・字が汚い応星の話
・黙って補助をしてくれる楓様
・モブが少々出張る
丹楓が呑みの約を取り付けるために工造司を訪ね、応星と対して居た際、扉を叩く者があった。
応星が許可すれば、工造司の制服を着た持明の男性が入出の後、俯きがちな視線で遠慮がちに話しかけてくる。
「あの、応星先生……」
「うん?なんだ」
自らの一族の長、龍尊が応星の側に在るとあって、異様に萎縮はしているが、それでも訪ねてくるからには火急の用件として応星は耳を傾ける。
「先生に頂いた設計図なんですが……?」
「不備でもあったのか?」
「い、いえ、不備以前の問題と言いますか……」
要領を得ない伝え方に、応星は『それで?』と、優しく促すが、二人の時間を邪魔され、苛立った丹楓は不機嫌も露わに男性を見据えている。
「あぁぁのぅ……、えっと、その……」
丹楓の視線に怖じて男性の背中が更に丸まり、蚊の羽音よりも声が小さくなっていく。
応星が煩わしそうに眉間に皺を寄せ、不要な圧をかけるな。と、ばかりに丹楓の脇を肘で小突き、横目で睨む。
「別に怒っちゃいないから、用件があるなら早く言ってくれるか?」
己を侮蔑しない相手であれば応星は比較的、温和に接するのだが、仮令、上役相手にも傲慢に振る舞う彼を知ってた男性は、要望を伝える事で、どんな叱責や罵倒が飛んでくるのか身構えていた。しかし、丹楓から庇ってくれた事実も相まって、あからさまに安堵の表情を浮かべて設計図を机上に広げ、応星に見せた。
「大変、恐縮なのですが、私如きでは先生の字が全く読めなくて……」
「あ、あぁ~……」
応星は思い当たる節がありすぎて、先程の男性にも負けないか細い声を出し、丹楓は設計図に書かれた文字を見て、不可解な物を見るように片眉を上げた。
「なんだ、この蛇がのたくった挙げ句、絶命したようなけったいな絵は」
「煩い……、字が下手で悪かったな……」
最早、文字とすら認識してくれなかった丹楓に悪態は吐くが、応星は気恥ずかしかったのか耳が赤くなっている。
「これ、えー……、あー?あぁ?」
机上に広げられた設計図を眺めながら応星が首を傾げて呻り声を上げ、疑問符がつきまとう声に丹楓の脳裏に嫌な予想が過る。
「よもや、己が書いた字が読めんのか?」
「えぇ⁉」
書いた本人が解読出来ないのであれば、この世の誰が解読出来るというのか。
「煩い、ちょっと待て!えっと、これ……」
机の周りをうろうろとしながら視点を変えつつも解読を試みて、それでも何と書いたか読めない、思い出せない応星の焦りは加速していく。
ある種、他惑星の文字の如き様相の応星が作り出した文字は、このまま誰にも解読されずに終わるのかと思われ、百冶たる人物が作成した設計図を完成させられない絶望感を男性が味わっていれば、
「これは金か?それで、端子?を覆い……、伝導率を上げ……、漏電を防止する絶縁体として……、で、覆って……?」
「読めるんですか⁉」
「所々な」
「丹楓!」
黙って眺めていた丹楓が、文字を指でなぞりつつ訥々と解読出来た部分を読み上げれば、設計図を作成した当時の記憶も蘇ってきたのか、応星が勢い良く声を上げ、男性へ朗々と解説をし出した。
そこへ、溜息を吐きながらではあるが、丹楓が筆を取り、整った流麗な文字で設計図に解説を書き加えていく。
解説が終わり、事なきを得た応星と男性の表情は晴れやかである。
「ありがとうございました!本当に!先生、龍尊様、ありがとうございましたぁ!」
平身低頭、男性は嬉々満面の様相で跳ねるように自らの工房へと戻る。
「丹楓、悪かったな……?」
「其方が一番嫌う二度手間であろう。何故もっと丁寧に書かん」
「勢いで書いたり、眠かったりで余計……、あ、でも良く読めたな?」
自らの稚拙な文字を恥じながらも、応星は解読してくれた丹楓へ、素朴な疑問を投げる。
「其方からの手紙や、報告書で見慣れておる。因みに、報告書は読めなくもない……、が、汚すぎて余が清書してから玉殿へ上げておる故にな」
「嘘だろ?」
「残念ながら事実だ」
応星とて、上層部へと上げる報告書はかなり気を遣って丁寧に書いているつもりだったのだが、それでも不可として、親友へ余計な負担かけていた現実を知らされ、大きな眼が零れ落ちそうな程に見開かれていた。
「其方も言うておったが、眠かったのだろう時の字は特に最悪だな。酔ったら目も当てられん、実に芸術的な造形をしておる。解説がなければ解読不可能だ。造形美ならぬ造形微とでも言おうかの」
ふん。と、丹楓が鼻を鳴らし、惨憺たる評価を受けた応星は、全身に火が灯ったかのような熱さを感じ、肌を真っ赤に染めて、その場にしゃがみ込み蹲ってしまった。
「応星?」
「うっさい……、汚いのは自分でも知ってるがなぁ、そこまで言わなくてもいいだろうが」
先ずは余計な労力をかけさせていた事を謝罪し、改善を試みるべきであるが、それよりもなによりも、親友にここまで言わせる己が恥ずかしくて堪らず、応星は丹楓の顔が見れなくなっていた。
揶揄っただけであり、丹楓も本気で苦言を呈しているつもりはなかったのだが、字に関しては、この傲慢な匠も少々思う所があったのか、中々の致命傷を受けたようだ。
「応星……、言い過ぎた……、顔を上げてくれ」
余人が見ていれば、あの傲岸不遜な龍尊が人を傷つけたと焦りを見せ、懇願する様など想像すらしなかった事態に驚くだろうが、今は二人を邪魔する者など居ない。
「呑もう……、行くぞ!」
丹楓は焦りのまま、しゃがみ込んでいる応星を強引に抱え、自らの居城へと移動する。
その間も、応星は既に酔っているかのような文句をぶつぶつと丹楓に言い続け、それを受ける丹楓は、分かった。すまなんだ。機嫌を直せ。と、懸命にあやすばかり。
酒を出しても羞恥からの不機嫌は中々直らず、相当に呑み進めてからようやっと、丹楓へ涙ながらの謝罪を口にした応星だったが、酒が過ぎたためか、翌日には呑み始めてから前後の記憶が飛んでいた。
それが、良かったのか悪かったのかは誰にも分からない。
余談にはなるが、後日、書店にて『字が綺麗に書けるようになるには』との題が書かれた書籍と睨み合う応星の姿があった。