・応星を甘やかしつつ想いを深めていく丹楓
・モブ応あり
・2.4アプデ(うんり、朱明実装前)前の情報で書いてます
・全て捏造ですので悪しからず
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好奇心は猫を殺す。
余計な事に首を突っ込むべきではない。不用意に手を出せば碌な結果にならない旨を伝える格言であるが、先人の言葉は常々『然り』と、言えるもので景元は応星の身に何があったのか調べた己を恨む。
ある程度、察せはしても応星をあれほど傷つけた物事が何だったのか頭から離れず、己が知って良い事なのか葛藤もありはしたが、知りたい欲求が抑えられず、師である鏡流が助けたのなら。と、神策府の記録庫にある電子端末で事件記録を応星の名で調べたらあっさり出てきてしまった。
応星の『大事には成っていない』の言葉から、事件化されていなければ、見つからなければ諦めよう。そう考えていた景元の思考は消え去り、被害者として名を記された応星の姿を知る。
結果、景元は暗澹たる心地となっていた。
内容は、かなり詳細に記入されている。ここまで聞き取りをする必要性があったのか疑問に思えるほど。これを聴取し、書いたのは雲騎軍の兵士のいずれかで、応星が被害者となる事を厭う理由がまざまざと知れ、それも景元の心を曇らせる要因の一つである。
被害の内容は、応星が朱明に居た十五の頃。
体躯もまだ完成しておらず、戦い方も知らない子供。
加害者は仙舟人であり、雲騎軍の兵士の一人。朱明の工造司で作られた武器を雲騎軍に卸していた応星へ、『言う事を聞かなければ二度と手続きをしてやらない』等と脅して体に触れる猥褻行為を幾度となく行い、最後は口腔内へ男性器を押し込んでいる現場を鏡流に押さえられて捕縛に至る。
纏めてしまえば短くなるが、この内容を子供の口から、日付、行われた回数、どこに触れられたのか、それらをどう感じたのか、行為開始時の勃起の有無、腔内に男性器を押し込まれた際、どの程度の時間そうされていたのか、そうしている間の射精の有無、鏡流に助けられた後どうしていたのかまでを詳細に語らせたのだ。
思い返したくもない悍ましい記憶を脳へ刷り込むように繰り返させた挙げ句、『何故、雲騎軍へ被害を訴えなかったのか』に始まり、『実際は脅迫などはなく、殊俗の民は性に奔放故に自ら誘っていたのではないか』『数度に渡る猥褻行為に抵抗しなかったのだから同意と見なせるのではないか』『拒絶は上辺だけで、本当は悦んでいたのではないか』と、する質問を投げかけ、最初の質問にこそ、応星は『壊炎先生に迷惑をかけたくなかったから、自分さえ我慢すれば済むと思った』とは答えているが、以降は返事すらしていない様子を鑑みるに、この質問によって彼の心は酷く踏み躙られ、傷つけられていた。
加害者は雲騎軍から除名はされたが、他に罰らしいものは受けず聴取のために数日拘留されたのみで釈放された事実にも景元は怒りを覚える。加害者は職こそ失ったが軍の不祥事として公になっていないのなら、どうとでも生きていけ、最悪の場合、被害者を逆恨みして危害を加える人間だって居るのだから決して釈放などするべきではなかった。
景元の胃が不快感に襲われ、苛立ちと共に胃液が込み上げてくる。
「驍衛殿、お顔の色が優れないようですが……」
「あぁ、問題ないよ」
記録庫から出てきた景元の顔色が相当悪かったのか、管理を担当する神策府の職員に声をかけられ、取り繕う笑顔で応える。
「では、邪魔したね」
「はい、いつでもどうぞ」
地下に置かれている記録庫から出て、応星の様子見がてら丹楓の元へ行こうか悩んだが、上手く表情を作れる気がしなかった。
今日は既に訓練も終わり、書類も溜まっている。素直に執務室に戻って仕事をするべきだとは思えど、気分がどうにもささくれだって堪らない。本人が秘しているのだから、語りたがらないのだから暴くべきではなかった。
後悔を胸に景元は、今後の事情聴取の在り方を変えていかねばならない決意もする。
個々のやり方に任せるのではなく、様式を定め、被害者に対する配慮を欠かないようにしなければならない。どの程度の時間だ、どう感じたか。などを訊く必要はなく、粛々と被害状況をしたため、このような二次被害は防ぐべきである。本来、民を護る存在であるはずの雲騎軍、地衡司の信頼を失墜させるだけの行為。
結局の所、通例通りであれば数十年程度で仙舟から出て行くだろう殊俗の民であるため応星は軽んじられ、仙舟は身内を庇ったのだ。実に醜悪で、唾棄するべき行いである。
「逆恨みの線もありか……?」
加害者が魔陰に堕ちていなければ、今も生きているはずだ。
現行犯だったため、自己擁護も大した効果は無く捕縛されたが、応星が被害を訴えず『合意』と言っていれば彼の加害は『不適切な戯れを鏡流が誤解しただけ』となり、処罰も配置換え程度で済んだだろう。それで恨みを抱いたか、或いはここ最近の姿絵の流行により妙な執着が再燃して穢らわしい欲求を向けたものか。
また、容疑者が増えてしまった事、そのような被害に遭ったため応星は朱明から羅浮に来た可能性も浮上して景元は頭を掻き毟しる。
「おい、景元止まれ」
名を呼びながら腕を掴まれて景元は驚きと共に立ち止まり、声の主を見やれば師である鏡流で、一瞬で背筋が伸びる。
「気難しい顔でふらふら歩きおって、周囲の者が迷惑であろう」
叱られて周りを見渡せば、他の職員が苦笑いで景元を見やる。
「も、申し訳ありません!考え事をしておりました」
「考え込むのは貴様の常だが、羅浮は段差も多いのだから気をつけろ」
「は、肝に命じます。師匠は何故こちらへ?」
鏡流は片手に持った紙束を揺らし、
「宮に籠もっておる飲月の代わりに報告書を持ってきてやったのだ」
言いながら、憂いの籠もった溜息を小さく吐いた。
