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スターレイル用

愛おしき君よ


・掌編
・出来上がってる楓応
・応星に対して過保護龍尊様





 応星は寝台から這い出ると腹の底から息を吐き、獣が唸るような声を出した。
 仮眠をとるつもりで横になったのだが、随分と眠ってしまったようで、室内は明かりを落とされて真っ暗。当然、工房には人の気配など感じられない。

 窓から見える外の方が露店や街灯で明るいほど。
 応星はその微かな灯火を頼りに目を凝らしながら壁を伝い、慣れた室内を頭に描きながら歩く。

 明かりを点けるためのスイッチを手探りで探すが、何度押しても室内は明るくならず、ほぼ応星専用となっている仮眠室を掃除してくれているだけありがたいと思わなければならないのだろう。
 そもそも、工房に勤める殆どの長命種は暗くなる前に帰るため作業場、倉庫などの必要な場所以外の点検をしているとは考え難い。

 明かり。
 明かり。

 頭の中で同じ言葉を反芻しながら壁を探るがそれらしき物は手に当たらず、応星は困り果てる。
 室内の構造は頭に入っているが誰かが床に物を置いていないとも限らず、応星は少しずつ足を出し、かなり注意して歩く必要があった。亀の如き鈍足である。
「泥棒め!」
 只管出口、或いは明かりを目指して歩いていた応星の体を、何者かが声を上げて掴みに掛かり、地面に押し倒され、羽交い締めにされる。
 泥棒。誰が。俺が⁉突然の出来事に頭は混乱し、声も出ない。
「貴様!何を盗もうと……」
 誰何した人物に顔を照らされて応星の目が眩み、相手は息を呑む。
 どうやら自身が捕まえた人物が誰かに気付いてくれたようで、直ぐ様、体は解放され、額を床に擦りつけている。
「申し訳ありません……!百冶様とは思いもせず……!」
 床に転がったカンテラから照らされた人間は朱明からやってきた職人で、やる気に溢れた人物だったと応星は記憶している。
「その、窓から人影が見えて、てっきり泥棒だと……!」
 彼は言い訳を捲し立てているが、応星は右腕を押さえて脂汗を流し、それどころではない。押し倒された際に、二人分の体重を受けた腕が尋常ではない痛みを発して声が出せないでいる。
「百冶様……?」
 叱責も赦しもない事を疑問に思った彼は顔を上げ、己がしでかした応星の惨状に驚いて慌てる。殆どの人間は、応星が称号だけを与えられた飾り物の長とは知らない。そのため、よりによって職人の宝である腕を負傷させた己は応星からどんな罰が与えられるのか怯えて更に額を床に擦り付け、涙ながらに謝罪を繰り返している。
 その間にも、応星の肘から先は瞬く間に青黒く腫れ始めた。
「そんなのどうでもいいから……、丹鼎司に連れてってくれ……」
 謝罪など意味は無い。
 それで傷が治るのなら幾らでも受けようが、言葉で傷が癒えなどしない。
 どうにか絞り出した声に彼は飛び起き、応星の体を慎重に支えながら工造司専用である星槎を呼び、丹鼎司まで飛ぶ。

