ピノコニーへ向かう穹達を見送り、列車に残った丹恒がアーカイブ整理に集中していれば、程なくしてパムが資料室の扉を叩く。
「丹恒、お友達が来ておるぞ」
「友達?」
もしや景元だろうか。
仙舟にもファミリーから招待状が出されている可能性は高く、列車を見かけて訪問してくれたのかと資料室の扉を開けば、目の前に立っていたのは景元とは似ても似つかぬ黒ずくめの男で、表情なく丹恒を見詰めていた。
「じゃあ、俺は業務に戻るぞ」
「あぁ、ありがとう」
パムへと律儀に返事をした男、刃に丹恒は何度か目を瞬かせ、思考を切り替える。
「何をしに来たんだ?」
「暇で」
彼が何の目的もなく来訪するとは思えず、意図を確認したかったのだが大凡似つかわしくない言葉が飛び出てきた事に丹恒は驚く。刃は復讐のためだけに生き、それこそ終焉を渇望して死に急いでいる人間だ。星核ハンターが日々どうやって暮らしているかは知れないにしろ、暇を持て余す時間があったとは、全く想像だにしていなかった。
「何かに協力しろとか、その、俺に……」
復讐をしに来た。とは流石に最後まで言わなかった。
それならば既に剣を振りかざしているはずだが、彼の両手には何も握られていない。入り口でパムに没収されたのだろう。
「あぁ、お前の顔が浮かんだから会いに来た」
丹恒が止めた言葉を好意的解釈でもしたのか、随分といじらしい言葉まで飛び出てくるものだから丹恒の顔に薄らと血が集まって熱くなる。
「ラウンジにでも……」
「ここでいい。掃除の邪魔になる」
刃が訪れた際、パムは相変わらず熱心に掃除をしていたのだろう。
掃除中に汚される事を殊更嫌う車掌が業務に勤しんでいるのであれば邪魔をする行動は憚られる。
「何もないが……」
「あぁ」
刃は短く返事をすると資料室に入り小さな階段に座ると、長い足を持て余すように片膝を立てて、壁により掛かりながらこじんまりと座っている。
「ピノコニーの観光はしなくていいのか?」
「騒がしい場所は好まん」
刃がぼやくように零した言葉に触発されたか、静謐な園林で酒を傾け、遠くで打ち上げられ、散っていく花火を眺める刃、否、応星の横顔が丹恒の脳裏に浮かぶ。月見、花見、祭事を彩る花火、美しい物を肴に酒を呑む。そんなものは口実でしかなく、丹楓は彼ばかりを見詰めていたのだろう。その唇が、『騒がしい場所は好きじゃないんだ』と、語る。
ただでさえ目立つ存在だった彼は、喧噪の雑音を嫌い、蔓延る悪意に溺れそうになりながら足掻いていた。そんな彼も、丹楓の傍でなら息が吐けたのだろう。
「そうか。何もないがゆっくりするといい」
特に返事はせず、刃はアーカイブを纏める様子を無言で見詰めるばかりで、その視線に落ち着かない感情になり、丹恒は首に汗をかく。
居心地が悪いとは言えない。むしろ逆で、刃の存在が丹恒の中で日に日に大きくなっていくばかりで、どうしたらいいのか戸惑っているのだ。
記憶の蓋がこじ開けられる度に、丹楓と丹恒の境目は曖昧になった。
丹楓が感じていた出口のない檻に閉じ込められた孤独。
仲間への情。応星への恋慕。
まるで、我が物のように丹恒の心に溶け込んで、今、己が刃に感じているものは『丹恒』の情なのか『丹楓』の執念なのか、時折、判然としなくなる。
『俺は己の道を開拓する』との意志は揺るがずとも、全ては分かたれてなどおらず、地続きなのだと理解してしまえば『関係ない』とは突っぱねる事が出来なくなってしまった。故に丹恒は『丹楓』の存在ごと呑み込み、刃に対して『最後まで付き合う』覚悟を決め、彼もまた『復讐が長引いても構わない』と、返した。死にたがりの男がだ。死を望み、鏡流の手によって一次的とは言え殺された直後に未来を語ったのだ。
交わした言葉自体は少なかったものの、この短い会話を丹恒は仙舟を出てからずっと反芻していた。どんな意味が込められているのかを。
応星としてではなく、『星核ハンターの刃』として犯した罪、狂乱した彼によって沈められた舟の被害を考えれば決して擁護出来るものでもないが、己が原因であるならば、不完全とは言え記憶を取り戻した今であれば手を握ってやれるような気もしている。
実際、彼が求めている手は、『丹恒』ではなく、『丹楓』の手なのだろうとは思えど。
「ここに居ても余計に暇になるんじゃないのか?」
丹恒は三月のように愛想を良くする事も、愛嬌を以て会話を盛り上げる事も不得意どころか苦手である。
