扉の向こう側から苦痛に呻く声がする。
重い鉄扉を開けば薄暗い部屋の中で床に転がった状態で自らの体を抱きしめながら身悶え、大柄な体を小さく丸める刃の姿があった。
「刃……」
「う……ぁ……」
景元が傍らに跪いて手を伸ばせば手酷く弾かれ、刃の両手首を拘束する鎖が重い音を立てた。
目は虚ろ、呼吸も荒く、恐らく近づいた者を反射的に攻撃しただけで、『誰か』は認識していない。
景元は手に持っていた瓢簞の中身を口に含み、暴れようとする刃を押さえつけながら口移しに飲み下させ、渾身の力を込めて抱き締めていれば徐々に刃の体から力が抜け、表情も徐々に獣が唸り上げるようなものから、呆けたものに代わり、石榴の瞳が景元を捕らえた。
「私が分かるか?」
「あぁ……」
力ないいらえではあるが、人としての意識が戻ったようで、景元は心から胸を撫で下ろす。
啣薬の龍女が魔陰の発作を落ち着かせるための安心薬とやらを開発し、一定の効果は望めていると聞いて取り寄せた甲斐があったのだ。
難なく受け答えをする刃と接していれば、さも常人と接しているようにも錯覚するが、彼は魔陰の身に堕ち、絶えず豊穣の呪いに苛まれ、その心身を理性のない怪物に変じさせる発作は定期的に訪れていた。
今回は薬で落ち着かせる事が出来たが、未だ魔陰の身に確実な治療法はない。在る者は「魔陰の身に堕ちる事は老衰のようなもので、所謂寿命なのだから治療などするべきものではない」と、言う。確かに魔陰の身は長命種の宿命だが、親しかった友人も、愛する人も判らなくなり、悔恨、恨みつらみに取り憑かれ、化け物として殺される。そのような悲しい最後、起こらない方がいいに決まっている。
上記のような人間は、件の龍女が躍起になって魔陰の身を治療しようとする様に眉を顰めているが、景元は彼女に対して希望を抱いていた。いつか、魔陰の身が治せるようになれば、呪いに振り回されずに人としての瞑目を迎えられるのだ。
無論、この刃と言う男も。
「汗が凄いな。体を拭おうか……」
ぼんやりと景元を見ているばかりの刃に語りかけ、抱き起こして寝台へと寝かせれば、刃が緩慢に体を起こしながら、するすると服を脱ぎだしたものだから景元は驚いて凝視する。
「抱きに来たんだろう?さっさとやればいい」
「いや……、今は辛いだろう?」
「直ぐに回復する。そういう体だ」
確かに、捕らえた当初は発情の関係もあって幾度となく体を重ねていた。刃にとって、景元の来訪が房事に直結するのも可笑しくはない。しかし、今日の来訪は、薬を飲ませる目的のみで抱く意図はなかった。にも拘わらず、こうも開けっ広げに誘われてしまうと無意識に生唾が湧き、飲み下すと中々に大きな音が出て景元の顔に熱が集まる。
「あ、汗とか……」
「どうせ抱いたら風呂に連れて行くじゃないか」
「まぁ……」
返って景元の方が動揺してしまい、顔を赤らめながら視線をうろうろと彷徨わせて落ち着かず、それに刃が小さく喉を鳴らす。
「けだもののように縋り付いて、化け物の胎に子種を注いでいる奴が何で顔だ」
嘲るような薄笑いを浮かべながら刃は壁にもたれかかり、細く息を吐く。一見、扇情的な吐息にも感じられたが、直ぐに唇を引き結んだ様子を見るに、虚勢を張って挑発はすれど本調子ではないのだろう。
なればこそ、無為に居座られるよりも手早く目的を遂げて貰った方が安らぎはしないまでも楽なのか。効率的と言えば効率的である。
据え膳と言えば据え膳だが、さて。と、景元が困ったように微笑みながら寝台に座る。
「景元……?」
「肌が冷たいな……、人の体温が欲しいのかい?」
手を出さず、このまま様子の確認だけで終わらせて帰っても良かったが、やられっぱなしは正直、面白さにかける。どことなく、昔の彼が良く友人を揶揄って笑っていた姿を重ねながらの意趣返し。頬に手を当て、まるで、彼が景元を求めて止まないような言い回しをすれば、刃の目元がぴく。と、動き、手を払い除けられた。
