零し、指先で突くように触れて
「舐めたりした方が、いいのか……?」
刃がアダルトビデオの女性が男性器を舐めていた様を思い出し、見上げながらそうするべきなのか問えば、丹恒の鼻から再び血が流れて敷布を汚してしまう。
「大丈夫か⁉」
「もういい……」
刃の手が鼻血を拭こうとすると手首を掴まれたまま押し倒されてしまい、丹恒が片手で器用に容器の蓋を外す。それは救急箱の中に入っていた止血や傷の保護に使うワセリンで、丹恒は透明な中身をすくい取ると刃の後孔に塗布しながら指を押し込んでいく。
「丹恒っ⁉」
「酷くはしない、任せてくれ」
刃が丹恒を止めようとしたが、はっきりと言われては引かざるを得ず、鼻の下に血を滲ませた滑稽さも含めて可愛く感じられてしまい、黙って頷く。
押し込まれた指は異物感のみで快も不快もないのだが、奥の熱に届きそうで届かずもどかしい。
「ぁ……、あっ、は……」
長々と弄られていれば、指が内部を擦る度に腰の周りが重くなり、背筋に得も言われぬ痺れが這い上がってくる。これが己が感じているものなのか、応星が感じているものなのか、混ざって判らなくなり、刃は敷布に体を擦りつけて身悶えるばかり。
勝手に口から出てくる自身の上擦った声も気持ち悪く、刃は羞恥から消え入りたい心地になる。
「たん、こー……、もういいから、はやく」
「お前な……」
恥ずかしがっているなど微塵も考えもつかない丹恒が勝手に煽られ、腕で鼻の下を擦り、デニムパンツの前をくつろげると我慢の聞かない犬のように涎を垂らした長く傘の張った硬質な性器が飛び出て、顔を枕で隠してしまっている刃の足を抱えると、濡れた後孔に挿入していく。
「痛くないか?」
「た……くはない、けど、指よりでかい……」
「そりゃな……」
刃が息も絶え絶えになりながら、応星の枕を抱き締めて気を紛らわそうとしており、丹恒は彼の実兄の物であると理解しつつも、心に湧いた靄を払うために奪い、寝台の外へと放り投げて散らかった床に一つ物を増やした。
「抱きつきたいなら俺に抱きつけばいいだろ」
下らない悋気とは思えど、刃に覆い被さりながら腰を抱いて深く性器を押し込み、最初は浅く律動し、徐々に深くしていけば肉壁は性器の侵入を悦ぶように締め付け、丹恒を受け入れる。
動けば動くだけ丹恒のために在るかのように刃の体内は形を変え、素直に足を絡ませながら全身で縋り付いてくる。
「た、ん……こう……」
丹恒の耳の側で刃の熱い吐息が吐き出され、甘やかな声が己の名を囁けば、擽ったさと同時に性感を煽り立てた。引き締まった筋肉質でありながら、豊満とも言える肉付きの良い刃の肉体はどこに触れても心地好い感触を丹恒の掌に返し、興奮を際限なく昂ぶらせていくばかりで簡素な寝台がその激しさに悲鳴を上げて軋む。
丹恒が刃の体内に吐精し、抱き締めていた体を離せば、白い敷布に散らばる黒い髪が汗を搔いた肌に張り付き、熱に浮かされた瞳が興奮しきった雄の顔を映す。
「おわった、か?」
胸を激しく上下させるほど荒く呼吸を繰り返し、刃が敷布に頭を擦りつけ、首を傾げるようにして丹恒に訪ねれば、興奮が落ち着くどころか体内に収めたままの性器を再び大きくし、腹の底から息を吐くと肉を前にした猛獣のように目の前の肉体を搔き抱き、首筋に歯を立て、より激しく腰を揺らして苛んだ。
気持ち悪いだろうと嬌声を堪えていた刃も、これには堪らず声を抑え切れず、為す術もなく目の前の相手に縋る事しか出来なくなり、右手の短い爪が丹恒の背を引っ掻くが、丹恒にはその痛みすら嬉しく感じられて血の滲んだ噛み痕を舐め上げた。
鉄臭い味、しかし、どこか甘くも感じられ、丹恒は自らの舌でねっとりと味わう。
「刃……」
「う……っん」
味わえば味わうほど終わり無く、離し難い。
異常な経験から人に触られる事に嫌悪を覚えていた丹恒が、刃の手であるならば胸が締め付けられるような感覚と、興奮しか覚えず、寧ろ自ら求めてたくなってしまう。
「可愛いな……」
「ど、こが……⁉」
胸の奥から湧き出す感情を言葉にするならば、『可愛い』が適切であるのだが、刃は身長も体躯も丹恒よりも大きい己が、そう表現される事に違和感しか無いようで、肉体を苛まれながらも否定する。
「俺には可愛い」
「あり得ないだろ……!」
互いに半ば意地になり、情事の最中とは思えない言い合いをしながらも、言葉が止まればどちらからとも無く唇を合わせ、刃が丹恒の髪を撫でれば、矢張り可愛いじゃないか。なんて思いながら抱き締め返すのだった。