一人で居るよりもつまらないのではないか。気を紛らわせるためのアーカイブ整理も粗方終わり、相応の時間が経っている事に気がついた丹恒が顧みながら刃へと問いかけた。だが、想定した場所に刃は居らず、丹恒が視線を巡らせれば彼は乱雑に敷かれたままの布団の上で寝転がりながら本を読んでいた。
「貴様に気の利いた会話など求めてはいない」
「求められても困るが……」
丹恒が階段に腰掛け、手持ち無沙汰に手摺りを握りながら密やかに息を吐く。
暗殺者と獲物としての期間が長すぎて、こうなるとどんな態度をとって良いのか分からず、丹恒は落ち着かない心情になる。
「この本は教訓じみててつまらんな」
半ばまで読んだ本を閉じて簡易照明の下へ置き直し、枕へと頭を置いたが寝ようとはしておらず、ぼんやりと壁を見詰めていた。
「それは、景元から貰った物だ……。仙舟以外……、外の世界を幾許かでも俺に与えようとしてくれていた。追放される際に本の山から適当に掴んだから、内容は重要じゃないんだ」
幽囚獄で囚われていた時分、丹恒は龍師達からの尋問と拷問以外は暗い場所に閉じ込められていた。そこに、景元は度々やって来ては外の話をし、幼かった己に知識を与え、沢山の多趣味な本を置いていってくれた。他にする事も無く、本を読む事が習慣になり、今、アーカイブの編纂が得意になったのは彼のお陰とも言える。
仙舟には決して良い思い出はないが、数少ない一個の人として扱ってくれた相手に貰った物だ。彼も、刃同様に求めていたのは『丹恒』ではなく己を通して『丹楓』を見ていたのだろうが、寄る辺なく彷徨う孤独に、何も持たないでは居られなかった。
「成る程、やたら擦れて草臥れている訳だ」
本を指先で突いてまた無言になる刃に、丹楓の記憶を取り戻してからは腕甲を握り、撃雲を抱き締めれば心が落ち着く理由を否が応にも察してしまった事は敢えて伏せておく。
「刃、お前は……」
「ん……」
丹恒が視線を床に落とし、指を弄りながら『応星』としての記憶はどの程度あるのか訊ねようとするも、刃の魔陰を刺激しかねないとして訊きあぐねた。
「カフカや銀狼とは仲がいいのか?」
「俺達は、運命の奴隷に選ばれ、其れ其れに思惑があって従っている。貴様等のようにべたべたはしていない」
「べたべたはしていないが……」
丹恒が不本意な印象に反論すれば、ふん。と、鼻を鳴らして刃が背を向けた。どことなく、拗ねた子供のようであるが実際は分からない。
拒絶するような背中に声をかける事も出来ず、どうしたものか考えていれば静かな寝息が聞こえて丹恒は立ち上がって刃を覗き込む。
刃は目を閉じており、胸も規則正しく上下している。
生物として当たり前ではあるものの、こいつも眠るのか。そんな当たり前の事に衝撃を受けた。ただ狂乱し、暴れる怪物から人としての輪郭がより強く浮かび上がってくる。
丹楓が余計な希望を与えなければ、恐らく応星は後悔や苦難に苛まれながらも『人間』として生を全う出来ただろう。永遠に復讐へ身を焦がす事もなく、終焉を求めて悶え苦しむ事も無かった筈。ただ、それを思えば丹楓は永遠に仙舟と言う檻から抜け出せず、己は後を継いで何の感情もなく健木を封じる役を担い、白露は生まれなかった。
丹楓の行いも赦されるものではない。が、現在を否定する事も出来ない身からすると、複雑な心境にならざるを得ない。
「刃?」
眠りを邪魔しない程度、しかし、起きているのであれば目を開けるだろう声量で名前を呼ぶが瞼は上がらなかった。以前なら考えられない気の抜きように苦笑して傍に膝をつくと布団を掛けてやろうとする。
「すまん、お客様にお茶もださんで掃除に夢中になっておった!」
すぱ。っとお盆を片手に扉を開けたパムと丹恒の視線が合う。
「お邪魔だったか?お茶はここに置いておくからな」
床にお盆を置くと、言い訳も聞かずにパムは速やかに扉を閉め、小走りに去る足音がした。
「寝込みを襲うとは趣味が悪い」
「ちがっ、俺は布団を……!」
微睡みを遮られた不機嫌さなのか、刃が丹恒を責めるような口調で低く唸る。
俺を追い回していた時は寝込みですら襲撃してきた奴に言われたくない。だとか、散々、お前に迷惑をかけられたのは俺の方だ。など、言いたい事柄が頭に浮かぶが、現状の『襲う』は恐らく意味が違う。文字であれば何でも無作為に読んでいた為か、耳年増と言おうか、それが解らないほど初心でもない。
「誤解だ!」
「やりたいなら別に構わんが……」
「はぁ……」
泡を食う丹恒に対し、刃は面倒そうに返す。