 このまま腕が使い物にならなくなったらどうするか。
 まだ作りたい物もある。
 倒したい敵とて未だ滅びてはいない。
 休んでいる暇などないのに。

 痛みにぐらつく意識と弱気になる心を引き締めようと応星は奥歯を噛み締め、細く長い息を繰り返す。
 星槎が丹鼎司に着くと、職人の彼は慌てて飛び出して医師を呼びに行く。最早、応星の思考は『痛い』としか浮かばず、星槎の椅子の上で背を丸めて苦痛に耐えていた。
 直ぐに複数人の医師が星槎に乗り込んでくる。特徴的な長い耳を見るに持明族である。
「失礼します。私は龍尊様ほどではございませんが、癒やしの術が使えます故、今暫しご辛抱を……」
 恐る恐ると医師であろう彼女は応星の手を取り、水を呼ぶと口の中で何をか繰り返している。持明族の言葉なのか、或いは、彼女が集中するための言葉なのかは判然としないものの、応星の腕の痛みは和らいでいく。
 痛みが徐々に引いていく中で、丹楓の力が如何に規格外か改めて知る事になった。丹楓であれば、体が欠損していない限り、どんな傷でも一瞬で癒やして見せるのだから。それで尚、武人としても強力無比。加えるならば、しなやかで頑強な亭々たる体躯で類い希なる美丈夫と、天はどれだけ彼に与えれば気が済むのか問い詰めたいほどだ。
「あの、どうかされましたか……?」
「持明族って凄いんだな。と、思っただけですよ」
 突然、笑いを漏らした応星に戸惑いを見せる医師に対して半分嘘で誤魔化し、未だ痛みはあるものの、随分と腫れが引いた腕をまじまじと見る。
 骨に罅が入っただけでも、通常であれば一ヶ月はかかるだろう。それを龍尊ほどではない。などと言いながらもここまで治してみせるのだから驚嘆するしかない。龍を始祖に持つ特別な力。自らを天人と称する傲慢な長命種。仙舟が持明族を受け入れるはずだ。これほどまでに有益な種族に役目を与え、囲わない道理はない。
「すみません、他の者と交代します……」
 応星が随分と無礼な想像を巡らせている間にも治療は進み、医師は酷く汗を掻いて手の甲で目に垂れてきた汗を拭う。
 消耗が激しいのか立ち上がっても幾分足下がふらつき、控えていた別の医師と入れ替わりに星槎から出て行った。
「もう、大分痛みは引いたから……」
「いいえ、貴方様は余人には代えられぬ御身、完全に治るまで尽くさせていただきます」
 労り、尊ぶ言葉とは裏腹に、医師の視線は冷めている。
 一介の短命種如き。とでも考えているのか、若しくは他の打算があるのか。
 完全に傷が癒えるまで応星の治療は続けられ、念のため。と、強く説得を受け、一晩、診療所にて休む羽目になった。出入り口には、何故か雲騎軍の兵士が監視として立っている。
「訊いていいか?」
「何でしょう?」
 雲騎軍の兵士は直立不動の姿勢を保ったまま応星を見ずに応える。
「なんで雲騎軍が出しゃばってくる?」
「思い違いによる事故でも百冶たる人物を負傷させたのです。捕縛は当然です」
 応星は小さく舌を打つ。
 気の利きすぎる誰ぞが通報し、思いの外、大事になってしまったようだ。
「そんなもの、被害者である俺自身が望んでいないのにか?」
「ほぼ現行犯ですからね。しかし、罪の自覚があり、反省もしているので被害者である貴方自身が彼のために酌量を求める嘆願書をお出しになれば、ほぼ確実に前科はつかないでしょう」
 うっかり寝すぎたせいで相当な時間を無駄にしてしまった後悔が応星の心を占める。仮眠室に行かなければ避けられた事態かも知れないが、言い出した所で今更覆るものでもない。
「書き方を調べておくよ……」
 完全に治った右腕をさすり、諦観の心地で応星は寝台に横たわる。
 強制的に休めというなら、それこそきちんと休まねば更に無駄が生まれる。応星は開き直り、瞼を閉じて意識を暗闇へと落としていく。

