□■ーーーー■□
月と星が瞬く深夜。
龍尊が住まう丹鼎司の邸宅にて丹楓と応星が庭園で肩を並べ、酒を嗜みながら静かに語らっていた。
内容は他愛ない。今日は何があった。何を作った。皆の反応がどうだった。口数の多い応星が一方的に話を続け、丹楓は目を細めながら相槌を打ち、時に口を挟む。
そんな穏やかな時間が心地良く、丹楓が少しでも長く。と、会話を引き延ばしていれば、応星が酒量を誤ったか少しずつ言が減り、丹楓の隣で大欠伸と共に目を瞬かせ、寄る辺を求めて丹楓の肩にもたれながら小さく呻った。
「水でも飲むか?」
「大丈夫……。そういえばさ……、持明族って性別ないって本当か?」
「なんだ急に」
応星の眠そうな視線は丹楓の胸や股間に注がれており、不躾に胸部を軽く叩くように触れる。
仙舟人ではない応星が他種族の知識に疎いのは仕方がなく、顧客、あるいは工造司の誰かしらとの会話で余計な知識を吹き込まれたのだろうと察しはつくものの、無邪気に疑問を投げかける彼に対し、丹楓は頭痛が湧いてくるような心地になった。
「そもそも性別が必要ない種族ではあるが……、ない訳では……」
持明族は己の寿命が尽きる前。あるいは激しい損傷をした際に卵に戻り、転生をする。
万が一、命を落した場合、持明族にとっての人口の損失は永久的な損失ともされる。
転生によって親という存在が不要のため、生殖能力も退化し、性別の概念は見た目だけのものとする研究も存在する。
「じゃあ、一緒に風呂でも入るか?」
「お前な……」
応星は知識欲も探究心も好奇心もずば抜けた人物であり、欲求のためなら危険な事にも踏み込んでしまう性質を持った人物だ。
気になった物事は自身の目で確認したいのだろう。それは丹楓も知ってはいるが、
「入らない」
「あぁ、そぅ……」
無下に断ると、応星は詰まらなさそうに鼻を鳴らし、丹楓の肩に頭を乗せたまま人の髪を弄り回して拗ねていた。
絹糸を束ねたような白色の髪、柔らかな月光を映した瞳に白磁の肌。まるで月の宮人の如き見目をしていながら、長命種の技術者達を実力で黙らせるほど負けん気の強いこの男が、ここまで隙を見せるほど、自身に気を許している事実に口元が緩みそうになりつつも、
「だが、見せてやる」
と、宣えば、勢い良く顔を上げて目を輝かせる、この酔人は実に性質が悪い。
今宵、このような無礼とも言える質問を投げかけたのは、訊ける相手が偶々身近に存在したからに過ぎないと理解はすれど、人の気も知らずに体を寄せながら踏み込んでくるのだから、少しは思い知らせても赦されるだろう。と、丹楓は自己正当化をする。
「行くか」
「ん?」
間の抜けた返事を返す応星を横抱きにし、寝所へと移動している最中も些細とは言え、好奇心を満たせて機嫌がいいのか暢気な鼻歌だのを歌っている。
「なぁ、風呂の方が体も流せるし手っ取り早くないか?」
最低限の明かりしかない薄暗い寝室に着き、寝台の上に応星を降ろしても案の定、状況を理解していない様子で首をかしげながらの提案。
「こちらの方が都合がいい」
「ふぅん?」
短命種故に、仙舟人や持明族よりも早く体躯が大きくなろうとも、工造司に籠もって鍛造に明け暮れているならば、閨房の事情には当然疎いだろう。仲間の猥談などを耳にはしても半分も理解できているかは怪しく、鍛造に関わらないのであれば然程、興味も湧くまい。
それを、今から教え込むのだと思えば、少なくはない愉悦が湧く。
「存分に見るといい」
「おぉ、細身に見えるけど、結構がっしりしてるんだな」
上着を脱いだ丹楓の首筋や腕、腹部に触れ、応星が関心したように呟く。