丹楓と応星が『そういう関係』だった事は鏡流達と会った後に見た夢から知っているが、刃が己を受け入れようとするとは意外すぎて気の抜けた声が喉から漏れた。
【
ここから分岐:R18】
「俺は……」
「やらんなら俺は寝るが……」
人の布団の上で中々の図々しさである。ともすれば、自ら誘っていた可能性も考えるが、刃の思考は刃にしか解らない。
「疲れてるのか?」
「ここに来る前の任務で少し死にすぎた……」
不死の人間ならではの返事である。
要するに、どこか気怠げな様子も酷く消耗しているが故。疲れすぎて逆に休めず、上手く眠れないもどかしさに暇を持て余していたのか。
「俺が近くに居て安らぐのなら、眠ったらいい……」
隅に追いやられた掛け布団を掴もうとして行き場を失った手で刃の髪を撫でていれば、数度瞬いた後、完全に眠ってしまったようだ。
特にする事も無く、外に出る気にもならず、丹恒は刃の傍に座り込んで髪を弄ぶ。
髪の指通りは絹糸のように滑らかで、丁寧に手入れされてるようだった。本人の気質なのか、或いは女性達に髪を弄られているのか。
眠る横顔は険しさがないと幼い風貌で、唇は薄く、長い睫毛がぴったりと合わさり目元を濃く縁取っていた。知らない顔ではないものの、状況が違えば別の表情が見えて来る。
「可愛いな……」
余程、疲弊していたのか、丹恒が血の気の薄い頬を指の甲で撫で、前髪を手櫛で梳いても刃の呼吸は乱れず静かで規則正しい。故に緊張も解れて意識せず言葉がまろび出た。
可愛い。誰の事だ。己の口から出たとは信じ難い科白である。否、抵抗がないからと眠る人間を勝手に弄り回している時点で異常なのだ。
丹恒が天井を仰いで深呼吸の後、よし。と、一言だけ放つと別の思考へと切り替える。まだ、ブロベルグの新しい土地で得た情報は整理していなかったはずで、やるべき物事を思いだし、立ち上がろうとした矢先に刃が寝返りを打ち、仰向けになると丹恒の外套を右手で握る。
振り払って移動しても良いのだろう。以前の丹恒ならば確実にそうしていた。だが、今は躊躇してしまう。
「起きたのか?」
問いかけても応じる声はなく、刃は再び寝返りを打って体を丸める。列車内は空調で一定の温度と湿度を保たれはしていても、眠って体温の下がった彼には寒いのだろう。
丹恒は腕を伸ばして掛け布団を握ると刃の縮こまった体を覆うように包む。すると、少しばかり眉間に寄っていた皺が緩み、熱を求めて強張った手も床に落ちた。
手を離され、物悲しさが一瞬だけ過ぎった気もしたが、気のせいとして丹恒は立ち上がる。
パムが淹れてくれた茶はすっかり温くなり、盆を持ち上げても湯気すら揺らがない。
丹恒は階段に座り直すと、盆を膝に置いて茶を口に含む。冷めて渋みが出てしまった茶を惜しく思いながら、背後で猫の子のように丸まって眠る男から意識を逸らすために一息に飲み干した。
そうやって、丹恒がまんじりともせず、アーカイブ編集も出来ずに固まっていたなど知る由もない刃は、熟睡から目覚めると大きく欠伸をして空腹訴えて鳴る腹を擦った。
「起きたのか……」
首だけを動かして刃を省みる丹恒は、戦闘時の如く表情が険しくなっており、声も低い。
「何かあったのか?」
「問題ない。気にするな……」
そう言って丹恒は首を振る。
とても問題なし。と、するには様子が可笑しい。
「寝床を占領してしまった詫びは後日する」
「構わない。そんな事はどうでもいいんだ……」
ならば、何故そうも不機嫌なのか刃は解せず、四つん這いになって移動し、俯く丹恒の顔を覗き込むようにするも逸らされてしまった。
下手に突けば薮蛇、或いは蜂が飛び出すやも知れぬ。刃は、かの愛らしい車掌に迷惑をかけるつもりは毛頭なく、丹恒を刺激しないよう音もなく立ち上がると扉に向かう。
「……暇だったらまた来い」
「あぁ、そうする」
だが、俺の仲間には近づくなよ。そう釘を刺し、丹恒は座って背を丸めた体制で刃の背を見送った。
「帰るのか?」
「あぁ、世話になった」
刃は謝辞を述べ、パムに没収されていた剣を受け取ると、列車を後にする。空を見上げれば、けばけばしい光が暗い空を照らし、世界を言祝いでいる。
たったそれだけでも人酔いしたような心地になった刃は、仔犬のように鳴く腹を一刻も早く鎮めようと、足早に拠点へと戻っていく。
資料室にて床を見続けている丹恒が、夢で見た応星の婀娜な姿と、横たわる刃を重ねてしまい、意識しないようにすればするほど泥沼に嵌っていく己と戦っていたなど知りもせずに。