鏡流も応星の様子を見に行ったのだろう。書類はそのついでか。
「そう言えば、師匠は応星を弟子とはしていないのですか?私よりも先に師匠に剣を習っていたと思うのですが」
「あぁ、あれの本職は鍛冶だからな。剣は戦場に出ても身を守れるようにと、作る本人が使い方を知っていた方が都合がいい事も多かろうとな」
不意に、自身よりも先に剣を学んでいた応星は、景元の兄弟子を名乗らず、また、鏡流も応星を弟子とは呼ばない。しかし、剣を学んでいるのは事実で、湧いた疑問をぶつければあっさりとした答えが返ってくる。
「なるほど……」
鏡流は度々、応星を生意気で小賢しい餓鬼。などと評してはいたが、彼女なりに気にかけている様子が見えて落ち切っていた景元の気分は幾許か浮上する。
「では、あまりさぼるんじゃないぞ」
「やだな、さぼりじゃありませんよ」
職務に必要の無い調べ物はさぼりに入るのか。
結論としてはさぼりになるが、他の手を抜いてやっている訳ではないのだから、多少の目溢しは貰いたい景元である。
苦笑いと共に師を見送り、
「あ……」
思わず声が零れた。
近くに居た職員が不思議そうに視線を向けるが、景元は慌てた様子で己が執務室まで移動して飛び込むように入って扉を閉めた。
鏡流の言は決して嘘ではないだろうが、暴行されていた応星を見つけたのは彼女である。景元や丹楓は己が動く事で応星を庇おうとしたが、鏡流は戦う力を自ら付けさせる事で応星をしっかりと護っている。
自らの手で仲間を護る。
聞こえは良くとも結果的に応星は傷つき、師が与えた戦う術が彼を護った。
勝手に顔に血が上ってくる。
実に傲慢で、幼稚な己に。
護るのだと豪語して密偵を使いながら策を巡らすも失敗し、悔やんでいれば白殊に慰められた。なんとも情けなく、滑稽なもの。
景元は尾花色の髪を掻き回し、両の頬を強く張ると大きく深呼吸をする。
「ぐだぐだ悩む暇があるなら行動だ」
応星であれば、悩む時間こそ無駄と言うだろう。
行動しなければ成長もない。未熟な己を自覚し、前に進まねば大事なものは手から落ちていくばかりである。
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竜宮の一角。
丹楓の執務室にて、啜り泣く声が収まった頃合を測り、
「応星」
と、密やかな声が名を呼ぶ。
景元を見送り、己の衣の下に逃げ込んだ応星に丹楓が呼びかけるも、体が更に丸まったのみで応えはない。
長命種等にどれほど嫌がらせをされようと気丈に振る舞う応星が瞬く間に消沈するほど忌避する記憶。時間で治癒するどころか膿んだ傷口に無遠慮な己等が相当な塩を塗り込んでしまったのだと、人の感情に疎い丹楓とても気付かざるを得ず、自身でも信じられないほど消極的な声が出た。
応星をこうまで傷つけた輩。
人としての尊厳すら奪うような者など、生きる価値があるのか。
応星を気遣う声は密やかでも、無体を強いた輩には、爪でその身を引き裂いてやりたいほどの憤怒が丹楓の心の内に渦巻く。
不埒の輩が短命種であれば、既に仙舟に居ない可能性もあったが、長命種であれば魔陰に堕ちるか、物理的な死でも迎えない限りは早々、死にはしない。狐、持明、天人。いずれにしても龍尊としての丹楓の立場を使えば、名前と風体さえ判ればどうとでも探し出せる。
丹楓は顧みながら衣の膨らみに手を置き、布越しに応星の体温と、微かな震えを感知する。
耳を澄ませば微かに呻く声、生唾を呑み込む音を捉えられ、吐き気を催している様子が知れたため、半ば無理矢理、応星を引きずり出すと丹楓は腕の中に抱き込む。
「吐きたければ吐け。服などどれだけ汚れようと構わん」
丹楓に体を支えられた応星は、両手で口を押さえながら首を左右に振る。
「余に触れられるのは嫌か」
この問いにも応星は首を振る。
拒絶されない事へ安堵しながらも丹楓はゆっくりと背中を摩り、少しでも治まれば。と、水を呼んで小さな玉を作り、応星の口元と寄せ、飲めるか?との問いに、涙目で頷きながら薄い唇を開いて水の玉を口に入れ、喉を上下させて嚥下する。
「すまん……」
「構わぬ」
大きく息を吐いた応星を包むように抱き締めた丹楓は、抑えられない怒りを抱えながら、このまま彼を宮に留めておけないか思考を巡らせる。
応星が宮に居るなら常に人目もあり、己が護ってやれるのだ。しかし、応星の性格を鑑みれば、どれほど身の安全が保証されたところで籠の鳥になる選択肢など有り得ない。
「応星、宮の中に工房を作ればここに住むか?」
「住まない。設備作るのにどれだけ掛かるんだよ。時間と資材の無駄だ」
「であろうな」
分かり切っていた答えに出かけた嘆息を押し込め、多少治まりはしても未だ体調が戻らない応星の背中を緩く叩く。
記憶を弄る。あるいは奪って忘れさせたり、封じたり出来る種族が居るとも聞き及んだ事はあれど、羅浮には残念ながら存在しない。
仙舟の病に罹患する者は仙舟人だけと考えられがちだが、健木が存在する限り、感情が激しく揺れ、閾値が達すれば狐族、持明族、短命種にとて魔陰の呪いは降りかかる。共寝をしていても悪い夢を見ているのか魘される夜もあり、あまりにも応星が苦しむのであれば、心身の負担を軽減するための向精神薬も一考の余地がある。
丹薬の在庫を脳裏に描きながら、丹楓は応星の髪を撫で、
「其方の心を陰らせる存在は、余が捨て置かぬ」
少しでも安心感が得られれば。と、誓いを立てる。
「俺は……、あー、いや、無様を晒したばかりで言ってもな……」
丹楓が、どこぞの姫君を存護する騎士のような物言いをするものだから、応星は反論しようとしたが、直ぐに唇を引き結んで支えてくれる肩に頭を乗せる。
肩、首元に伝わる体温を愛おしむように丹楓は応星の髪を撫でる。
