今州の夜帰軍の最前線駐屯地である要塞の自室にて、将軍である忌炎は愁いを帯びた吐息を肺の奥底から吐き出した。
膠着した戦況。
倒しても倒しても無尽蔵に湧き出す残像。
兵も物資も疲弊の極みであり、愁う要素は枚挙に暇がない。が、現在、忌炎を悩ませている事象はそれらとは一切関係がなく、椅子に座る彼は片胡座を組み、背中を丸めてこれから来る来訪者が少しでも遅れてくれる事を願っている。
しかし、その願いが叶わぬ事も忌炎は知っている。
これから対面する男は、仕事に関して全く妥協せず、誰よりも美しく遂行する人間なのだ。
「失礼する」
扉を叩き、忌炎の諦観の籠もった返事と共に現れた男。
猛犬と称されながらも低く鼓膜を震わせる声は落ち着き払い、真っ直ぐに伸びた背筋、迷いない足運びから漂う威圧感は堂々たるもの、腰よりも長い柔らかな銀白色の髪は動く度に優美に揺れて人目を引く。
「どうした。体調が優れないのであれば出直すが?」
「いや、少々考え事をしていてね」
忌炎と対する猛犬、カカロは夜帰軍将軍として威風堂々と残像に立ちはだかる常の立ち姿とは比較にならぬほど情けなく背中を丸めた彼の様子に形の良い眉を顰めた。
優れないと言えば優れないが、余人に伝えるには憚れる事象。言い訳をする忌炎の視線はどこか胡乱でカカロと目を合わせようとしていない。
「集中できていない様子だ」
「あぁ……、そうだな。緊張が解れていないのかもしれん。作戦の確認は後にして、外で茶でも飲んで落ち着かないか?」
生真面目な彼に事が知れたら蔑まれるようで、忌炎は誤魔化しを重ねて曖昧に微笑んで退出を促すが、カカロは動かず見下ろしている。
「生理現象ならそう言えばいいものを……」
カカロの科白に、ぎく。と忌炎は肩を震わせ、看破されていた羞恥に薄く頬を染めた。
「さっさと処理してしまえば良かっただろう、俺が帰るまで耐えるつもりだったのか?馬鹿馬鹿しい」
如何にも面倒で呆れた風にカカロは言い放ち、手に持っていた電子端末を机に置く。
「立場上、女を呼んだり、軽々に部下が使えんのは理解するが、自己処理くらいてきぱきやれないのか」
性欲など事務的に処理しろ。
腕を組んで睥睨する男からの視線を受けて更に忌炎は俯いて背を丸める。如何にも簡単そうに言うが、忌炎の状態は所謂、寝起きの朝勃ちや疲れ摩羅であって性欲に起因するものではない。
処理は出来なくもないが、放っておけば収まるもので、故に幾許かでも遅刻を願い、あわよくば同じ男なら分かってくれるだろう。と、期待していた部分もあり、ここまで責められるとは想像すらしなかった。
「さっさとやれ。俺も暇じゃない」
確かに、彼の傭兵部隊は作戦の確認後、出陣を控えている。入念な準備の為にも時間が惜しいのだろう。しかしながら、人前で自慰を強要する彼に羞恥は見えない。忌炎ばかりが狼狽え、あまりの無体に言葉を失ってわなわなと羞恥に震えた。
己を見上げるばかりで動かない忌炎に焦れ、カカロは小さく舌を打つと丸まった背を起こすように肩を押し、片胡座を組んだ足首を掴んで降ろしたかと思えば股座に手を突っ込み、膨らんだ陰茎を引きずり出す。
驚き焦ったのは忌炎で、カカロの肩や頭を押し返そうとするも、煩わしそうに手を払われた挙げ句に半勃ちの陰茎を口に含まれた。
「カカロ!?っう……」
名を呼んで止めるよう言おうとしても、温かい咥内に包まれた陰茎が強く吸われ、声が上擦りそうになる。
「手伝ってやるから、さっさとすっきりしろ」
時間が惜しい。早く終わらせたい意図は感じても、躊躇のなさに肝が冷えるような心地の忌炎ではあったが、肉厚の舌で舐め上げられる快楽が体温を上げ、喉奥まで呑み込まれれば苦悶と悦楽の狭間にあるような声が漏れた。
一段と低く呻く声を忌炎が零した刹那、カカロの喉仏が上下し、将軍の顔が剥がれ落ちた彼の表情はひきつっていた。
「のん、だのか?」
「呑んだ方がどこも汚れんで良かろう」
動揺している忌炎とは裏腹に、カカロは事も無げに平然としながら立ち上がり、電子端末を手に取ると、
「今回の俺達の作戦についてだが」
そう言って、何もなかったが如く振る舞いだした。
「物足りなかったか?」
カカロの白皙の肌には血が通っていないのかと疑いたくなるほど変わらず、陰茎を含んでいた唇だけが摩擦のためか艶めかしく色づいていた。
顔を紅潮させたまま見詰めてくる忌炎に、カカロは再び眉根を寄せる。
「これで足りなければ帰ってから穴でも提供してやる。今は此方に集中しろ」
「あ、な……、などと……」
大凡、人間扱いではない称しかたに苦言を呈するように言えば、
「処理に使うだけだろう」
面倒臭そうにあしらわれるのみ。
「いつもこんな事を?」
話を進めたいカカロを無視して踏み込めば、案の定返された冷酷な眼差し。
彼が統率する傭兵団は、任務を達成するためであれば手段は問わないと知ってはいても、このような真似を顔色も変えず行う明け透けさに驚きは隠せない。
「必要があればな。慣れているから問題はない」
性感を煽る舌の這わせ方、男の弱い部分を熟知している緩急の付け方に納得せざるを得ず、忌炎は何ともいえない呻きを吐き出すのみ。
「あぁ……、つまらない手をかけさせて悪かった……」
情けない心地になりながら忌炎は服の中に陰茎を納め、何度か呼吸をするとカカロに向き直り、思考を切り替える。
カカロは興味もないのか忌炎の様子など鑑みることもなく、円滑な実行のために作戦の要点を確認し、細かな修正と傭兵を用いての動きを伝えて直ぐに出て行ってしまった。
室に残されたのは、精の臭いが漂う空気と、異様に心を乱され疲弊した忌炎のみであった。
後:
猛犬の誤算と龍の甘さ