「ふふ、体を拭う物を持ってくるよ」
揶揄われたと感づいた刃は景元から顔を背けて舌を打つ。
反抗する気力があるなら、『まだ』大丈夫だろう。そんな事を考えながら、景元は部屋を後にした。
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「いい加減に、あの星核ハンターを私に渡して下さい!いつまで尋問にかかってるのです⁉そもそも、将軍様と在ろうお方が審問官の真似事をしなくとも、この私が目的だろうが、罪だろうが全部暴いてみせますわ!」
「すまないね、私が知りたい事は少し違うんだ。もう少し辛抱してくれないか」
景元が神策府に出向けば幻影体の符玄が待ち構えており、如何にも腹立たしげに詰め寄りながら刃を要求する。
彼女の立場であれば当然の要求である。が、詭弁と知りながらも景元が符玄の要求を逸らした。景元が頑なに刃を渡さないのは、解析が終われば魔陰の身である彼は即時、十王司に引き渡されてしまい、処分されてしまうだろうと予想出来るためだ。それは景元が望む彼の最後ではない。
「何を聞き出したいのかは知りませんが、何を考えているのか少しは教えてくれても宜しいのでは?」
「はは、太卜殿には少々悪い癖があるからね。軽々に口外は出来ないかな」
符玄は説教癖が高じて本来、守秘するべき物事を漏らす悪い癖がある。
それを指摘されると何も言えなくなり、唇に指を立てて微笑む景元を悔しそう睨むばかり。数秒間、神策府に沈黙が降り、符玄が物言いたげに唇を戦慄かせたが、結局何も言わずに通信を切ってしまった。
景元は符玄が消えた空間を眺めながら小さく嘆息し、欺瞞行為の引き時かと思案する。無為な引き延ばしを続ければ、符玄よりも、痺れを切らした十王司が判官や冥差を寄越して強硬手段に出る可能性もある。
それは一番、避けなければならない事態だ。
「さて……」
景元が腕を組み、天を仰ぐ。
どう『やる』のが一番自然か。
出来得る限り、誰も咎を受けず、穏便に済ますための思考を重ねるが、どう足掻いても愚策ばかりが浮かび、景元は頭を一度だけ振り、目が曇っているな。と、呟いて足は幽囚獄へ向かう。
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「やぁ、ご機嫌はいかがかな?」
景元が朗らかな声色で語りかけるが、刃は寝台に座ったまま壁にもたれ、虚空を見つめたまま身動きもしなかった。
元々、返事は期待しておらず、部屋の見回して床に転がっていた瓢簞を拾い、振れば中身がなかった事に景元は微笑む。
「薬はきちんと飲んでくれたみたいだね」
どこまで効果があるかは疑問だったが、今の刃を見るに龍女の研究は相応の実を結んでいるようで、更に期待が深まるばかり。
「具合はどうだ?」
返事はすまいと知りながら景元が寝台に乗り上げ、壁に手をつき、刃に迫りながら唇を合わせれば、表面こそ冷たくはあるが、底にしっかりとした体温を感じ、胸の内が満たされた。
生きている。
今はそれだけで。
一度肌を合わせれば止まらず、景元は刃を押し倒して自らの体温が移るほど唇を割って腔内を貪り、嘲られた事も忘れて刃の体をまさぐりながら欲求のままに膝を開くと性器を撫でて孔に指を沈めた。
暖かく、湿った体内を、じっくりと掻き回してやれば、肉壁は蜜を溢れさせて遺物の侵入を悦ぶように収縮し、景元の口元が綻ぶ。対照的に、刃の表情は硬くなるばかりだが。
刃の体をくまなく愛でながらも景元が上体をのっそりと起こし、互いの唾液に濡れた唇を舐めれば、自身が獰猛な捕食者にでもなったような錯覚を起こす。もしも、己が本物の肉食獣で、彼を余さず食い尽くせたなら、至福を感じただろうか。
「『刃』、私は囚人である君をこうして弄び、享楽に耽る愚かな男だ」
答えは、否。