応星にとって、こうした安心出来る存在に成れている事実は喜ばしいが、恋情とはまた違う、親兄弟を慕うような情であろうとは想像に易い。以前は、傍に在れるだけでも良しとしていたが、『もしも、応星が貴方以外を選んだら、素直に手放す覚悟はお有りでしょうね?』、白珠に言われた言葉が何度も頭の中で繰り返されて心が揺らぐ。
持明族には仔を成す機能がなく、種の存続に付随する性欲も薄い。
だが、もしも、応星が自身の手から離れ、丹楓の知らぬ誰かを愛し、その者にしか向けぬ表情を見せ、言葉を交わし、触れ合って体を重ねるとしたら。
あぁ、到底、看過出来ぬ。
応星をこの腕の中から放ち、誰かの元へ送るために背を押す己など想像すら出来ない。
これほどまでに、狭量な己など今まで知らなかった、考えようともしなかった。否、薄々、気付いてはいて目を逸らしていた。応星が、己の元を離れるはずがないとする過信もあった。
「応星、薬草茶でも淹れてやる。気分も多少は落ち着こう」
丹楓の流した髪で手遊びをしていた応星の膝の下に手を入れ、背を支えて軽々と抱き上げながら立ち上がり、微笑みを向ける。
「自分で立てる……」
「まだ顔色が悪い。目眩でも起こして倒れたら怪我の元だ。医師の言葉には従え」
異論ありげな表情をする応星だが、今し方、弱った姿を晒したばかりとあっては従うほか無く、矢張り不満げではあるが大人しく運ばれ、丹楓は迷うことなく閨へと向かう。
持明族の龍尊が自ら横抱きにして人を運ぶなど、応星が現れるまで有り得ない光景であった。事実、個を愛でるような真似をする丹楓の姿に、宮に勤める持明族の家人の中には卒倒する者、夢かと疑う者まで居たのだ。それでも、何度も見ていれば慣れてしまうもので、心の内は兎も角、目に見えて動揺する者、苦言を呈する者は居なくなった。
その原因の一つに、応星を愚弄するばかりか、今回のように暴漢を雇って襲わせる画策を企てた持明族の者が丹楓の怒りを買い、粛正される寸前まで追い込まれたが故でもある。
応星は、丹楓の逆鱗である。
安易に触れれば龍が怒りに荒れ狂う。
触らぬ龍尊に祟りなし。丹楓に仕える持明の共通認識である。
▇◇ー◈ー◇▇
手紙を運ぶよう頼まれただけ。
そう主張するばかりの男の住む公寓へと家宅捜査へ入り、景元は思わず顔を歪ませた。
現在、百冶への危害を周旋したとして捕縛されている男は、聴取の間、指示をする手紙の中身は知らなかった。己が加害を望むはずがない。と、主張するためか、矢鱈と応星への憧れを口にする彼の部屋は、景元からすると『悍ましい』の一言だった。
金がないなりに気に入った物を買い集めたのか、応星を描いた姿絵が、まる聖画の如く幾枚も飾られていた事に関しては不問にするにしても、寝床であろう場所に置かれていた物に関しては、拭かれてはいたが、どう見ても自慰に使用した痕跡があった。これでは憧れと言うよりも性欲の対象であり、言葉の端々に異様な執着が見え隠れしていた事からも、随分と拗らせた一方的な懸想をしていると考えられた。
応星は、一見するだけなら雪化粧された景色のような清廉で儚げな見目をしている。朱明であった被害といい、自己の感情を押しつけて欲求を満たしたい手合いの者に好まれやすいのか。
「工造司の連中に副業禁止令は出せないものかな……」
男の体液が付着している紙は避け、景元は枕元の本棚に纏められていた姿絵をぱらぱらと捲り、到底無理な考えを吐き出した。
応星は、百冶の名を冠していても実権が与えられておらず、煩雑な業務は上層部と繋がりがある天人が請け負っている。殊俗の民であるが故、その短い生の間に仙舟にとって有用な奇物を少しでも多く作りだせ。との意図だろう。
最早、差別や嫌がらせに一々傷つくのも飽くほど、慣れという名の鈍化をしているのか、面倒事は上層部から秘書という名目で与えられた天人に丸投げし、応星自身は素材調達に走り回り、工房で奇物や絡繰りばかり作っている。故に、彼は他の五騎士の面々よりも人目に付き易い。
白珠が聞けば庇いたい余り暴走しかねなかったため伏せたが、応星を描いた姿絵は、手先の器用な工造司職人のいい小遣い稼ぎにもなっているようで、作業中の姿や休憩している姿を描いた物も散見された。景元が手にしている物も、横になって仮眠している姿や、壁にもたれて転た寝をしている姿を描いている辺り、近しい者の仕業だろう。
もう一枚、紙を捲ると指に髪を絡めながら服をはだけさせた身なりで艶然とした微笑みを向ける煽情的な絵だったため、景元はそっと閉じた。
あの男が丁寧に纏めているのなら、これから過激な物になっていくだろう予想が簡単に付いたためだ。
「なにか?」
「あ、いえ……」
横から景元の手元を覗き込んでいた兵士が、紙を伏せた事に異論ありげな声を小さく上げたため、水を向けると挙動不審に部屋の捜索を再開した。とは言え、入り口から全てが見渡せるほど狭い部屋だ。一応、部下を三人は連れては来たが、返って邪魔になりそうだとして景元は二人を帰らせ、自ら証拠になりそうな物を探す。
「筆跡などは証拠になりませんか?」
「そうだな。少しでも参考になりそうなものは押収しておいてくれ」
ただ、小賢しい事に手紙は筆跡が解らないようにするためか定規を使用した直線的な文字が書かれており、兵士が景元に見せた書き損じらしい皺だらけの図面に書かれた字は悪筆とも呼べるほど大分癖があるもの。証拠とするには弱いがないよりは良しとして、他にも参考になりそうな物を確保しながらも、景元の頭の中は目まぐるしく動いている。
容疑者は他にも居るが、残念ながらまだ所在は掴めていない。
このまま、決定的な証拠が見つけられなければ、あの男は後数日には証拠不十分で釈放となり、捜査は振り出しに戻るどころか応星が再び危険に晒される。丹楓が傍についているにしても、仕事をするために庇護下から脱走を企てるほどだ。既に、痺れを切らしている頃だろう。