ごつごつとした筋肉がつけば確かに強そうには見えるが、素早さを重視ししながら細身の長柄武器を操る丹楓にとって、動きの妨げにしかならない分厚く重い筋肉は不要として全身を鍛えると同時にかなり絞っていた。その肉体は彫工師が見れば見本に欲しがりそうな程の造形美を有しており、造形に携わる職人の応星も熱っぽい眼差しで見つめながら賞賛の言葉を次々に吐くが丹楓の耳には半分も届いていない。
「応星、こっちも見ろ」
「うん?」
丹楓が低い声で名を呼ぶ。
創作意欲を掻き立てる好ましいものを見て、すっかり目が冴えた応星が言われるままに顔を上げ、突然何に苛立ったのか。と、問い掛けたそうに見つめ返してくる視線が愛らしい。
「愛している」
「は?」
唐突な告白に、虚を衝かれた応星は固まってしまい、降ってきた影を避けきれず唇を塞がれた。
そのまま寝台に押し倒された応星は手足をばたつかせるが、腔内に入り込んだ舌に上顎を舐められ、自身の舌を吸い上げられると腰の辺りが擽られているような感覚に力が抜け、上手く息が出来ない苦しさに涙が勝手に浮いて、開放された時にはぐったりと寝台に伏していた。
「応星、どうした?もう俺に触らなくていいのか?」
言いながら応星の手首を掴んで自身の頬に触れさせ、丹楓が意地の悪い微笑みを浮かべて挑発しても、応星は日頃の威勢はどこへ行ったのか瞳を揺らしながら唇を戦慄かせるばかり。
「何も言わないなら続けるぞ」
唇が動いているからには何かは言いたいのだろうが、言葉が紡げない事をお誂え向きとして衣服を脱がし、細身の割に良く育っている胸を掴んで柔らかさを味わいながら、持明族とは違う丸みを帯びた耳に舌を這わせると、応星は体を震わせて過剰に反応する。
「耳が弱いのか?」
「よあ、よわく、ないっ!」
応星は回らない舌で儚い抵抗を試みるが、丹楓が再度耳に口づけ、歯を立てられた瞬間、高い声を漏らす。自身が出した声が信じられないような素振りで口を手で塞ぎながら肌に紅葉を散らし、淡い月の光を滲ませた。
己の体の下で体温を上げ、狼狽える姿に丹楓は胸を高鳴らせずにはおれない。
丹楓は反応の良かった耳を執拗に唇で愛撫し、指先で乳首を弄り回して慣れない刺激に翻弄される姿に目を細めた。
常なれば、凛とした姿勢を保ち、静やかな人物を乱していく愉悦。手は貪欲に応星の肌を舐りながら下腹部へと伸びて、指先で堅さを持ち始めた性器を撫でれば応星の腰が跳ね、声にならない悲鳴が上がる。
「っ、ん、たん、ふぁ……」
与えられる刺激に敢えなく達してしまい、普段とは違う濡れた声が恥ずかしいのか、応星は制止の言葉を紡げずに、丹楓の腕や背中を必死に叩くが、叩かれている本人はその程度で止める気は皆無である。
それどころか、
「そうか、もっと先をして欲しいか」
などと恣意的解釈で押し進め、更に奥へと精で濡れた指を沈めて後孔を広げていく。
「指、なんっ……で……」
「俺がここを使ってお前を抱くからだ」
敷布を蹴って逃げようとする応星の体を押さえながら、丹楓はあっけらかんとした答えを返し、今思い出した風に、優しくするからな。と、微笑んでみせるが今更である。
丹楓は応星が疲れ果てるほど時間をかけて体を解し、
「ほら、お前が見たがってたものだ」
丹楓が下穿きを寛げ、自身の陰部を露わにするが、一見、そこには何もなく、応星は目を丸くする。しかし、直ぐにぬる。と、した蛇が頭を出したような影が現れ息を呑んだ。
「持明族の性器は普段体内に収まってるんだ。だから、見ただけで生殖機能が退化したなどと言う輩が出る。持明族が他人に体を調べさせるか、自ら公開しなければ、他種族は知らないだろうな」
まぁ、あの矜持ばかり高い連中が自ら体を差し出すはずもないが。
丹楓は自嘲気味に笑い、応星の足を抱きかかえると性器を後孔に宛がい、ゆっくりと押し込みながら息を吐いた。