 ▇◇ー◈ー◇▇

 日が昇り、応星の室に朝餉が運ばれて食事をしていれば、面倒な人物の来訪があった。
「何故、直ぐ余に知らせなかった?」
 医師だろうと兵士だろうと、彼を、持明族の龍尊を止められる存在は居なかったのだろう。
「別に、お前が出てくるほどのもんじゃない」
 応星は粥を匙ですくい、口に運ぶと丹楓をあしらう。
 丹鼎司には持明族が多く、それ故に、龍尊たる彼の耳にも入ってしまったのだろう。
 雑な応星の態度に丹楓は機嫌を損ねたのか、よくよく眺めていなければ気付かない程度に眉を顰め、寝台の傍に立って圧をかけてくる。
「食べ辛い……」
「邪魔はしておらんが」
 視線が煩い。とでも表現すればいいのか、確かに邪魔はされていないが鬱陶しさを感じる。
 丹楓の心配は理解しつつも、自身が間に合わなかった悔しさや、頼られなかった不満を解消させるにはあやしてやるしかないのだろう。
「ほら、来い」
 応星は粥を掻き込むと茶を啜り、一息吐いてから丹楓へ向けて腕を広げる。
 丹楓は寝台に腰掛け、広げられた手の中へ当然のように収まり、応星を己の腕でしかと抱き込み、首元に顔を埋める。
「風呂入ってないし、あんまくっつきたくないんだけど……、汗臭いだろ」
 起きた際に、担当者から道具を借りて洗顔や歯磨き程度はやったが、流石に風呂は入れさせて貰えなかった。首筋に当たる丹楓の呼吸が擽ったく、金属臭と汗臭が入り交じったであろう匂いが気になった。恋人に嗅がせていいような匂いでもなさそうだが、
「其方はいつでも白檀のような芳香だがな」
 などと嘯くのだから応星は呆れる。
 丹楓のように、衣に香が焚きしめてあるならばまだしも、何もしていない己からそんな香りがして堪るものか。するとしたら丹楓の嗅覚異常か、彼からの移り香である。
「もう痛みはないのか?」
「全く。お前の一族は凄いな」
 ふむ。と、丹楓は鼻を鳴らし、応星の顎を掴むと顔を寄せてくる。
 止めるべきか一瞬だけ逡巡したが、丹楓が来た時点で兵士は廊下に出ており、余人は存在しない。これで丹楓の気が済むのであれば許容範囲として口付けを受け入れる。

 ただ、腔内に舌が入り込み、不埒な手が服の中に潜りだした事については許容範囲外であり、応星は丹楓の角を両手で掴むと強引に引き剥がした。持明族、龍師の何れかが見ていれば、龍尊の角を掴んで乱暴を働くなど不敬だなんだと言われようが、この場合、明らかに丹楓が悪いと応星は断じる。
「朝っぱらから盛るな」
「怪我をしたのだ、今日は休むのだろう?ならば余も休む」
「公務はどうした龍尊様」
「休む」
「俺は休まんぞ」
 今度こそ丹楓は不機嫌に顔を歪ませ、応星を己が腕の中に抱き込む。
「余は其方が怪我をしたと聞いて肝が冷えたのだが」
「腕折った程度で死んで堪るか」
 丹楓が何を言わんとしているかは否が応にも察せてしまい、慰めるように応星は広い背中を撫でる。
「今回は運が良かっただけだ。相手に悪意がなく、治療が早急に進められた」
「そうだけど……」
 万が一、ただの勘違いではなく、悪意を持って襲われたとしたら、応星はあの暗闇の中で事切れていた可能性は否めない。豊穣の加護、もとい呪いを受けた仙舟人ですら重傷を負えば死ぬ。短命種の応星なれば、より容易い。が、そこまでか弱くもないのだと留意して欲しいものだ。
「お前は、俺を蜉蝣なにかと勘違いしてる節があるな……」
 長命種からすれば、短命種の寿命や貧弱さはそのように映るのだろうが、丹楓の庇護欲は過剰に過ぎる。応星とて、丹楓や鏡流には見劣りするものの、剣を学び、体も鍛えているのだから早々、加害を企む者にいいようにはされない。
「俺は護って貰いたいおひいさまじゃないんだがなぁ。度量の深い俺に感謝しろよ」
 不埒な真似は許さないが、幼子のように縋り付く丹楓を無碍にも扱えず、応星は自ら触れるだけの口付けをしてやる。
「休まないけど、夜になったら酒でも持っていく。だから仕事頑張ってこい」
「相分かった……」
 不満たらたらの様相ではある。が、約束だぞ。違えるな。そう念を押しながら退室する丹楓を見送り、応星は笑みを浮かべる。あの常に毅然とし、踏ん反り返っている龍尊様が、子供のように甘えてだだをこねる姿など、応星以外には決して見せない姿である。愛おしさが胸に溢れ、無意識に笑みも零れようというものだ。
「さて……」
 応星は茶を急須から茶器に注ぎ、喉を潤すと寝台から出て医師に帰宅許可を貰いに行った。
 今夜はしつこかろうな。そんな未来予知とも言える懸念をしながら。

 後日、『厳罰は望まず。職人たる人物であれば己が腕で罪を雪ぐべし』とする被害者からの嘆願もあって釈放された職人はすっかり応星に心酔してしまい、応星様のためであれば命すら惜しくない。などと公言して憚らず、それはそれで頭痛の種になってしまったのだった。

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