大家に鍵を返し、証拠品に成り得る物を兵士に持ち帰って貰い、景元はその足で竜の宮に向かう。持明族の家人には相変わらず嫌な顔をされたが、問題なく執務室まで通された景元は思わず苦笑した。
「こうでもさせておかないと、また脱走を企てそうだったのでな」
「君は本当に応星相手だと弱いな」
ふん。と、鼻を鳴らし、不服そうな丹楓の隣では、応星が床に広げた紙に這いつくばって何かしらの図面を描いている。身の安全を優先して休ませたかった丹楓も相当説得はしただろうが、暴漢など何する者ぞ。と、豪語し、滞った仕事を少しでも済ませたい応星に押し負けて自らの執務室の一角を貸し与えたのだ。あの傲岸不遜。冷徹無慈悲な羅浮を守護する龍尊飲月君が、一介の短命種に。
製図用の道具と、素材になる金属の見本が大量に持ち込まれた執務室は狭く見え、応星の邪魔をしないように迂回しながら景元が丹楓の側に行く。
「少し訊きたい事があるのだが、ここで大丈夫かな?」
「彼奴はあぁなると過集中になって尻を蹴飛ばしでもせぬ限り周囲には気を向けん」
気付かれなさ過ぎて、蹴飛ばした事でもあるかのような科白で丹楓が了承すると多くは踏み込まず景元は頷く。
「持明族は強弱こそあれ皆、雲吟の術が使えるだろう?術の中に人から見える姿を違う人物に変えるようなものはあるのかい?」
丹楓は戦場に於いて、戦場を覆い尽くす程の濃霧を発生させて敵を惑わせ、光の屈折などを利用して味方を敵から見えなくする隠遁の術を使っていた。丹楓ほどの規模で使える者は希にしても、一個小隊程度であれば絡繰りで術の補強をしながら同様の術を使用する者もあったのだ。それを踏まえ、対象を隠すばかりではなく、姿までを変じれる術があるのなら、目撃証言は当てにならない事になってしまうがための確認だ。
「ふむ……、やった事は無いが……」
丹楓が掌を天井に向け、小さな水玉を作り出すと細かに震えて霧散し、点描で描いたような、長い耳を伏せてうずくまった丸い兎に似た形が作られる。
「ほう、上手いものだな。兎っぽく見えるが、これはなんだい?」
「最近、応星と共に食した菓子だ。白餡が入った甘い饅頭だった」
さら。と、惚気られた気がした景元は表現し難い表情を作るが、更に難しいものを形作るための手慰みであろうと藪蛇はつつかず黙って見守る。
霧の塊は徐々に形を変えて平たい板になり、凹凸が出来て誰かの顔を象る。
「これは?」
「其方だが、見えんか?」
「あぁ、顔だけだと判りづらいものだね。それをどうするんだい?」
景元に認識させ、作り出された水の仮面を丹楓が自ら被って見せる。
「これは……」
「顔は変わっておるか?」
「あぁ、これは驚いた……、目の前に自分と同じ顔が合るのは中々どうして気味が悪いな」
水の仮面は丹楓の手に合るまでは茫とした靄のようだったが、顔に被れば肌の質感は人のものと違和感なく、丹楓の面差しは景元と似たものとなる。ただし、目や髪の色までは変えられていない。
「顔だけであれば多少誤魔化しは利くが、髪、体躯までを変えるとなれば、術だけでは厳しいな。歩離の月狂いのような姿形を丸ごと変えてしまうような能力や奇物でもあれば別だろうが」
丹楓が自らの顔を撫でて仮面を消すと、ちら。と、横へ視線を流す。
奇物。となれば応星だが、彼は書き損じでもあったのか舌を打ち、床に広げられた用紙を捲って丸め、放り出している最中だった。今、声をかけたところで無視か、良くて不機嫌な唸り声が返ってくるだけだろう。
「丹楓で顔だけなら、他の者には絡繰りによる補助があっても難しそうだね……」
万が一、そのような能力に特化した者が存在する可能性も頭の片隅には置いておくが、無に等しいものにかまけて他の可能性を追わない道理はない。
「難航しておるようだな」
「あぁ、碌な目撃者も居なければ、捕らえた容疑者も罪を問うには決定的な証拠も自供も出てこないときたもので、全くもどかしいよ」
景元がこめかみを指先で揉み、真実が直ぐにでも明るみに出るような魔法がないか考えるが、そのような都合の良いものなど存在しない。今日の捜査状況を丹楓と共有しながら景元はどうにか容疑者の拘留を延長出来ないか話し合った。
武人とは言い難くも、応星は自ら戦う力は持っている。
しかし、危険から遠ざけたい心理は変わらず、どうすれば生き急ぎの匠を大人しくさせられるのか悩み、足下で忙しなく製図をしている応星を景元が眺めていれば、そこに書かれた字を見て目を瞠り、こめかみを掻いて考え込む。
「景元、考えがあるなら吐け」
急に黙った景元へ、丹楓が促す。
「もし、もしも魚が逃げた場合、撒き餌と罠で捕まえられないかと思ったんだ」
「ふむ、悪くはないな。釣り糸にかからぬ小賢しい魚を捕らえるに、それも一興……」
二人は互いに視線を合わせ、我が意を得たりとばかりに目を細め、
「いやぁ、私達は気が合うね」
「そのようだな」
丹楓はくつくつと喉奥で笑い、景元は微笑みを深くした。
「だが、釣果なしとなれば其方が惨めな目に遭おうぞ?」
「それは、大事な池が荒らされるよりも惨めを感じるものか?」
口の端を上げて皮肉げに表情を歪める景元へ、然り。と、丹楓は珍しく声を上げて笑う。
突然笑いだした二人に驚き、応星は振り返る。が、数秒ほど見詰めただけで直ぐに興味を無くして紙に向き合いだしたのだった。
▇◇ー◈ー◇▇
景元の尽力も虚しく、運び屋となった男は悪質ではあるものの、利用された被害者の側面もあり、反省もかなりしてる事から罰金刑程度で釈放された。
金のない彼にとっては最悪の罰かも知れないが、短い生を何十年と消費する事なく出てこれたのだ。これは、長命種の感覚で物事が進む仙舟に於いて行幸と言える。そして、応星への対応は『この程度で適当だろう』と、するような上層部の思考も透けて見えるような気がして景元の腸は煮えくり返っている。
