・序盤モブが出張る
・後半にちょっと楓応
・自己解釈強め
▇◇ー◈ー◇▇
工造司にある応星の工房、その倉庫にて。
大量に搬入された素材の種類、入荷数に差異が無いか確認していれば、小さな溜息と共に、
「俺も殊俗の民に生まれたかったなぁ」
そんな耳を疑うような言葉が聞こえた。
常であれば、仕様も無い嫌味、嫌がらせは看過する応星であるが、あまりにも長命種らしからぬ科白が聞こえたために思わず振り返り、発言した人物をつぶさに眺めてしまった。
応星の視線に気付いた男は、声に出てた?と、気恥ずかしそうに頭を掻き、凝視していながら今更聞かぬ振りも出来なかった応星は小さく頷いた。
「なんか、応星もだけど、他の殊俗の民を見てて『いいなぁ』って思う事があるんだよな」
確認作業の手は止めないながらも、男は補足のように言葉を連ねる。
「短命種になりたがる長命種とは、随分と奇特だな」
些か、棘のある言い回しを応星がするも、男は苦笑したのみで咎めるどころか肯定するように呻り混じりの息を吐いた。
「俺は、少々手先が器用だからと工造司に親の勧めで入ったが、何かを成し遂げようとする情熱もなければ、これを作りたい。となるような意欲もない。言われた事、教えられた事は出来るが、それだけだ」
男の声は沈んでいき、しゃがみ込んで項垂れ、とうとう確認作業の手が止まるが口は止まらない。今の今まで相当に心に溜め込んでいた言葉と見えた。
長ったらしい男の愚痴混じりの悩み、短命種への羨望を纏めてしまえば数行で終わる。
曰く、自ら創意工夫をして造り上げたい物がない己は工造司の中でも浮いている。
応星を筆頭にして留学して来る殊俗の民は皆、一様に目を輝かせながら熱心に技術を学び、自らの着想を形にしようと尽力する。
命短き種族は勤勉で、生きる事に熱心で、彼の目にはいつも輝いているように見え、己も殊俗の民であったならば、あぁ成れたのか。などと有り得ない妄想をするようになったそうだった。
要するに、彼には生きがいがないのだ。
仕事は出来るが、それは決してやりたい事ではなく、やりがいも見いだせない。
与えられた設計図通りに機巧を作りはしても己は図面に一本の線すら引いておらず、どれだけ作っても自身の成果とは感じられないまま無為に過ぎていく時間に飽き飽きしてしまっている。長命種なれば、魔陰に堕ちなければそれこそ百どころか千年以上続く怠惰の日々。
応星から言わせれば『贅沢』であるが、物憂げながらも心の底から吐き出された言葉を揶揄する気にはなれなかった。元々、彼は温和で応星を蔑むような発言はせず、仕事を頼めば危うげなくやり遂げ、こうした検品、在庫確認などの地味な作業も文句を言わず、共にやってくれる信頼があったが故でもある。
言われた事を言われたようにやる。
それすら出来ない人間が居る中で確実に仕事を熟す彼は己の優秀さに気付いていない。
無能は目の前の事だけに必死になり、先の事などは考えない。要するに、想像力が無いのだ。
だが、彼は優秀故に己の先が見えてしまっている。機巧や武器を作る能力はあれども、応星のように無から有を生み出すような突出した才もなく、時間が止まっているかのような日々を繰り返す己に焦燥感を抱いていた。
しかし、残念ながら彼は大変な勘違いをしている。
白紙から独創的な設計図を造り上げられるほどでなければ職人として存在する意義がないとばかりに語るが、職人と一言に表現しても中身は多岐に渡り、彼が羨む短命種にも『やりたい事』がなく、日々をただ『生きる事』のみに使ってしまう人間は存在する。
仙舟を訪れる殊俗の民は、学業にしろ商売にしろ目的意識を持って来るのだから、言ってしまえば『勤勉で当然』であり、殊更、悠長な長命種からすれば、本人はゆったりしているつもりでも、急いているよう見えている可能性とてある。
「殊俗の民だったら、自分も情熱が持てるかもしれない。と?」
「荒唐無稽な妄想である事は理解しているから責めないでくれ。頼む」
男は変わらず苦々しく笑いながら、応星に向き直ると降参するよう両手を胸の高さまで上げて懇願する。