頭の片隅に湧いた愚鈍な思考を即座に否定し、顔を刃の耳元に寄せ、敢えて今の名を呼び囁く。
「愚かのあまり、下らない失態を犯すかもな……」
「なに……?」
意図の読めない言葉に刃が反応するものの、杭の如き性器が体内に押し込まれる感覚に息を呑み、身をよじらせて奥歯を噛み締めた。彼にとっては与えられる快楽による嬌声も、法悦の吐息を溢す事も屈辱と感じるのだろう。
「ぅ……、ぐ……」
常ならば、刃は自身の腕や手を血が出るほどに噛み締め、声を漏らさないようにするが、手を口元に伸ばす前に景元が抱き込んだため、今回は叶わず喉の奥から獣のような唸り声を上げた。
「噛みつきたいのなら私の肩でも首でも噛めばいい、なんなら食い千切っても構わない、ほら……」
言いながら、景元が首元を差し出せば、刃は差し出されたものに躊躇わず歯を立て、皮膚を食い破って鉄臭い塩味のある赤の液体を飲み下し、寄る辺をなくした手を鍛えられた背中に回して少しばかり伸びた爪を立てた。
「ぐ、ふ……ぅ、う゛う゛……っ」
景元が腰を揺らす度に刃が堪えきれず呻いて、より強く肉を噛み締め、爪で背中や二の腕を抉る。その痛みすらも景元には心地良く、体が揺れると共に流れるぬばたまの髪の艶やかな感触、汗を流して手に吸い付くような肌、匂い立つ性と甘い芳醇な香りに肺腑を侵させ、脳を痺れさせる狂おしい程の執着と、愛おしい感情を満たしていく。
離したくはない。
しかし、今離さなければ、二度と……。
幸い、寿命は無駄に長いのだからいつかは……。
この時ばかりは、長生の呪いに感謝してしまいそうになりながら、景元は自らも刃の肌に歯を立て、首に噛み痕を残す。このような浅い傷、彼ならば早ければたった数時間もすれば塞がり、跡形もなくなるだろうと知っていても何かを刻みつけずにはおれず、刃の体をきつく抱き締めながら深く、より奥へと精を吐き出し、それでも飽き足らず二度、三度と性器を抜かず甘やかな体を堪能していれば、
「いっ、か……げんに、しろ……」
か細く低い声から夢心地の状態を脱するよう諫められ、景元が慌ててしがみついていた体を離せば、刃は目を回す寸前だったようで、力なく手が寝台に落ちた。
「しね……」
薄くだが目は開いており、辛うじて意識は保っているようで悪態を吐くが、景元を詰るよりも呼吸に懸命な様子で激しく胸が上下し、余裕はなさそうだった。
「すまない……」
肉付きのいい刃の胸が動いている様は、ちりちりと景元の欲を擽り、触れたくなったが涙の溜まった目で睨まれてしまった故に手を引っ込め、性器を引き抜けば蓋になっていたものがなくなり、打ち込んだ精が溢れ出る。
このまま孕んでしまえば良い。などと願いながら景元は腹を一撫でし、足腰が立たなくなっている刃を横抱きにして幽囚獄の一角にある囚人用の浴室へと歩を進める。
体を流している間も、刃のぼそぼそと呟かれる悪態は止まらなかったが、景元は一々相槌を打ちながら、時に悪い唇に口づけて最後の逢瀬を心に刻みつけ、帰る際には人払いを解除する伝達を『うっかり忘れて』幽囚獄を後にした。
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「もしかして、わざと逃がしたんですか⁉」
幻影体の符玄が声を荒げて景元を責めれば、髪で表情が見えないよう左側に顔を背け、時間稼ぎに数歩歩いてから腕を組み、
「私が?符玄殿のように未来を占う事の出来ない、私がかい?」
などと嘯き、再び詭弁を吐く。
景元が非を認めて責任を負う態度を示せば、符玄は直ぐに自らの功績を持ち出し、将軍の座を譲れと強請って言うだけ言うと満足したのか通信を切った。
今度は意気揚々と元気な子供が声を上げ、諫めても聞き入れはせず、単独行動を開始する。
景元は彦卿の安否を憂いながら神策府の外に視線をやり、次の駒をどう動かすべきか思索にふけだす。
肩や背中に残る愛おしい痛みを感じながら。