もしも、将軍、龍尊への加害を企む者が在れば、反逆罪である。その者の罪は極刑に値する。との声が容易く上がるに違いなく、他司の頭目であってもより罪は重くなるに違いなかった。百冶を冠する人物とは言え、どれ程までに応星が軽んじられているのかの現実に大事な故郷が薄汚くさえ見えた。
己にもっと権力があれば、発言力があれば。より厳罰を与えられたのでは。との歯痒さばかりが頭の中で回っている。
「驍衛様、この度はお世話になりました」
「あぁ、これからは目先の物事に惑わされず、真摯に学んでいくといい。そうすれば、何かを成せる事もあるだろう」
景元の慰めるような科白に、男は媚びた笑みを浮かべる。
一々振り返り、頭を下げながら拘置所から出て行き、それを冷めた目で眺める景元の隣では、気遣わしげな兵士が物言いたそうにしていたものの、常の穏やかさがない彼に話しかけられず、神策府に戻る背中に追従していた。
数日後には龍尊の元で保護されていた百冶も工房へと復帰し、日常が戻ったかのように思えたが首謀者が見つかっていないため、工造司へ派遣される雲騎軍の数が増えて見回りを強化された。
応星自身も人に会う事を制限され、一人工房に籠もって出て来ない上に、夕刻には必ず龍尊、飲月君が工造司を訪れて己の宮へと連れ帰った。
事件のせいで滞った仕事が大量にあったのだから、それに集中したい。と、応星は不満を垂れるが、決して譲らない丹楓に折れつつも、屋内で出来る作業を持ち帰りながら手を引かれて行く姿が工造司の多数の職人等に目撃され、龍尊の贔屓どころか、あからさまな特別扱いに驚く者、百冶なのだから当然と何故か自慢げになる者、不満げな視線を投げる者、一切興味を向けない者と反応は様々だ。
一日、二日、一週間、十日、二十日と、日が経つごとに百冶警護の歩哨は減っていき、工造司を纏っていた物々しさが薄れだした。一ヶ月も経てば歩哨の姿は通常業務以外では見えなくなり、百冶襲撃の事件など人々の口にも上がらなくなった上に、まだ作業が終わっていない。そう、ごねる応星を手を引くのみならず、丹楓が肩に担ぎ上げて連れ帰る姿も見慣れたものになり出していた。
ある日、
「百冶様、おめでとうございます」
にこにこと晴れやかな表情で言祝ぐ弟子に応星は首を傾げ、率直に、
「何かめでたい事でもあったか?」
そんな当然の疑問を呈した。
「え、嫌ですよ。私達にまで誤魔化さなくても解ってますから」
応星を師事する弟子達は、彼が短命種だろうと長命種だろうと軽んじる事なく、純粋に慕ってくれている。故に、めでたい事があれば我が事のように喜んでくれ、応星が差別的な被害に遭えば怒り悲しんでくれた。
だが、今の応星に、言祝がれるような物事に思い当たる節はない。鍛造にばかり集中してしまい、俗世に疎い自覚はあるものの、流石に賛辞を受けるともなれば知らない筈もなかったが、本当に心当たりが無いのだ。
弟子達は口々に『良かったな』『これで少しは安心だわ』などと口にしており、嬉しそうな表情のまま応星を置いてきぼりにして各自、己の仕事に戻っていった。
また別の日、応星は新しい素材の買い出しに行った市場で唐突に背中を突き飛ばされ、転びはしないまでもよろけて目の前の柱に額を打ち付けた。
「調子に乗りやがって」
そんな声に振り返れば、突き飛ばした人物は既に姿が見えず、応星は『またか』程度で終わらせて工房へと帰れば、額に傷を負った姿に弟子達が動揺を見せ、終業間際だった事もあり、丹楓がやって来て傷を見咎めた。
「それはどうした?」
己の額を指さしながら、常の無表情で丹楓が問い質す。
「素材が重くて少しばかり蹌踉けてぶつけただけだ。気にするな」
応星も、一々悲しむ、或いは心配をかけるような行動は無駄と切り捨てるため、雑な軽口で言及を避ける。
「解った。では帰るぞ」
「いや、珍しい素材買ってきたばかりで早めに試したいから……、ほら、使えそうな素材なら大量発注しないといけないしさ、なくなったら困るし……」
「そんなもの、無くなっても余が取り寄せてやる。帰るぞ。額の治療もせねばならん」
「別に痛くないから……」
後退りして丹楓の手から逃れようとする応星を容赦なく捕縛し、横抱きにして強引に連れ帰り。当然ながら龍尊を止められるものなどは居らず、寧ろ既に見慣れた光景として看過する者、微笑ましく見守る者、流石に飲月君を敵に回す事は出来ずに隠れて妬む者と分かれている。
応星が、迎えに来た際に丹楓の姿を見て、この我の強い龍尊に生半可な抵抗は無意味である。と、学習して大人しく手を引かれ出した頃。
「急務が入ってしまった故、これから毎日迎えに来れぬのだが大丈夫か?」
この科白に気怠そうだった応星の眼があからさまに輝き、唇には笑みまで浮かべているため丹楓の機嫌が急降下する。
だが、鍛造を邪魔されてばかりの期間が些か苦痛であった応星はそれに気がつかない。
「おぉ、それは仕方が無いなぁ。今日からか?」
声も弾んで嬉々としているため、丹楓は軽く応星の額を弾くと予想外の痛みに驚いて額に手を当てながら硬直する彼を抱き上げ、いつも通りに連れ帰る。
丹楓が迎えに来なくなれば、これ幸いと応星は以前通り残業をしてでも新たな奇物を創造しようとし、深夜に一人で眠そうにふらつきながら帰宅する姿も度々目撃されるようになった。
弟子はあのような事があったのだから誰かを伴うよう進言するが、今までの経験から自身で対応が出来るとの自負があるため、耳を傾けようとしない。
彼に好意を持つ人間は不安を抱くも実際に何も起こらず、応星は丹楓が迎えに来た時以外は残業ばかりで、睡眠は仮眠室でとるか、深夜に帰宅する事が再び当たり前になり出した。
最早、危険はあるまいと誰もが考え出した頃、深夜に応星は工房からふら。と、出て来た。
