囲め。数で攻めろ。との怒声が響く。
雲騎軍の鎧を着た兵士達が一人の男を追い、次々に切り伏せられて倒れていた。
暴走した星核の影響で魔陰に堕ちる者が続出し始め、多くの兵は原因であろう星核ハンターの刃を捕らえようと躍起になり、血眼で追いすがるものの、距離を詰めては躱され、止めようと立ちはだかっても赤い華が散らばるのみの血生臭い鬼ごっこが繰り返されるばかりで刃を止められる兵士は居なかった。
そこへ、
雷霆よ。
短く言葉が響き、激しい雷を纏った切っ先が刃を襲う。
刃は一瞬だけ表情を歪め、迸る雷霆を避けながら更に足を速めた。
「後は私が追う。各所の封鎖を急げ」
刃の追走に追いついた景元が足を止めないまま兵へ命を下して散開させ、自身は一心に黒い背を目指す。
ほんの数刻の間。
将軍の参戦により士気が上がった兵士の尽力によって巨大な積荷が動かされた集積場は通路が複雑になり、とうとう四方が囲まれた袋小路へ入り込んでしまった刃は舌を打った。
大勢の雲騎軍を相手取った大立ち回りをしていながら刃は息一つ乱す事はなかったが、さしもの羅浮将軍相手とあって体力の温存は不可能と判断し、振り返りざまに掌を剣で切り裂くと四方八方へ赤黒い彼岸花を顕現させ、先手をとって景元に肉迫する。
至近距離から放たれた大技を完全には避け切れず、景元は傷を負いながらも陣刀を振り下ろす。が、彼に刃を殺すつもりはなく、目的は飽くまで捕らえる事。
動けない程度に傷を負わせるか疲弊させてしまえば良い。言葉にすれば簡易であるが、故に加減が難しく、景元の攻撃は剣によって受け止められ、甲高い金属音が空気を振動させた。
じりじりと金属が擦れ合い、膠着状態によって視線が絡む。
瞬間。
景元の心臓が大きく脈打ち、呼吸が乱れ、手が震えた。
その刹那の隙を見逃す刃ではなく、陣刀を押し除けながら攻撃を繰り出した。が、その攻撃は兵を薙ぎ払ったものよりもどこか精彩に欠け、目視に容易く景元は乱れる血脈を押さえつけながら、一合、二合と斬り合う。
激しい剣戟が交差し、金属同士が弾けて火花が散る。兵士等も加勢しようと集まりはしたものの凡人たる者達に割って入るような隙間はなく、手を出しあぐねて皆立ちすくむばかりであった。
刃と景元、互いの実力は拮抗し、攻防は一進一退。
最早、何合切り結んだか分からなくなった頃、唐突にそれは終わりを告げた。
刃がより深く切り込もうと景元へ踏み込んだ刹那、裂界が大きく口を開け、二人を飲み込んだのだ。
雲騎軍の中には慌てて駆け寄りながら手を伸ばす者も在ったが間に合うはずもなく、地の安定を欠いた彼等は為す術もなく呑み込まれ、見知っては居るがどこか異様な雰囲気を醸し出す異界へと落とされた。
「刃……っ!」
咄嗟に受け身をとったものの完全には衝撃を受け流せず、ほんの数秒とは言え苦痛に呻き、隙が出来てしまった。自らの失態に舌を打ち、視界を巡らせれば裂界に住む魔物と対峙している刃を視認する。
景元を守っていると言うよりは、先んじて襲われたために仕方なく魔物を片付けているようだったが、左手に巻かれた包帯は真っ赤に染まりながら血を滴らせ、呼気や動きにも激しい消耗が見て取れた。
「煌煌たる威霊よ……」
景元は迷わず刃の前へと飛び出し、神君の力を込めた陣刀を振るい魔物を一掃すると、多くの魔物は塵と消えたが、どこからともなく次から次へと溢れだし、侵入者である二人を排除するべく襲いかかってくる。
二人は自然と互いを補うように背中合わせに立ち、景元は魔物を薙ぎ払いながらも目は逃走経路を探す。刃と景元がどれほどの強者と言えど度重なる激しい戦闘に体力は尽きかけていた。加えての不調。あまりにも不利な状況に景元の背筋に汗が流れ、敵を屠りながらも視線は忙しなく生き残る術を求めて彷徨った。
「こい……!」
未だ衰えない攻勢ではあったが、集団の一角に薄くなった層を見いだした景元が、刃を勢い良く肩に担ぎ上げ、強行突破を図る。