「仙舟人は……、見た目は若くとも、生きれば生きるだけ精神が摩耗し、無感情になっていくんだ。感情の揺らぎによって化け物になるなんて爆弾を抱えた種族なのだから、そうならざるを得ず、元から情熱なんぞ持てないのかもしれん。寿命が違いすぎる種族に対する差別感情も、ある種の自己防衛なんじゃないかと俺は思ってるんだ」
「なんだそれは……」
すっかり作業を中断させられた苛立がありはしても、応星は耳を傾ける。
長生の祝福を呪いとして豊穣殲滅を掲げながらも無駄に長い命を誇り、短命種を見下して嘲る長命種等の珍しい考えが気になってしまった。
「だって、そうだろ?殊俗の民は愛情深くて、いつだって健気だ。そんな人間と添って、あっという間に失ったりしてみろ。どれだけ精神が乱されるか……。場合によっては一瞬で魔陰に堕ちてしまうんじゃないか?」
「だから、殊俗の民を差別し、己等とは違う生物と認識する事で寄せ付けないようにしている。と?」
「そうだ。案外、的を射てるんじゃないだろうか」
肯定までは行かずとも、自身の考えを理解してくれた応星に男は破顔する。
応星は仙舟にやってきた幼少期から差別され、嫌がらせをされてきた。
短命種である事を揶揄するばかりか懸命に造った物を壊され、下らない妨害で時間を無駄にした事とて幾らでもある。白珠の励ましがなければ、今でも短命種である己を蔑みながら下を向いていただろう。
実に腹立たしい記憶である。
だた、それが小さき獣が二本足で立ちあがり、懸命に己を大きく見せようとするが如きの健気な威嚇であるとしたら、起こりうるかどうかも解らない物事を恐れて右往左往するような有様なのであれば。
応星は吹き出しそうになった息を咳払いで誤魔化し、何度か深呼吸をする。
「殊俗の民になるなんぞ出来るはずもない願望を抱くのは端から無駄だ。折角、長い寿命があるんだから、探してみればいいんじゃないか?」
「探す?」
「仕事は出来ているんだから、物を弄る事自体は嫌いじゃないんだろう?」
応星の問いに男は顎を摩りながら考えつつ頷く。
「なら触る対象を変えてみたらどうだ?俺は機巧作りや鍛造以外に触れた事がないから詳しくはないが、楽器とか……、いや、その前に触って楽しい物はないのか?」
悩みを解決してやる。そんな傲慢な思考はないが、この男は素直で優秀だが、真面目に過ぎる。与えられた物を求められるままやり遂げようとするあまり、自ら選択肢を狭めてしまっているのだ。
親が勧めたからと工造司に入り、手先の器用さを買われて細かい作業が多い機巧を作る。『やりたい事』でなくともやれる危うげない有能さは、適材適所に配置されれば、とんでもない才を発揮しかねない期待があった。
物作り自体は厭うておらず、機巧作りが合っていないだけ。他の事をやらせてみたらどうなるのか、面白半分もあったが応星は真摯に耳を傾け、男の回答を待つ。
「髪……、そうだな、髪を弄るのが子供の頃好きだった」
果たして彼の幼少期は何十年前なのか。短命種である応星には想像するのも面倒だが、男は無意識に手を動かし、思い出そうとしているようだった。
「仙舟は髪を長く伸ばす風習があるが、髪結いは伝統的なやり方や、ただ結い上げてるだけの人が多いだろう?」
「そりゃあ、凝った髪型にすると毎日が面倒だろうしな……」
「解るが……、長くて綺麗な髪なのに、勿体ないと昔は思っていたんだ。結い方を工夫して華やかに飾ったりしたら楽しいだろうに。って、あぁ……、何故忘れていたんだろう……」
男は天啓を得たかのように熱っぽい瞳を応星に向け、胸に両手を当てて感嘆する。
本当に良くも悪くも素直なのだ。
応星は、仙舟人が皆、このように単純ならば良い。などと考えたが、それはそれで瞬く間に豊穣の忌み物に滅ぼされかねないため、即座に脳内で却下する。
「髪、そうだ、髪を結い易くする道具とか……」
「あー……、それは置いといて、とりあえず確認をだな……」
応星が目の前に在るやるべき物事を示唆するも、男はすっかり独りの世界に入り込んでしまい、実に楽しそうに独り言を呟いている。