大きな欠伸とふらつく足。酒酔いでなければ随分と眠気に意識が侵食されている様子で、寝乱れたのだろう雑に纏められた髪があちらこちらに跳ね、時に風に煽られて小さく靡く。
街路に灯された明かりが歩く彼の影を伸ばし、影の先に闇に紛れるような人影が一つ現れた。影は応星の背後を離れずの距離を保ってついてくる。
応星が自宅ではなく不意に狭い小道へと入り、別の場所へと向かう足取りを見せたため、慌てて影は後を追い、立ち止まっていた応星に驚いて足を止めた。
「なにか?」
問いかけられた束の間、影は怯んで生唾を呑み込むも意を決したように不格好に乱れた息を吸うと影は応星に詰め寄り、手を掴んで跪く。
「お、応星様……、俺は貴方を救いたいんです!貴方は、長命種達にこき使われていい存在じゃありません。仙舟で暮らすために、あんな龍尊なんかに媚びなくてもいいんです。俺が一番貴方を解ってやれます。だから、俺と一緒に仙舟を出ましょう」
雲が動いて路地に月明かりが差し込み、影の姿が露わになる。
それは拐かし依頼の運び屋となった青年であり、目はぎらぎらと異様な輝き放ちながら身勝手な持論をまくし立てた。
救いたい。とは、長命種等の差別からか。
応星が仙舟で暮らすために持明の龍尊、要は丹楓に仕方なく媚びているだとか、己が一番の理解者であるなど全てが妄言も甚だしいのだが、男は己の正しさを信じ切っており、あまりにも一方的な自らの言動の怪しさに気付いていない。
応星は鼻白み、掴まれた手を振り払うと彼の好意を無下にして背を向ける。
彼の脳内では、こう言えば応星が二つ返事で喜び手を取ってくれる予定だった。
なのに、応星は掴んだ手を払うばかりか背を向けて歩き出す。
「嫌がらせだって日常茶飯事でしょう⁉俺は知ってます。なのに、こんな場所に居る意味なんてありますか⁉」
立ち去ろうとする跪いていた男は目を見開いたまま身を震わせ、目と肌が充血して赤くなった。それでも、応星は応えない。
「俺を無視するなっ!」
男は喚くと同時に懐へと手を入れ、短刀を抜くと白刃を煌めかせた。
狙いの先は応星の腕。だが、刃は薄皮にすら届く事無く体が崩れ落ちる。
男が刃を振り翳した瞬間、応星が振り向きざまに側頭部を蹴り抜いたのだ。かなり手加減したものになるが、相手が反撃するとは考えておらず、武人ではない男は簡単に膝を折った。地面に落とされた短刀を素早く踏み、地面に転がって悶えている男を冷めた月光と同じ色の瞳で見下ろす。
「何故、敵意を向ける?私が鍛造出来なくなれば自分がのし上がれるとでも?」
質問には答えず、男は踏まれた短刀を取り戻そうとしてか足首を掴み、唸りを上げる。
「あんな冷酷な奴のどこがいいんだ!長命種なんぞ殊俗の民の生を嘲るばかりか、人を弄んで、飽きたら簡単に捨てるような奴等だろう!あんたは、解ってくれると思ったのに……、俺なら、あんたがどうなろうと一緒に居るのに、何で、隣に居るのが俺じゃ駄目なんだ」
「だから、貴様に抗えないよう、両手足を奪って不虞にしてから攫おうとしたのか?」
静かだった応星の声に怒気が混じり、掴まれた足を振り抜いて男の頭を踏み躙る。
「鍛造なら、俺が代わりにやる。俺だって出来る。だってあんたは俺を褒めて認めてくれた。短刀だってくれたのにっ!なんでっ⁉」
男の声に水気が混じり、加害者でありながら相手を非難し、被害者ぶる仕草が更に応星を苛立たせる。
豊穣の敵を滅する目的を成すための手段。職人としての腕を奪われる事が彼にとってどれほどの絶望を与えるのか、まして、自身が応星の代わりになれるなどとは傲慢も甚だしい言葉。
「応星が、どんな思いで武器を作っているのか何も知らない分際で……」
「景元、その辺にしておけ、捕縛前に頭を潰して殺すつもりか?」
どこからともなく見目とは違う名で呼ばれた応星は突然現れ、諫めた声に舌を打って足を離し、顔を拭うと下から別の顔が出で、それを月明かりで確認した男は驚きの表情で固まる。
先までの顔立ちこそ応星のものだったが、声も、作られる表情も、瞳の色も違い、よくよく見れば髪色も白っぽい色には違いないが、滑らかな銀白色ではなく、ややくすんだ尾花色であり、髪も肩よりも長い程度、雑な纏め方で誤魔化してはいるが直毛では無く癖毛だ。良く応星を見知った者で在れば他人の空似とするだろうが、異様なほどに執着していながらこの程度の擬態も見抜けない想いなのかと落胆もする。
「だ、騙したな⁉」
「はっ……、職人と武人の手の違いすら解らず、好いた相手の真贋すら見極められぬ愚物が囀るな」
景元は男を鼻で嗤い、男は激高して嘲る彼へと掴みかかろうとするも、低く、蔑みを込めた声色と見下ろす瞳に見据えられた瞬間、乾いた音と共に全身へ禁錮の縛が絡みつく。
「ご苦労だったな」
「この程度、何でも無いよ」
禁錮の縛により何も喋れず、何も無い場所からする声に男は戸惑っているが、景元は声のする方向を見て事もなげに言葉を交わす。
次第に、空気が個体になっていくように、水に絵具を溶かしたように滲みながら丹楓が姿を現し、何をか喋ろうとしているのか呻りながら藻掻く男を見下ろすと眉を顰めた。何を言いたいかは解らぬまでも、己を罵倒している事が音の具合で解るのだ。
「応星が真に貴様を認めたというのなら、例の絵師のように愚直に研鑽していれば芽も出ようが、下らぬ執着を持った挙げ句、恋慕の対象へ己を見てくれぬからと他責思考で加害を目論むような愚者には相応しい末路であろう」
丹楓は吐き捨てるように言うと、口を塞がれながらも暴言を止めない男に蔑みの視線を送り、厳つ霊を放って失神させる。
「おや、私を止めておいて手厳しいな」
「余の珠玉を害したのだ。出来得るならば全身の皮を溶かして火で炙ってやりたいほどだ」
「ふ……、君の拷問はえげつないから立ち合いたくはないな」