「で、疑問は解けたか?」
「うっさい、馬鹿っ……!」
飄々と訊いてくる丹楓を応星は罵倒し、肩を押すが、そんなもので体内へ侵入を阻むには至らない。
「痛いか?」
「っ、きもちわるい……」
体内を捏ねくり回された挙げ句、異物を押し込まれて違和感がないはずもなく、顔を顰めながら応星は丹楓の頬を抓り、どうせ止めないのなら、せめてもの意趣返しに尽力するも、可愛い反撃に丹楓が苦笑し、腰を揺すれば応星は眉間の皺を深くして呻いた。
「まだ半分も入ってないからな、頑張れよ」
「後で思いっきりぶん殴ってやる……」
「好きにしろ」
丹楓がくつくつと喉を鳴らし、ゆるゆると応星の体を自分の形に慣らしていけば、徐々に異物でしかなかった筈のものが腹の中で熱を持ち、背筋に得も言われぬ痺れが走る。
肌を撫でられたり、性器を弄られた時のような、得体の知れない感覚に自分が自分でなくなる恐怖を感じた応星が身震いし、
「丹楓……、もう……」
止めろ。と、言おうとしたのに奥を突かれ、耐えきれず声を漏らせば、丹楓が薄闇の中でにったりとした笑みを浮かべた。
「愛らしいな。もっと聴かせてくれ」
丹楓が如何にも興に乗った声色で要求し、応星の腰を掴んで激しく揺さぶりかければ一度熱の灯った体は容易く快楽を得て乱れ、口を塞いで堪えようとしても盛れる鼻にかかった喘ぎ声は止まらず、応星にその気がなくとも丹楓を煽り立てる。
「応星、今夜は眠れないと思ってくれ」
青白い瞳を燃やしながら恐ろしい宣言をした丹楓に、応星は短く悲鳴を上げる事しかできず、散々に喰らい尽くされた末に目を回し、胡乱な朝を迎える羽目になったのだった。
□■ーーーー■□
山雀の囀る声に意識を浮上させられながら、丹楓は隣にある熱源を手探りで確認すると身を起こし、少しばかり眉間に皺を寄せながら眠る応星の赤くなった目元に口づけて涙の痕が残る頬を撫でる。
決して共寝は初めてではないが、今朝は眠気が残りながらも感慨深く、充足感に満たされていた。
「応星……」
丹楓はぽつ。と、己の愛おしい星の名を呼び、長い絹の髪をすくって指に絡めた。
艶やかな髪は指の間から滑り落ち、丹楓の手にはとどまらない。
それが口惜しく、丹楓は何度も髪を撫でてはすくう。
「なに、あそんでんだ……」
枯れた応星の声が丹楓の児戯を咎め、苦しげな呻き声と共に体を伸ばして上体を起こそうとしたが、酷い目眩と全身の鈍痛によって寝台へと引き戻される。
「朝湯でも浴びるか」
「う゛……」
痛々しい返事で満身創痍と称しても過言ではない応星を丹楓が抱えて浴室に向かえば、広々とした石造りの湯殿が目の前に広がり、応星は自身の住処との違いをつい比較してしまう。
決して粗末な家とまでは言わないが、ほとんど寝に帰るだけの場所でしかない自宅は、留守を任せる使用人が一人居るだけ。関係が近しいため忘れそうになるが、丹楓は持明族の長で龍尊なのだと思い出される。
丹楓にゆるりと体を降ろして貰い、頭から湯を浴びれば少しばかり体が回復する。
体の痛み、酷い倦怠感からべたつく肌を流すだけでいいかとも考えたが、丹楓に抱えられたまま湯に入り、肌当たりのいい感触に包まれ思わず吐息が漏れた。
「ここは薬湯で色々効能がある」
「うん……、気持ちいい……」
応星が丹楓に背を預けたまま手足を伸ばしながら顎先まで沈み込んで湯を楽しみ、蕩けるような時間を味わっていたのだが、あ。との一声と共に丹楓へ向き直ると、現状、精一杯の平手打ちを与えた。
龍尊への不敬として裁かれる可能性も考えたが、昨夜、本人が赦したのだから構わない。と、開き直って厳しい視線を向ける。
「有言実行だな」