思考に耽りすぎて、他者の声を脳が認知しない経験は身に覚えがあり、こうなった原因は作業を放り出して耳を傾けてしまった己にもあると諦め、応星は独り淡々と確認し、不備無しとして業者に連絡を入れる。
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それから、男は仕事を熟しながらも何かに目覚めたように隙間時間を使って何かを描いて造っていた。やるべき事はやりつつも、造りたい物が浮かんでは消えていくのか慌てるように筆を紙に走らせている。
やり過ぎて倒れないように。なんて忠告はしつつも、自身が言えた身ではなさ過ぎて見守るだけにしていれば、瞬く間に数週間の時間が過ぎた。
「応星、簪作ってみたんだがどうだ?」
目の下に隈を作り、それでも楽しそうな男は応星の目の前に十本程の試作品を広げてみせる。
応星が、髪を纏める道具として簪を使っていたため、手始めに簪を作ってみたら思いの外、楽しくてあっという間にこの数を仕上げてしまったようだった。
不慣れで作りが荒い部分もあるが、実際、手先は器用なのだ。
細かに作られた飾りは優雅に揺れ、彫金にて彫られた花の模様は素朴ながらも華やかで、普段使いであれば問題ない程度の出来になっていた。
「へぇ、いいんじゃないか?」
「応星にそう言って貰えると自信が付くなぁ……」
長命種には珍しい徹夜で限界なのか、なんとも胡乱な笑顔で男は笑う。
短命種でありながら百冶の称号を得た応星の実力をこうも素直に認める仙舟人も珍しい。繰り返すが、本当に根が単純、もとい素直な人間性なのだろう。
応星が広げられた中で自分好みな簪を見ていれば、男が急に息を呑み、顔が引き攣った。
視線を追うと応星の背後を見上げていたため、振り返れば不機嫌も露わに立つ羅浮の龍尊、飲月君の姿がそこにあった。
「わ……ざわざ、どうした?」
「文を何度も送ったが?」
「え、そうだっけ?」
一旦は否定してみても、二週間ほど前、仕事終わりに食事を共にとるかどうか打診するメッセージが玉兆に届いていた事を思い出し、応星の背筋が冷えていく。
メッセージを受け取った際、忙しさにかまけて後回しにしていた。『何度も』と、言うからには数度送ったはずで、初回以外の記憶が無いため、完全に無視していた形になる。
「ごめん……」
完全に己に非があり、応星は強気に出られずに背を丸めた。
「其方が私用の文を見ぬのは今に始まった事ではなき故、構わぬ」
丹楓は高貴なる身分のため、おもねる甘言を用いるような人間性ではなく、言葉は本心であろう。しかし、眼、表情、声、態度、全身に怒りを湛えて圧を与えている事実は否定しようがない。
「あ、の、俺はお暇しようかな……」
「其方、何故、応星に簪を見せていたのだ?」
男が刺激しないよう、密やかに帰ろうとすれば、丹楓が引き留め、問い質す。
彼に他意は無い。
己の新たな道を切り開いてくれた恩人へ試作品を見せていただけなのだから。
羅浮の龍尊。
丹楓は気位が高く、特に短命種を蔑む傾向にある持明族の長とは思えぬほど応星に親愛の情を注ぎ、親友、己の一部とまで公言して憚らぬ事実はこの工房で知らぬ者は居ない。
よもやの嫌疑をかけられたものか。焦った男が応星に何かしら嫌がらせをしていた訳ではない。と、弁明するも丹楓の視線は厳しい。そして、想像力豊かな彼は小さな情報を繋ぎ合わせて一つの結論を導き出した。
「龍尊様、粗末な品ではありますが、こちらを貴方様へ献上いたします。どう扱うかはご随意に……、では!」
男は一方的に捲し立て、膝をつきながら一本の簪を恭しく丹楓に渡し、直ぐに退散していった。
「なんだあいつ?」
簪を渡したかと思えば慌ただしく出て行った男の背中を眼で追いながら応星は呆れたような声色で呟き、
「応星、其方はあの男から簪を受け取ろうとしていたのではないのか?」
と、丹楓は渡された簪を手で玩びながら、半眼で見やる。