景元は一瞬だけ肩を竦め、丹楓の拷問を思い出して胸が悪くなるような心地になった。
飲月君として、歴代龍尊最強と武力を謳われる丹楓は権能にて、どれほど相手を傷つけたとて回復させる手段を持っている。拷問官としてこれほど適切な人物も中々居ない。絶え間ない苦痛を受け、死こそ救済と縋ろうとしても死なせて貰えないのだ。
飲月君相手では、豊穣の祝福にて尋常ならざる快復力を持つ歩離人ですら、一度捕虜になってしまえば情報を吐かざるを得ない。著しい損傷の末に回復が追いつかなくなっても強制的に復活させられてしまい、永遠に終わらないのだから。
最終的には発狂する他なく、顔色一つ変えずに拷問を行う飲月君を恐れる兵も少なくはない。
「余としては、このまま殺してやっても良いが、景元、其方は此奴が死んでは困るのだろう?」
「そう、簡単に死なれると困るのだよ」
男の部屋で見つけた書き損じ、特徴的な悪筆は本人の者と比べるまでも無く一目で応星が描いた設計図であると解り、隠れて付き纏い行為をしている事は明らかだった。
もしも、男が大した罪も負わずに逃げ果せるならば、丹楓の言う下らぬ執着から再び同様の行為に走る事は明白。武人である景元に設計図は読み取れないが、応星の悪筆ぶりは見知っているはずで、部屋で発見した時点で何故、気がつかなかったのか。部屋にあるから本人の物である。そんな思い込みをしてしまった己を呪ったほど。
景元は、逃げさせてなるものか。とばかりに、二度目を誘発するように種を捲いた。
想定よりも男が辛抱強かった誤算はあったが、応星への妬みと恋慕が入り交じった情念を鑑みれば、丹楓との関係性を見せつけて悋気を煽るように仕向け、隙を作れば必ず食らいつく確信はあった。同じ手を使ってくるならそれで良し、直接襲撃するならばより行幸。
そして、此度は龍尊まで巻き込んだ襲撃である。これでは上層部も無視は出来ず、男は間違いなく重罪となり、幽囚獄の暗がりの中で職人として見た夢も成せず、想い人を隠れ見る事すら叶わず絶望するだろう。
罪の重さの自覚など要らない。自らの行いにて自らを奈落の底に叩き落とした現実を思い知らせるために、死なれては困るのだ。
「ふん、小童め。姿絵の事といい、余をいいように使いおる」
「使えるものは何でも使う主義でね」
くく。と、丹楓は喉の奥で笑い、景元は憎まれ口を叩いて微笑み返す。
「だが、応星はやらんぞ」
「ならば、決して手を放さない事だ。隙を見逃すほど私は日和見主義ではないから……」
互いを煽り合い、ほんの束の間、本命の存在を忘れていたが、男が呻った事で本来の目的を思い出し、景元は男を抱えて一番近い雲騎軍の詰め所を思い浮かべながら歩を進め、その後ろに丹楓が追従する。
応星は今頃、丹楓の手によって眠らされ、心地好い寝台の上で夢でも見ている事だろう。
応星の立場を思えば、これからも気は抜けないものの、彼を無用に悩ませる羽虫は出来る限り払ってやりたい。己の腕に抱けずとも、成さない理由が景元には無かった。
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「龍尊様よ、俺は何故お前と婚姻を結ぶ事になってるんだ?弟子達から婚儀はいつなのかと急かされているんだが……」
溜まっていた仕事を終え、ようやっと開放された応星は丹楓を呑みに誘い、自宅で久々の酒に心を揺蕩わせている最中に思い出した疑問を丹楓へと投げかける。
「ほう、噂はそこまでいっているのか」
「なんか知ってるなら教えてくれよ」
応星は己の膝の上に肘を置き、頬杖を突きながら隣に座る居丈高な男の袖を摘まんで引く。
龍師達が見れば卒倒しそうなほどの不敬であるが、丹楓は意に介さず、それどころか常の鉄面皮が嘘のように微笑みを浮かべている。
「ずっと余が我が宮へ其方を連れ帰っていただろう?」
「そうだな?連れ帰ると言うか強制連行に近かったが……」
「口さがないお喋り雀が『余と其方が恋仲である』などと囃し立て始めたようでな、それが人の口に上るごとに飛躍していったようだな。ま、他愛ない噂話よ」
くい。と、丹楓が酒器を傾け、些末な出来事の如く語った。
龍尊、飲月君が短命種の職人に入れあげている。そのような醜聞とも言える噂を語る丹楓の様子は喜色すら混じっている。
「お前も俺なんかと噂されて迷惑だろうに、否定しとけよ」
「迷惑でないと言えば?何なら噂を真実にしても良い」
丹楓は酒器を置き、酒が入ってほんのりと赤らんだ応星の頬へ壊れ物に触れるかのように優しく沿わせる。
「応星よ、余に触れられるのは嫌か?」
「いや、ではないが……」
丹楓に触れられる嫌悪感はない。
いつでも彼が慈愛と敬意を持って接してくれている人間性を知っているからだ。
「其方が受け入れてくれるのであれば、余は其方を最初で最後の伴侶としたいと考えている。生まれ変わったとしても、余の伴侶は応星、其方だけだ」
己の十倍は優に生きる長命種。
寿命が来れば古海に潜り、卵に戻って永遠に転生を繰り返し、婚姻の必要性が無いはずの持明族の龍尊。
それが、永遠に、生まれ変わってもお前だけを愛する。と、誓いを立てたのだ。大事件である。
「伴侶、え、あの、俺、お前に性別というか、伴侶とか、そう言うのがあるとは思って無くて……」
すっかり動揺してしまった応星は、憐れなほどに狼狽える。
持明族は仔を成さない。その特性から丹楓を他者に欲を持つ人間との認識が無かったのだ。
己が特別扱いされている事実は理解していても、友愛だとか、親愛だとか、家族愛に近いものを応星は勝手に感じていたのだ。それを完全に否定されては負けん気が強く、侮蔑してくる長命種達へ悪口雑言を平気で吐き連ねる百冶様とて動揺せざるを得ない。
「だろうな。そうで無ければ寝所に運ばれはせんだろう」
少しばかり沈んだ声色を丹楓が出せば、応星の動揺は更に酷くなる。