「こちとら短命種なんでね。さっさと行動しないとあっという間に寿命だ」
応星は度々、自虐的に、あるいは丹楓に『自分は短命種だ』と、言い聞かせるように口にする。
自分は皆と同じ時間を歩めない。
と。
その度に、丹楓は時間が有限なのだと思い知らされた。
日々、応星との時間を惜しむようになった。同時に、彼自身を、心を欲しいと願うようになった。
「殴られて嬉しいのか……?気持ち悪いな」
知らず、頬が緩んでいたらしい丹楓に、応星が暴言を吐くが、念願が叶ったのだ。思わずにやつきもしようというものだ。
「何とでも言え。殴る程度で気が済むのなら幾らでもやればいい。応星、愛してるんだ」
「ずるいだろ。それ……」
「本気だ」
「初めて聞いた」
「言ってなかったからな」
「いつから?」
「さて、俺にとってはつい最近の事にも思えるが……」
「長命種の最近は俺にとっては最近じゃないぞ」
「だな……、まぁ、最近だ」
「あっそ……」
惚れた瞬間ははっきり覚えているが、応星が聞いたら嫌がりそうだと思い、丹楓は口を濁し、湯の心地良さに瞼が落ちそうになっている体を支える。
応星が仙舟に移り住んだ当初。
彼は、なんの後ろ盾もないか弱い短命種の少年だったが、工造司に入ると寝食も惜しんで技術を学び、瞬く間に才能を開花させて実績を積んでいった。
ただ、残念な事に、仙舟には長生を摩耗の呪いとしながらも長生を誇り、短命種を侮蔑し、軽んじる風潮が根強く存在した。
応星は、事ある毎に『短命種風情が』と、自身を、作った作品を侮辱されていたが、彼はどれほど屈辱的な言葉を受けようと、暴力を振るわれようと感情を露わにしなかった。
「俺の作品が選ばれるのが気に入らないのであれば、それ以上の物を作ればいい。それだけの話だ。貴方も職人の一人であって暴漢ではなかろう」
涼やかな瞳のまま微笑みを称え、憤る相手へ正論で返す胆力に、凄い奴が来たものだと感嘆した記憶は新しい。
そして、悔しさのあまり憤怒隠せない相手を置いて工房を後にする姿も幾度も見た。
当然のよう受ける差別や、自身を否定する言葉や態度の数々を受けても、彼は毅然とした態度を崩さなかった。工造司の長たる百冶の称号を得るに相応しい人物だったが、彼の才を『短命種』だから。と認めようとしない足枷がいつも邪魔をする。
だが、応星は強い。他者を頼らず、鍛造こそ我が命とばかりに他の意を介さない。助けなど必要ない。と、当初、丹楓はそう考えていた。
その時までは、この恋慕の如き感情は薄かったが、応星より、ひと振りの槍を贈られた際、礼をするために丹楓は工造司を訪れた。
丁度、相変わらずの仕様もない騒ぎが起きた後だったため、工房に応星の姿はなかった。
探していれば、果たして人気のない場所に応星は居た。だが、丹楓は声をかけられなかった。
両手で自身の口を塞ぎ、背中を丸めて静かに真珠のような大粒の涙を流していたからだ。
丹楓は、初めて気づいた。
何も感じていないのではなかった。
悔しかったのだ。
怖かったのだ。
怒りたかったのだ。
それでも、全く後ろ盾のない自身を支えるものを理解し、人物であるように振る舞い、どのような屈辱、侮辱にも耐えながら一心不乱に技術を磨いていた。
なんと気高く美しい魂だろう。
丹楓の凪いでいた心に、突然嵐が吹き荒れた。
常に姿を探し、理由をつけては共に過ごし、彼と過ごす時間を惜しむようになった。
あぁ、これが恋や愛なのか。と、気づいた頃には、もう抜け出せないほどの感情が渦巻いていた。
応星は自虐的な物言いこそすれ、短命種である事は恥じていない。
しかし、もう丹楓に彼を失う事は考えらない。
どんな手を使ってもいい。短命の運命を覆せたら。
今、丹楓の頭にあるのはそればかりである。