「神君!薙ぎ払え!」
声を発すれば、威霊の力を纏った雷撃が周囲に降り注ぎ、裂界の魔物が纏めて吹き飛んだ。
全てを滅せは出来ずとも良し。と、景元は脚部に力を込め、刃を抱えたまま開けた血路をひたすらに突き進めば追いすがる魔物の気配が徐々に薄まってくる。
大振りの武器を手に、自身とほぼ身長の変わらない男を肩に担いだまま長距離を走り抜く事は至難の技である。が、足を止めれば座して死を待つようなもの。景元は魔物の姿が見えくなるまで走り抜き、巨大な積み荷の陰に刃を下ろして咳き込みながら血の味がする呼吸を整え、
「生きてるか?」
と、刃に語りかけた。
しかし、声はなく、石榴色の瞳が一瞬だけ景元を映し、直ぐに逸らされた。
意識ははっきりしているものの、自ら傷つけた左腕以外にも魔物の攻撃によって負った傷により刃の体は血塗れで、彼の防御を考えない苛烈な戦いぶりを表していた。
「もう血は止まっているな……」
「触るな……」
景元が刃の傍らに膝をつき、左手に巻かれた包帯を半ば無理矢理に張り剥がして掌で血を拭えば、傷跡はあれど塞がってはいた。恐ろしいほどの自己再生力である。それでも、失血までは完全に戻らないのか体温の著しい低下によって刃は景元の行いに碌な抵抗が出来ないで居た。
「無様を嘲弄するでも、さっさと殺すでも好きにしたらいい」
「そんな真似はしないさ、動けないなら連れて帰り易くなった。それだけだ」
ふん。と、刃は鼻を鳴らし、暫し沈黙を保っていたが、手で口元を隠しながら堪えきれぬようにか細い息を吐き、それを景元は耳聡く聞きつけ口角を上げた。
「本能とは度しがたいものだな……」
景元が身を屈め、横たわる刃の頬を撫でれば龍の逆鱗に触れたが如く刃が両手を伸ばし、目の前にある首を絞めようとした。が、絞める指に力が入っておらず、添えた程度で攻撃にはなっていない。それにも悔しそうに刃は歯噛みし、無力な指先が震える。
「はは、全てを終えた後であれば殺されてやってもいいが、今は困る」
それよりも。と、景元は言いながら刃の手首を掴み、地面に縫い付けながら見開かれた石榴色の瞳を覗き込む。
「離せ!」
不穏に笑む景元に殺気は感じられないが、身に起こっている変化から容易く予見できる未来に刃は全身が総毛立つような悪寒を感じ、獣のように唸り上げながら暴れた。
景元も限界まで疲労している筈であるが、刃が渾身の力を込めても捕まれた腕は微動だにもせず、最悪の手段として舌を噛み切ろうとするも、景元の親指が口に押し込まれ、大きな手で顎ごと捕まれて止められてしまう。
「そんなに嫌か。困ったな」
嘯くばかりで景元は笑みを崩さないまま刃の衣服の釦を外し、体を引き起こして腕の中に抱き込みながら項に血が滲むほど歯を立てれば刃の体が強く震え、腔内に押し込まれた指を強く噛み締め苦痛の声を上げた。
「苦しめたくはないのだが……、中々……」
景元が刃の髪に鼻を埋めながら息を吸えば、生臭い血の匂いに幽かに混じっていた甘ったるい芳香がより強くなり、心臓の鼓動が更に強く脈打ち始める。景元も長く生きているため、発情したオメガと接した経験はあるが、これほどまでに心が揺れ動いた事はない。
今直ぐにでも、この男を暴いてしまいたい。
制圧したい。
本能とは度しがたい。先程、自身が口にした科白ではあるが、相手に屈辱を与えるであろう本能が脳を侵食しようと迫ってくる。誠に雄の本能とは、度しがたく、愚かなものだ。
景元はぐったりとした刃を抱きしめたまま、込み上げてくる欲求に目眩がするほど耐えていれば、遠くから小隊程度の足音が聞こえ、安堵と焦燥を同時に感じた。
「将軍様!ご無事で……!」
「あぁ……」
隊を纏める兵士の一人が景元へと近づき、助け起こそうとしたのだろう。
直ぐ傍まで手が伸ばされたのだが、景元はその手を掴み、自分以外の雄を捻り潰したいと思う衝動を知覚し、首を振って固辞をした。