のこのこと寝所まで連れられても安心しているのだから、そも、『男』だと認識されていない事は薄々感じていた。応星の性被害を聞き、それは確信に変わった。
応星の親族のような立場に甘んじる事も考えはしたが、溢れんばかりの情愛を止めおくのは余りにも切なく、万が一、この先、応星が誰かと添うとしたら。己以外の誰かを隣に置くとしたら、想像だけでも気が狂いそうなほどの悋気に襲われてしまうのだ。これでは親族振りなど出来はしない。
「其方が厭うならば二度と触れはしない、だが、愛する事だけは許してはくれまいか」
「えっ……と、おれ……」
頬に触れる丹楓の手は振り払われない。
応星自身、肌を紅葉の如く朱に染めてしまい、涙目になりながらも言葉を吐き出そうとしているが、先程からあぁ。や、うぅ。と、喃語を喋り始めた赤子のような様相である。
「口づけても?」
「わるい、おれ……」
丹楓は近づけた顔を離し、応星の言葉を待つ。
「お、お前に気持ち悪い……、とかは無いんだけど、急に伴侶とか言われても……」
「其方と出会ってから今まで、余の持てる愛の全てを注いでいたつもりであったが、つもりでしかなかったとは中々に切ない心となるものだな」
丹楓はわざとらしく腕を組みながら、天上へと向かって嘆息してみせる。
応星が話題を出し、これ幸いと乗じて求婚したが、もしも、最初は慈悲を持って接したとしても、実際は応星を支配する目的でしか無かった加害者等と同列に並べられたらどうするか。内心、冷や汗まみれだったのだが、年数をかけて育んだ信頼と信用、注いだ情は無駄では無かった事へ安堵と共に、常に感情を乱さず、長として冷静に、毅然と前を向き、平静を装えるよう己を躾けた龍師達に今日、初めて感謝した。
彼も龍尊である前に一個の人間であり、また、矜持も高いため、好む者へ無様を晒す事は良しとしない。
「おれ……、そういうの、ほんとわかんない、から……、ご、ごめ……」
枯れかけの花のように萎れ、ただでさえか細くなった応星の声は、徐々に萎んで地面に落ちた。加害を受け、他者から向けられる欲求を嫌悪しながら生きて来た応星に、直ぐ様答え出せ。触れさせろと要求するのはあまりにも酷である。
丹楓は何度か静かに呼吸を数度繰り返し、肉の欲求よりも応星を手放したくない心が強い己を確認する。
「手を握っても良いか?」
「う、うん……」
動揺しすぎて涙まで溢れ出した応星の手を、丹楓は刺激しないようにしながらも取る。
「直ぐに答えを出さずとも構わぬ。余は其方と共に在れるのならそれだけでも良いのだ。何も触れ合うだけが情の繋ぎ方でないのは知っておろう?」
持明族は生殖機能が無いだけで性別はあり、性行為こそ可能だが必須では無い。己だけの応星であって欲しい欲求さえ満たせれば、触れあいは重要ではないのだ。丹楓は己を律するために、頭の中で何度も同じ言葉を繰り返す。
「おまえ、なんでそんなやさしくしてくれんだよ……」
「其方を愛しているのだから当然であろう?」
ぐず。と、鼻を啜り、宵闇を閉じ込めたような紫の潤んだ瞳が丹楓を見詰める。
「おれも、すきかも……」
丹楓が反社的に肩を揺らし、応星の顔を見詰める。
「もうちょっと、まっててほしい、けど、でも、おれ……」
詰まって鼻声になった応星がまた鼻を啜り、涙で濡れた顔を衣服の袖で拭う。
「俺、じみょ、持明のやつ、でも、さわられたら、気持ち悪くて、払ったりしてて、でも、おまえ、は、いやじゃないから……」
「そ、そうか……」
応星のどもりが移ったように、丹楓も言葉を詰まらせながら応じた。
心臓が早鐘を打ち、龍師達の教育も無に帰す程に体温が上がっているため、隠しようも無く顔のみならず耳までが熱い。
「余に其方と共に歩む権利をくれるか?」
「え、うん……、あ、いや、まって……」
止まらない鼻水や涙を拭っていた応星が、丹楓の追撃に思わず返事をした様子で答えて慌てる。応星は何度か咳き込み、乱れた呼吸を整えて丹楓の手を握り返す。
「権利をくれとか、龍尊様の口から出たとは思えないな……」
「このような時に茶化すな」
「いや、すげぇ大事にしてくれてるなって感動してるとこ……、ちゃんと答え出すから、待っててくれ、ちゃんとする……」
「相分かった」
その晩は、これだけで解散し、互いに眠れぬ夜を過ごすも、丹楓は九割九分、応星はこの想いに答えてくれる期待をしていた。
だが、一ヶ月経っても返事は返ってこない。体調が優れぬのか心配して工房を訪れても忙しいを理由に断られ、丹楓は煩悶した。幾許かでも触れたい欲求を持つ相手は矢張り気持ち悪いと感じたのか。
機巧鳥を飛ばしても『ごめん』との謝罪が返ってくる。
完全に拒絶されてしまったのか。
執務室にて、項垂れながら頭を抱える龍尊に、おつきの家人は何も言えないでいる。
ただ、真摯に尽くした者には救済の手が与えられるものである。
「丹楓、失礼しますね?」
「白珠か、何用だ」
声をかけながら入ってきた白珠へ丹楓は用件を伺う。
「あたしが首突っ込むべきか悩んだんですけど……、応星がですね……『今まで一緒に居た相手を好きだって気付いたら、どんな顔して会えばいいか解らなくなった』って泣いちゃうんですよ。応星の好きな人って貴方で合ってますよね?」
「応星が、そのように其方に相談したのか?」
「えぇ、他にも色々話しはしたのですが、要点はそれですね。貴方が応星の気持ちを心の底から大事にしてくれてるようで安心しました」
白珠は本当に喜んでいるようで、狐族の豊かな毛量のある尻尾は激しく揺れて耳も跳ねている。
「応星は今どこに?」
「さっきお家で話を聞いたばかりなので、そちらかと?」
「感謝する」
丹楓は勢い良く立ち上がると、机の上に散らばった書類や筆を片付けもせずに応星の自宅へと向かう。
白珠曰く、その表情は戦場を赴く戦士の如くあったという。