「試作品を見せられてただけだな?中でもそれは良く出来てたから売って貰えるか交渉しようかとは思ってたけど」
事の経緯を簡易的に語り、応星は丹楓の手の中にある簪を指差し、銀の月に翠緑の小さな石が象嵌された意匠が気に入ったのだと応星が言えば、丹楓が醸し出していた威圧感は瞬く間に消え失せていった。
「彼奴は、これを余に献上し、扱いは好きにせよと申した。なればこれは其方に贈ろう」
先程の不機嫌が嘘のように丹楓は微笑み、その変わり身に一瞬警戒した応星だったが、渡された簪を眺めていればどうでも良くなったのか、下ろしていた髪を器用に纏めて簪を刺すと笑顔を見せた。
「どうよ」
「うむ、良く似合っておる」
「ほったらかした詫びに俺が飯奢るから、金人港にでも行くか」
丹楓が鷹揚に頷く姿を見て、応星は先導しながら己が食べた中で美味しい料理を出してくれる店を列挙しているが、提案を受ける本人は全く聞いておらず、視線は銀白色の髪を纏める簪に注がれている。
「なぁ、聞いてるか?」
「其方と共であればどこでも良い」
「そうか?」
提案のしがいがない返事に、今度は応星が眉根を寄せるが、悩むのは無駄な行いとして直ぐに切り替えて自身が食べたい料理を優先して店に直行し、龍尊の姿に動揺する店員を余所に、提供された料理に舌鼓を打つ。
満腹になり、食後の茶を飲んでいた応星が、不意に声を上げ、丹楓を見詰める。
「なんだ?」
同じように茶を口に含んでいた丹楓が視線を受けて応じるも、応星はなんとも言い難い呻り声を上げた。
「持明族は魔陰に堕ちるのか?と思って」
「前例はある。確率は低いが、健木が存在する限り可能性が皆無とは言い難いな。とは言え、兆候が出た時点で古海に沈む故、持明は魔陰に堕ちぬと考える者も在る」
「なるほど、表に出づらいだけか」
転生を繰り返すが故に自身の人生史を残し、後身に伝える習慣がある持明族の族長ともなれば事例を相応に見てきたのだろう。
ならば。
「俺が死んだらお前は魔陰に堕ちるのか?」
ほんの戯れに、あの男の自説を元に訊ねてみた。
途端に、丹楓の表情は曇る。
「かも知れぬな。其方は己の一部がもぎ取られても平然と生きてゆけるのか?」
情を試すような発言は酷と知りながらも、普段は感情が欠落しているような男が見せる揺らぎが面白く、応星は眼を細めて丹楓を見詰め、
「龍尊様はそんなに俺が大好きか、そうかぁ」
くつくつと喉を鳴らして笑い、興に乗った応星は丹楓を茶化し出す。
「一介の短命種如きに何故、そうも執心するのか。龍尊様は実に変わったお方だ」
「応星……」
己の情を弄ぶ発言をする応星に丹楓は口角を下げた。
彼は、時にこのような性質の悪い言葉遊びに興じる悪癖がある。
賢い頭脳を、良く回る口を用いて、己を蔑んできた長命種等と丹楓を比較して面白がった。
「其方は、自覚が足りぬな」
「百冶らしく居住まいを正せだのと、説教するならごめんだぞ。どうせ実権も何もないんだから好きにさせろ」
己を取り巻く環境を腐す発言と共に応星は肩を竦めて反発するが、丹楓は大きな溜息と共に首を横に振る。
「違う、余に愛されているとする自覚だ」
皮肉げな笑みを浮かべて遊んでいた応星が、『愛』などと大層な科白に思考を停止させ、瞠目したまま丹楓を見詰める。
「良い、このまま余の宮へと来るがいい。しかと解らせてやる」
「え、いや、いい、遠慮しておく……」
嫌な予感に椅子を倒す勢いで立ち上がった応星を、丹楓が素早く捕らえ、店主には龍宮へと請求書を送るよう言いつけて店を後にする。
道中、抱えられた応星が丹楓の腕の中で幾ら藻掻いてもびくともしない。
いつも優しく庇ってくれていた腕は硬く閉じられ、身に絡む龍の尾は肉を締め付ける縄のように外れない。
「丹楓……、あの、怒らせたなら謝るから話し合おう……」
「そうだな。其方が何も理解しておらぬと理解した故、じっくりと話し合おうではないか」
うっそりと笑む丹楓に、己がどこで逆鱗を触れたか微塵も察せないまま応星は宮へと連れ去られ、翌朝には大変良く解りました。そう、寝台の上で啜り泣く羽目になったのだった。