「あ、では刃は我々が連行を……」
「いや、私が連れ帰る。裂界を抜ける退路は解っているのか?」
「はっ、あ、無論です……!」
罪人を兵士が連行するのは当然の行いである。
だが、景元はそれすらも固辞し、自身で刃を肩に担ぎ上げ、少々足をふらつかせながらも幽囚獄へと向かうべく裂界を抜けた。
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幽囚獄へと刃を連行し、最も厳重な管理がなされている最奥の監禁室へと閉じ込めれば仕事は終わったも同然。しかし、景元は人払いをし、刃を寝台へと横たえ、自らの欲情を律しながら同じ寝台に座って頬を撫で、嘆息する。
刃は険しい表情のまま短い呼吸を繰り返すばかりで、酷い失血と損傷の上での発情が相当な体の負担になっていると見て取れた。
発情を強制的に抑える薬を飲ませ、安静にしていればいつかは治まり、魔陰の身である彼ならば自然と回復するだろうと理解はしているが、いつまでも足が動かず、立ち上がれなかった。それは、なにも疲労だけのせいではない。
私のつがいだ。ずっと求めていた相手だ。それが今、手の内にある。目の前に居る。刃を抱くための理由が浮かんでは消え、僅かな理性を駆逐しようとする。
「う……」
景元が頭を抱えながら呻っていると、寝台が小さく軋み、唇から盛れた音が耳に届き、勢いよく振り返れば刃が薄く瞼を開け、熱に浮かされた石榴の瞳が濡れててぼんやりと景元を見つめていた。
見つめ合っのはたったの数秒。その刹那で景元は欲情を押し留めていた最後の理性が、水に浮いた泥船のようにぐずぐずと溶けていき、刃の体から匂い立つ乾いた血と芳醇な熟れきった桃のような香りが、どこまでも景元の本能をむき出しにしていく。
既に瓦解した理性に抗う術はなく、景元は性急に血に塗れた衣服を剥ぎ取り、しとどに濡れた秘部へと己の屹立を埋め込めば、刃は甘ったるい声を上げ、長い足を逞しい腰に絡めてきた。
求められていると感じれば、より行動は大胆になり、肉付きの良い胸部、引き締まった腰、しなやかな背を、傷だらけの肌を慈しむような愛撫を施しながらも景元は刃を激しく犯し、耐えきれず零れた嬌声に愉悦を隠しきれずに口角が上がってしまう。
これが求めていたつがいを得た喜びなのか、ただこの男を蹂躙する事への享楽かは現状、判別ができなかったが、ただただ景元は刃を求め、本能のままに胎に何度も精を注ぎ、快楽に蕩けた声を零す唇へ口づけた。
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「毎日ご苦労な事だ。よく飽きないな……」
寝台に座る刃が呆れ返ったような沈んだ声で目の前に立つ景元へ、辛辣な言葉を投げかけるが、投げられた本人はどこ吹く風と微笑み返すばかり。
「愛する伴侶の元へ通うのに飽きる訳がないだろう?」
「下らん……」
刃は忌々しそうに舌を打ち、視線を逸らすが景元は構わず隣に座り、傷だらけの体を抱きしめながら、自身の歯形の残る項へと口づけ寝台へと押し倒す。
「俺は仔なぞ産めんぞ……」
「私は君がいればそれでいい」
刃は上がった吐息を噛み殺し、景元へ無駄な行いだと諫めるが、やはり気にもとめずに服の中へと手を差し入れながら世迷い言を吐き出した。
「もし子が出来たら、世界で一番の愛を注ぐと誓おう」
「馬鹿な……」
魔陰の化け物と、呪われた一族が成した生命など、碌なものではない。
それが解らぬほど頭は悪くないだろうに、自分を愛おしむように抱こうとする景元へ、愚かと嘲りたくはなるが、毎度、この男が傍に来るだけで胎の奥が締め付けられるような、浅ましい感覚に目眩がしそうになった。
体を切り刻まれた方が余程、マシと思えるこの滑稽な茶番も、暫くの辛抱。
そう思えば、目を閉じてやり過ごすだけだと刃は口を閉じた。