・目の治療を嫌がる応星
・お医者丹楓
・トラウマ話
・ほんのり楓応
龍尊の宮にて、酷い悲鳴が上がる。
家人は何事かと肩を震わせたが、応星が来ている。と、知れば触らぬ龍尊に祟りなし。皆が知らぬ振りをして助けになど行きはしない。
「いーーやーーー!」
「大人しくせよ!眼球を洗浄して点眼するだけであろう!」
丹楓は応星の体を腕で、足で、尾で捕らえながら言い争う。対する応星は硬く捕らえられながらも逃れようと抵抗する。
短命種の膂力で 龍の血族の長である龍尊から逃れられはしないが、顔を懸命に逸らしての抵抗は一応なりと成功している。
ほんの数日前の事だ。応星は『いつもの』嫌がらせで汚水をかけられた。
うんざりしながら髪や体はしかと流しても、目の洗浄が不充分であったか、後日、目が真っ赤に充血して痛痒く、仕事にならなくなってしまい、説教を覚悟しつつ治療のために丹楓を訪ねた。
しかし、簡単な診療の後、目の洗浄と共に眼薬を出すと言われた応星は、即逃げ出そうとした。
洗浄の準備をしていた丹楓は応星の行動が意味不明過ぎて一拍ほど行動が遅れたが、さしもの龍の宮は広く、面廊にて捕縛され、そのまま室へ連行。丹楓が応星を押さえつけて治療を施そうとしてはいるが、凄まじい抵抗によって適わない。
「いつもみたいにぱっと治してくれればいいだろうが!」
「眼の細かな傷は治せても、入り込んだ菌は殺せん!故に洗浄と眼薬で治療すると申したであろうが!?」
応星に釣られて丹楓まで声を張り上げる。
逃げ出そうとする応星の体、暴れる手足、背けられた顔を押さえながらでは目的とする治療が出来ずに難儀をしていた。
「何がそのように嫌なのだ!?」
応星の手が丹楓の顔を叩き、頑として治療を受けようとしない。
「目に何か入るのが怖いし、気持ち悪いから嫌だ!」
「はぁっ!?」
丹楓は龍尊らしからぬ声を上げ、驚きに手が緩んだ隙を狙って応星は逃げ出す。が、足に絡まった尾は外れておらず、思い切り転んでしまう。
「あのー、勝手に涙とか出てぇ……、勝手に治るからしなくていい」
応星は、床に叩きつけられながらも俯せになって腕で顔を覆い、治療拒否の意思を告げる。
対する丹楓の表情は苦悶に満ちている。龍尊の治療受けたい者は数多ほども居るが、拒否など初めてでどうしてよいか困惑しているのだ。
応星の言葉通り、自然治癒でも治りはするだろうが、原因を排除しなければ時間がどうしてもかかる。
簡単な洗浄と薬を点眼をするだけ。それだけなのだ。時間にすれば十分もかからないものを、時間を有限として忙しなく動き回る応星が、時間を無駄にしてでも拒絶するのだから余程の忌避感なのだろう。
「良いか。赤子のように愚図ったとて治療するまで余は離さんぞ。仕事もさせぬ、閑所も行かせん」
頑なに嫌がる応星も応星だが、丹楓も頑固な気質である。床にうずくまる応星を逃がさぬよう背に乗り、治療を受けるまで仕事には行かせないばかりか、下を汚したとて構わぬと宣言する。
「うーー……」
長命種からすれば幼子の如き年齢でも、応星自身は立派な大人である。万が一、漏らすような真似をしてしまえば、いっそ消え入りたくなるほどの恥なのだ。
恥と目に直接異物を入れられる忌避感を天秤にかけだすも、決着は中々つかなかった。
「お取り込み中に申し訳ないが……、いいかな?」
家人の誰もが犬も食わぬと放置していた事態に首を突っ込んだのは、二人の朋友であり、無二の仲間でもある景元であった。
手には幾つかの書簡を持っている事から、何らかの報告であろうと知れる。
▇◇ー◈ー◇▇
「応星、君は馬鹿なのか?眼を洗う程度で駄々を捏ねるなんて……」
人の背に乗ったまま丹楓が掻い摘まんで現状を教えると、景元は呆れ返った様子で溜息を吐いた。
元帥に命名され、一般的に五騎士と呼ばれる仲間内で一番最後に、幼い見目で入った末っ子のような相手に説教をされしまい、応星の矜持はいたく傷つく。
「私も手伝うから、さっさとやってしまえ」
「うむ、助力感謝する」
武人二人に結託されては応星の抵抗など赤子の手を捻るほどに容易い。
景元が背後から応星の体を羽交い締めにて押さえ、顔を掴んで固定し、丹楓が顔に布を当てつつ閉じようとする瞼を開かせて水を呼び、眼球へと流す。
その間、応星は余人が聞けば絞め殺されかけているとでも勘違いされそうな呻き声を上げ、点眼が終わった後は、薬をさした意味がないほどの涙を流していた。
「応星……、そこまで嫌なのかい……」
ぶるぶると体まで震わせながら涙を溢れさせる応星の姿に、余程の事と察した景元が新しい布を差し出し、顔を抑えてやる。
「応星、理由を聞いても良いだろうか……」
怖い。気持ち悪い。の根源を教えて貰おうと丹楓が尋ね、震える体を落ち着かせようと背をさする。
「あー、こっ……きょうが、壊された時、に、歩離人に捕まってさ、そいつ……」
応星は逡巡しながらも、今後同じ事があれば、同じ治療をされる確信を持ったため、渋々と語り出すも、どれだけ平静になろうと尽力した所で声は淀み、息苦しさに何度も深く息を吸い、細く長く吐き出した。
「眼を集めるのが好きとかで、目開かされて、で、なめられて……、歩離の指が、目を摘まもうと入って……」
「もう良い。分かった。無理強いをして悪かった……」
応星の体が一際、酷く震えて竦む。
言葉で説明する事で、過去の記憶がまざまざと頭に浮かび、その時の恐怖、嫌悪、痛みが応星を襲っているのだ。
「無理に息を吸うな、余の合図で吸って吐け」
乱れた呼吸を戻そうと丹楓が応星を抱きしめ、背を叩いて合図を送る。
「応星、すまない」
「俺の問題……、気にするな……」
苦しげに謝罪する景元の頭を応星の硬い掌が撫でる。
「今度、お酒でも奢るよ」
「あぁ……、たのしみにしとく……」
少しずつ呼吸が平常に戻りだした応星は、景元の言葉に口の端を上げて皮肉げに笑う。
「すまぬ、仕事になりそうにない……」
「だろうね。書簡だけ置いていくよ。じゃあね」
丹楓は頷き、応星は力無く手を振る。
恐らく、彼は今日一日は起き上がれないだろう。
景元は、闊達に振る舞う応星の心の奥底に隠された澱みを目の当たりにし、自らの手も微かに震えている事に気がつく。
朋友を未だ苦しめる歩離人への怒りか、己の無力感からなのかは、心が戦慄く今は判断出来そうになかった。